第117話

「テオ様、おはようございます」

「え?」


 ありえない人物から声をかけられ、目覚めた。リュカが隣で横になりながら、テオドールの顔を見ているのだ。


「あれ? どうしてリュカが……」

「安心してください。アシュレイなら、奥のほうで眠っています」

「あ、そうか……」


 よかった、とはならない。


(ははーん、なるほど、つまり、これは浮気現場を妻に突撃されたというのと同じ状況か……)


 だが、何もなかったのだ。

 決して何もなかったのだ。何もなかったはずなのに、どうして体が震えてしまうのだろう。


「どうしたのですか? テオ様、そんなに震えて。私とアシュレイに挟まれているのに、寒いなんておかしな話ですよ?」


 ニコリと微笑まれた。それが返って怖い。


「いや、あの、いろいろあってね……」

「それはいろいろあったと理解しております。半年近く、二人は一緒でしたから」

「どうして、リュカさんが、アシュレイの部屋に?」

「……昨夜は私がテオ様と一緒に過ごす予定でしたよ。まさか、お忘れでしたか?」


 呼吸が止まりそうになってしまった。

 幼子のように甘えてくるアシュレイをベッドの中であやしていたら、テオドールもうとうととしてしまい、そのまま眠ってしまったのだ。


「テオ様の部屋に迎えに行ったら、いらっしゃらなかったので、アシュレイの元かと思いまして……」

「部屋の鍵は?」


 リュカはニコリと微笑んだ。


「私は蟲の頭領の娘ですよ? 鍵開けくらい片手間でできます」

「あ、はい……」


 リュカがため息をついた。


「別に怒っていません。安心なさってください」

「え? そうなの?」

「まあ、私との同衾をお忘れになられたことは怒っていますが」

「すんません」

「アシュレイと何もなかったことは理解していますし、なにかあったらあったで、それは妻として喜ばしいことですから。まあ、アシュレイを愛人として迎えるかどうかは、また別の話になりますが」

「愛人なんて、いらないよ! 俺が愛してるのは妻だけだ」

「でも、お忘れでしたよね?」

「ごめんなさい」


 ちゅっと唇をついばむように重ねられた。


「言っておきますけど、まったく嫉妬心が無いわけではありませんからね。愛しているのですから、当然でしょう?」

「すみません」

「で、どうなさるのですか? アシュレイの件も含めて、今後のことをいろいろ相談したかったのですけど、テオ様がお忘れでしたので……」


 不服そうに唇を尖らせ、そのまま、ちゅっとキスをしてきた。今朝のリュカはキス魔らしい。昨夜の件を怒っているのか、はたまた近くにアシュレイがいるこの状況で、アシュレイへの腹いせにやっている可能性もある。


 ともあれ、イチャイチャするのを止めようとするのは悪手な気がするので、されるがままになっておいた。


「今後のことって?」

「アシュレイを王にするのでしたら本人の意思を改めて聞く必要があります。それと、転生者カズヒコの首を取った件も喧伝する必要がありますし」

「まあ、そうだな。リーズの件で西部が騒いでるなら、リーズが戻ってきた件で王城とのやり取りも必要になるだろう。そのうえで、リーズの口から伝えてもらうしかない。そのうえで、蟲を使ってアシュレイの噂を流す必要があるな」

「はい。ですが、それもこれも、アシュレイの覚悟次第です」

「まあ、そうだなぁ……」


 ため息が出てくる。そんなテオドールにリュカがちゅっとキスしてくる。


「リュカさん、さっきからキスしてきますけど、どうなさりました?」

「ただの愛情表現です」

「あ、はい」


 イチャイチャしたいのだろう。テオドールも乗っかってもいいのだが、さすがに背後でアシュレイが寝ている状況で、乗っかるわけにはいかない。


「母親が違うとはいえ、兄弟同士で殺しあうことになりますし、しくじれば死にます。逃げるのも一つの手でしょう」

「いや、逃げたところで戦の種になると判断されかねない。アシュレイが生き残るには、戦うしか道はないと思う」


 第一王子は同性愛者かつ頭のいいボンクラで、第二王子は正確破綻した異常者だ。

 それは別にいい。二人ともわかりやすい弱点があるのなら、それを切り崩すのは簡単だ。だが、家督相続で最も厄介なのは、その神輿を担ぐ派閥貴族たちなのだ。


 王子がバカでも周りが優秀かつ権力を持っていると、本当に厄介だ。最悪、暗殺という手段もあるが、暗殺をすれば暗殺される血みどろの殺しあいになる。最終的には内乱に発展するため、政治的手腕で派閥を切り崩していくしかない。


