第114.5話E
ファティマと再会した後のフィリップの行動は早かった。
それまで囲っていた愛人たちとの関係を解消し、浮いた金を貧民救済のための福祉施設への投資に回したのだ。当然、そこで必要となる人材は全て、元人材育成機関の院で学んでいる生徒たちである。
元院長はフィリップの申し出を断ったため、フィリップが自ら粛清し、そのまま代表者をファティマへ移譲。ファティマは表向き救済機関の代表者として振る舞いながら、院の生徒たちに指導を続けていた。
その中でも優秀な者たちを数名ほど、フィリップの下女として召し上げ、自分の側に置くこととなった。
周囲は病気以降のフィリップの変化に好意的であった。
それまでは、男色家で女性嫌いで有名だったフィリップだったが、今は下女を側に置き、これまで以上に政務に熱心なのだ。とはいえ、官僚のやり方に口出しするわけではなく、真っ当な指摘をしつつも、後は自由にやらせ、官僚の権益を侵犯しないように努めていた。
これまでは、ケルヴィン派閥の貴族が多かった。
当然だ。子を成せないかもしれない王よりも、性格に問題があれども能力的には問題の無いケルヴィンを擁立したほうがいい。
しかし、ここにきて変化したフィリップは、官僚貴族たちの話をよく聞き、清濁併せ呑むようにバランスを取りながら、政務の後押しをしていた。
それに加え、フィリップはお忍びで城下へと繰り出し、平民たちの問題を通りすがりの吟遊詩人として解決していたのだ。
露骨な悪事を働く者がいれば、それを成敗して回るヒーローである。だが、正体は明かさない。遊び人の吟遊詩人ジョンとして快刀乱麻な活躍をし、平民たちの間では人気者となっていた。
当然、悪事を働く者の情報はファティマたちの諜報活動であがってきている。中央貴族と繋がりの深い者は避け、後ろ盾の無い者や、あっても処理して問題ない悪徳商家や地回りのマフィアや愚連隊などを処断していった。
(バカでもわかる正義というのは、実に利用しやすい)
わかりやすい悪を作り、煽り立て、それを退治する。その中心にいるジョン。そして、貴族や王家への不平不満もジョンに集まってくる。それを聞きながら、理解を示し、憂いを帯びた表情を浮かべれば、勝手に納得してくれるのだ。
動き出してから二月で、城下でジョンを知らない者はいないほど噂の人物となった。
当然、こういった動きはケルヴィンを通して、病に臥せっている王の耳にも入る。
フィリップはチャールズ・ヴァンダミア・アドラステア十八世の寝室に呼ばれ、ベッドの前で跪いた。
「父上、参りました。フィリップです」
「……フィリップ、お前が城下に出ているという話を聞いた。なぜだ?」
「……父上もご存知のとおり、私は記憶を失いました。よって、多くのことを知ることから始めたのです。王城の貴族の話を聞き、同時に民の声も聞くべきだと思いました」
「……王家を悪しざまに言う者たちと結託していると聞いたぞ?」
「それが民の声なのですよ、父上。今や、民心は王家から離れております。かつての私の放蕩やケルヴィンの所業。そして、父が元愛人であるナタリアを殺したと噂されています。そして廃王子アシュレイも……」
「ナタリアとアシュレイをなぜ私が殺す必要がある……? 私にとってアレは……」
チャールズが声に詰まってしまう。
「今、ナタリアの殺害について手勢の者に調査させております。おそらく、父上の望まぬ答えが出てくるかと思いますが……」
「言わずともわかっておる……」
「ならば、真実は明かしますまい。それと、お耳に入っているかは存じ上げませんが、中央の蟲は西部の蟲によって壊滅させられました」
「……面倒な話だな。ペンローズ侯爵令嬢の件を受けての西部からの抗議だろう」
「このまま静観しては王家の名折れでは?」
「……政治的に話は進めている。テオドール・アルベインの首を用立てれば、矛を治めるとフロンティヌスは言っている」
「脅しに屈するのですか?」
「……西部の注意は国外に向けておく必要がある」
「西部への切り取り自由は、諸刃の剣です。いずれ、力を蓄えれば、その刃が王家に向かうこともあります。奴らは蛮族です。ましてや、かのアルベインの首を差し出せば、更に民心は王から離れましょう」
「……有能だとは聞いているが、貴族であろう?」
「西部の英雄であり、今では小説や舞台のモデルにもなっている御仁です。理由なく殺してしまうのは得策ではないかと」
「……そこまでなのか?」
「はい。民の中には戦上手のテオドール・アルベインが、王家を打倒することを望む者さえいます。それほどに民の心は離れているのですよ、父上」
