第116話

 五階層についたところで、テオドールたちはダンジョン内都市で宿を取った。ここまで来ると、ダンジョン内都市の様相も王都のそれに近づいてくる。人の数は多いし、まだ新人と思われる冒険者たちの数が多かった。

 そんな中、テオドールはここまで棚上げされていたアシュレイの母親について、伝えることにした。


 夕飯が終わったところで、テオドールはアシュレイの部屋と赴く。ノックのあと「どうぞ」という声があったので、テオドールは神妙な面持ちで扉を開けた。ベッド脇のサイドボードにはランプが置かれており、ほのかな橙色の光がベッドに腰かけているアシュレイの金髪をキラキラと輝かせていた。


アシュレイは、いつもどおりピシッとした服装である。ベアルネーズたちのように上半身裸でベッドに寝転がってはいない。


 思えば、いつでもアシュレイは肌を露出してこなかった。そこにどうして気づかなかったのだろうか? と今になって思う。


「少し真剣な話があるんだけど、いいか?」

「……うん」


 アシュレイは更に背筋を立てた。テオドールはアシュレイの前に立ってから「実は……」とアシュレイの母であるナタリアの件を話し始める。

 訥々と語るテオドールの言葉をアシュレイは、どこか遠くを眺めるように聞いていた。途中、どこか遠くを見るように視線を泳がせてから、静かにうつむく。


「今まで黙っていたのは俺がそうリュカに命じていたからだ。君が落ち込めば、ダンジョンで死ぬ確率があがる。だから、彼女を責めないでほしい」

「……責める気は無いよ。実際、僕も、落ち込んでるし……」


 言葉の内容とは裏腹に声には乾いた笑いが乗っていた。

 無言の中、テオドールは友人としてどうするべきか考えた。考えた結果、アシュレイの隣に座り、膝の上に置かれていた手を握った。

 自分の父が死んだ時、師のヴァーツヤーヤナにされたことだ。ただ、手を握ってもらえるだけで、少しだけ心が楽になれたから。


「……母さんは愚かでかわいそうな人だった。でも、誰かに殺されていい人じゃないよ」

「……まだ誰かがやったと決まったわけじゃない」

「……本当にそう思ってるの?」


 アシュレイの問いかけにテオドールは「調査中だ。意味なく誰かを恨むのは良くない」とだけ言う。


「……ひどい母親だったよ。僕に王になれって。もう父が僕らを見ることなんて無いってわかっていたのに……ありえない未来を夢想して、僕に希望を抱いてた。女の僕を男にしてまでね……」


 テオドールは何も答えずにアシュレイの手を強く握る。


「父を恨んでいるこの感情も、自分のモノなのか母さんのモノなのか、僕にもわからないんだ。だから、父が母さんを殺したってことにしてほしいな。それなら、憎んでいられるから……」

「……君が憎みたいのなら、それでもいい。俺も母を失った時、この世界を憎んだから、気持ちはわかる」


 だからこそ言えることがある。


「……だが、生きてる限り、人は前に進まないといけない。そのために、その怒りが必要なら活用すべきだ。でも、なにかに起こり続けるのはしんどいぞ? 特に君のように優しい人間は、心を壊さない限り、ずっと怒りを抱えていくのは無理だ」

「だったら、壊れてしまうだけだよ。どうせ、とうの昔に僕は壊されたんだ。あの二人によって……」

「それが君の望みなのか?」

「……わからないよ、そんなの。王になりたいって思う。でも、僕は女で……男の振りをしたって、君のことが好きだ……矛盾だらけだ……なにをしたいのかなんて、そんなのわからないよ!!」


 声に涙がにじんでいる。


「そうだな……悪かったよ。ただ、俺は君の友人として、味方ではありたいと思ってる」

「……味方とか友人とか……そんな中途半端な関係なら、いらないよ……」


 目じりに涙を浮かべながらアシュレイは顔をあげ、テオドールをにらんできた。


「僕は君が好きだ、テオドール。僕はもうこの世界に一人だ。家族もいない。縋れるモノも無い。今の僕に差し出せるモノは、母さんの残したこの顔と体だけだ」


 言いながら乱暴に服を脱いでいく。その手をテオドールはつかんで止めた。


「落ちつけ、アシュレイ」

「僕を王にするなら僕のモノになってよ……ねえ、テオ!!」


 強い意思の篭った瞳だった。

 アシュレイは確かにヤケになっている。だが、その実、全力でテオドールを自分の味方にしようとしていた。拙い戦い方だと思った。女を武器にするにしたって、もう少しやりようというものがある。


 ただ、その直球なやり方をテオドールは嫌だとは思わなかった。

 そこには強さがある。生き汚さがある。焔のような意思がある。


 それこそ、テオドールが愛するリュカやレイチェルたちのような強かさがあった。


「君が僕のモノになるなら、僕は僕の全てを君に差し出す。でも、君が僕のモノにならないなら、僕は……」


 癇癪持ちのように暴れていたアシュレイの体から力が抜け、うなだれてしまう。


「……無価値だ」

「無価値じゃないよ」


 肩に手を置きながら泣くアシュレイをあやしていく。


「アシュレイ、君の気持ちは理解している。それを真正面から受け止める。逃げやしない。ただ、俺は君の気持ちに応えられない。でも、君が不幸になったり、傷つくのは見たくないんだ」

「友達としてだろ?」

「ああ、そうだ」

「なら、いらない! どうせ裏切る! どうせいなくなる!!」


 癇癪を起こすように泣きながら暴れ出すアシュレイの手をつかんだ。


「俺は裏切らないし、いなくならない!」

「嘘つき! 僕のことなんてどうでもいいと思ってくるくせに!!」

「思ってないよ、アシュレイ」


 感情的になってる女性に言葉を重ねても無意味だ。しかたないから、テオドールはアシュレイを抱きしめた。それでも、アシュレイは泣きながら暴れていたが、しばらくしたら大人しくなる。そのまま号泣しはじめた。


(……ただ八つ当たりしたかったんだろうな)


 子供の我儘に似たものだ。まあ、ここ数ヶ月大変な目にあい、その終わりに大切にしていた母が死んだと聞かされれば、幼児帰りをしたくなる気持ちはわかる。

 テオドールだってリュカたちと再会した時は赤ちゃんになったのだ。


 それならアシュレイが子供のようになるのも無理は無い。そして、彼女を甘えさせてあげられるのは、今はもうテオドールだけなのだ。


 泣き続けるアシュレイをテオドールはリュカたちが、そうしてくれるように優しく抱きしめていた。しばらくしたら、胸の中のアシュレイが「ごめん、テオ」とくぐもった声で言ってくる。


「謝る必要は無いよ」

「……ううん。謝るよ。君にひどいことを言ったし、それに言いたくないことまで言っちゃったから」

「気にしてない」

「テオは優しいね……」

「相手によるな。西部じゃ鬼だとか悪魔だとか言われてたし」

「でも、僕には優しい……」


 まだ幼児退行が続いているようで、甘えたような声音だった。とはいえ、癇癪はおさまったらしい。このままあやしていれば、立ち直るだろう。


「ねえ、テオ、お願いがあるんだけど聞いてくれる?」

「ああ、聞くよ」

「今夜は一緒に寝てほしいんだ。このまま僕を抱きしめてほしい」

「いや、でも……」

「……僕にはもう僕を抱きしめてくれる人がいないんだ。だから、今夜だけはお願い。優しくしてほしい」

「わ、わかったよ」

「……安心して。僕からは何もしないから」

「俺だって何もしないさ。できないし……」

「うん、ありがとう」

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