「家督相続ってホント面倒なんだよなぁ……」


 仮に味方を作れたとしても、神輿を利用しようとする獅子身中の虫である可能性もある。そういうややこしい利権や人間関係のパズルを解きながら、派閥を形成しなければならない。


 かつてのテオドールはそういう人付き合いが面倒だったので、戦や領地政治に逃げた。結果、追放されることになったわけだ。


(権力の中枢なんて、マジで伏魔殿だしなぁ……)


 中央貴族の武力は低い。

 だが、政治力は高い。でなければ、戦狂いの西部をうまく飼いならすことなどできないのだ。武ではなく利と智と恩だけで、西部を従える王と、その周りの貴族たちと、これから政争をしなければいけない。


 そう考えるだけで暗澹たる気分になってくる。


「ま、全部アシュレイ次第だ」

「僕は戦うよ」


 その言葉に後ろへと振り返る。

 今度はアシュレイがテオをジッと見つめていた。


「僕は王になる」


 リュカがポツリと「なぜ、そう思うのですか?」と尋ねた。


「なにか理想はあるのですか? 王とは権力装置であり、手段です。王となり、何かを成し遂げたいという思いがあるのですか?」

「それは……」

「ただ王になりたい、という思いで、あなたは何人の人を殺すつもりですか?」

「そんなつもりは……」

「あなたに無くとも、周りはそうではありません。あなたを敵とみなし、攻撃してくる。実際、今回の件だって、あなたを狙って暗殺者にテオ様とリーズ様が巻き込まれたんですよ?」


 アシュレイが黙り込んでしまう。


「私はテオ様があなたを王にすると言うなら、全力で助力しましょう。そこにテオ様の理想があると思うからです」


 そんなものは無いが、言ったらリュカに怒られそうだから聞き流した。


「あなたがテオ様の駒でいいなら、それでもかまいません。ただ、あなたが思っている以上に、王への道は険しい。まあ、テオ様がいれば、簡単だとは思いますが」


 そんなことは無いと思ったが、聞き流した。


「あなたの覚悟や夢は人を殺す。それを責めるつもりはありません。私もテオ様のためなら罪の無い者でも殺せますし、この命を投げ出すことも厭いません。ただ、私は全て自覚してやります」


 アシュレイはなにも言えずに視線をそらした。


「もう一度、よくお考えになられたほうがよろしいかと」


 そう言って立ち上がる。こんな母親の死を知らされたタイミングで言わなくてもいいじゃないか、と少し思ったが、あえて言っているのだろう。


 ここから先は修羅の道だ。

 愛した者が死のうが、戦に負けようが、必要とあれば笑いながら憎い敵と抱き合わないといけない時がある。


 それが政治の世界だ。


「……アシュレイ、今、いろいろ考えるのは辛いかもしれない。でも、王を目指すってことは、これから先、今以上に辛いことがあるってことだ。それも全部ひっくるめて考えてくれ」

「……テオにも野望とかあるの?」


 そんなモノは無い。

 最終的に平和に暮らしたいだけだが、自分の運命がそれを許してくれる気配がしない。それなら、流れに逆らわず、大きなうねりに乗っかるしかない。そう思っただけだ。


 ただ、そんなことを言うと、リュカに愛想をつかされそうなので、それっぽいことを言っておくことにした。


「俺は戦ばかりの西部で生まれた。もし、叶うなら、戦の無い世の中を見てみたい」


 どうせ無理だと思っちゃいるが、理想なんて、そんなものだ。だというのに、リュカは「さすがテオ様です」とか言っているし、アシュレイは「すごいね」と悲しげに笑った。


「テオはいつだって誰かのことを考えてる……」

「いや、別に、そういうわけじゃあ……」

「いえ、テオ様、謙遜なさらないでください。戦を無くす夢、私も及ばずながらお手伝いいたします」

「え、いや、そうなったらいいなって程度のね……」

「戦を無くすには大陸全てを制覇する必要があります。それでこそテオ様です!」


 なんでそうなる? と思ったが、思いのほかリュカがノリノリなので、止めることができない。アシュレイもアシュレイで「僕もきちんと考えてみるよ」とうなずいていた。


「さすがはテオ様……やはり、あなたは私が仕えるに足る主人です」

「え? あ、うん。がんばるよ」


 感動のあまり泣いているリュカに前言撤回などできるわけがなかったのだ。


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