チャールズは黙り込んでしまった。
「……ナタリアとアシュレイを失ってしまったのが痛いな」
平民が王の愛妾になるのは、平民たちにとってのサクセスストーリーだった。それに加え、気が狂ってしまう前のナタリアは誰からも好かれる溌剌とした女性だったらしい。王の愛妾となってからも舞台には上がり続け、城下の酒場でかつての仲間たちと呑んで騒ぎ、場を明るくする女性だったらしい。
そんなナタリアを壊してしまい、最後は親子ともども殺したとなれば、王が平民をなんとも思わない極悪非道な人間だと思っても無理は無い。
(結局、詰めが甘いのだ……)
文治の王と呼ばれてはいるが、その裏で官僚貴族の跳梁を許し、騎士たちの惰弱化を招いた。戦嫌いで臆病な性格故に全て話し合いで解決しようとする。
東部の銭ゲバ相手ならまだしも、西部の蛮族にそれは悪手であると、未だに気づいていない。いや、気づいていながらも、逃げたいのだろう。
(優しいお方で優秀ではあるが……器ではない)
というのがフィリップの見立てである。
「何事にもガス抜きは必要です。もし、なんの罪もないアルベインを捕縛し、処罰すれば、王は法治の精神さえ失ったと言われるでしょう」
「であるな……だが、西部の機嫌も取らねばなるまい?」
「そのために私は城下に出ているのです」
「……どういうことだ?」
「御存知かと思いますが、私は城下でジョンと名乗り、わかりやすい悪党を裁いています。目論見どおり、民の間で吟遊詩人ジョンは受け入れられ、人気が出てきています。これをしばらく続け、人気のうえでアルベインを越えたところで、私がフィリップだと明かします。フィリップ王子は民の声を聞く王子であり、民を救ってきた、と認知されるでしょう。私という存在が民たちのガス抜きとなり、同時に国が変わる希望とするのです」
「……そううまくいくか?」
「行きますよ。私は見た目がいい。美男子で優秀で慈悲深く、民に寄り添う王子。人気が出ないわけがありません。そのうえで、私の人気があがれば、特になにもしていないアルベインの人気は落ちていくでしょう。そのタイミングで適当な罪を着せ、捕縛し、処刑してしまえばいいのです。こういうことはゆっくりとやりましょう」
「しかし、現に諜報機関は西部に奪われているぞ?」
「それに関しては既に東部のほうに情報を流し、東部の蟲をぶつける予定です。東部と西部は犬猿の仲。蟲同士で潰し合ってもらいましょう。その隙に私の麾下の者で諜報機関を作り直しています」
「フィリップ……変わったな……」
「かつての私は死んだのですよ、父上。これまでの放蕩息子はお忘れください」
フィリップは立ち上がり、ベッドで横になっているチャールズの腕を握った。
「今までご心配ばかりおかけいたしました。どうか、これからはあなたの息子を頼りにしてください。若輩ながらも、父上に負けないよう努力いたします」
「……妻を取る気はあるか?」
「必要とあらば」
「平民の女に手を出したと聞いている」
「……足を悪くした憐れな娘です。当然、本気ではありませんよ」
「ならばいい。お前にその気があるなら、婚姻の準備を進めよう」
「父上の思うがままにお任せいたします」
「フィリップ……」
ぎゅっと力強く手を握り返してくる。
「今日初めて、息子と話をしたような気がした」
「父上……申し訳ございませんでした」
フィリップが「では」と立ち去ろうとしたが、チャールズが手を放してくれない。そのまま引っ張られ、口元に耳を近づけさせられた。
「ケルヴィンには気をつけろ。アレは……お前の命を狙っている」
フィリップは何も答えずに、目を伏せてから「わかりました」とだけ言った。
「婚姻の件だが、しばらく伏せておく。私が死ぬ前にはどうにかしたいが、時間は無いと思え」
「心をどうか強くお持ちください」
「よいか、フィリップ。毒と呪いには気をつけよ。ケルヴィンは私の手で、どうにかしておくべきだった。私のせいでナタリアとアシュレイは……」
チャールズが目じりに涙を浮かべていた。それでも、ケルヴィンを排せないのは、まともに血を残せるのがケルヴィンしかいないからだった。だが、今はフィリップがいる。
そうとなれば、ケルヴィンはフィリップを殺そうと躍起になるだろう。
(敵ばかりだな……)
内心で苦笑を浮かべながらも、表面上は父を心配する孝行息子を装った。
「……どうにか味方を増やします。父上も身辺にはお気をつけください」
そう言ってフィリップはチャールズの手を強く握り返した。
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