第114.5話D

 貧民街にある安宿の一室で、フィリップはファティマと体を重ねた。久しぶりの逢瀬の後でも気だるさは感じる。体を寄せてくるファティマの髪の毛を指で弄りながらフィリップは天井を見つめていた。

 雨漏りがあるのか、天井の板が黒くかびている。布団も城で使うようなモノではなく、薄汚れており、どこかかび臭い。

 だが、フィリップには、生活全てに地べたの匂いがしみついている世界のほうにこそ親近感を覚える。


「……ファティマ、お前は俺のために死ねるか?」

「ビャクレン様のためなら、なんでもいたします」


 耳朶にからみつくような甘い声音だったが、フィリップはファティマのほうを見ずに続ける。


「お前の知るビャクレンは死んだ。この先、その名を二度と口にするな」

「では、王子として生きていかれるのですか?」

「俺は王を目指す」


 言ってから思わず吹き出してしまった。


「フィリップ様……?」

「すまん。いや、以前の俺だったら、あまりに突拍子もない言葉だからな。気狂いのそれと変わらん」

「ですが、今のフィリップ様なら、それは手の届くモノだと思います」

「……そうだとしても滑稽だよ。放り捨てられ、拾われ、道具として育てられ、使い捨てにされるだけの塵芥が、その塵芥を生み出しながらも視界にさえ入れん王になると言うんだ。こんなふざけた話があるか?」

「私は爽快だと思います」


 言いながら足を搦めてきた。


「フィリップ様なら、それが可能です」

「……俺は俺のような塵芥をこれ以上、増やしたくない」


 ぽつりと言う。


「かつての俺にだって才はあった。それ以上のバケモノに負けはしたが、それが俺自身の望んだ結果ではない。お前も俺も、生きるために支配者たちの道具にならざるをえなかった」

「はい」

「なのに、俺たちを支配していた者どもの多くは、なんの才もない愚物でしかない」


 王城を歩いてみれば、それがわかる。

 才有る者もいるが、そうでない者のほうが圧倒的に多い。血筋と権威の上にあぐらをかき、自らの欲求を満たすためだけに政を続ける。


「使われる駒でもいいが、仕える相手すら選べない。それを俺はおかしいと思う」

「そうですね。意味もなく死んでいった者たちも多くいました……」

「俺はかつての俺やお前のような者たちを救いたい。お前と再会して、強くそう思ったよ、ファティマ」

「フィリップ様……」


 感極まったような声に、フィリップは視線を向ける。そのまま頭を抱き寄せ、額に口づけをした。


「お前は俺のために死ねると言ったな、ファティマ。だが、俺のこの夢のために死ねるか? 俺が消えたとしても、お前はこの夢に殉じてくれるか?」

「はい」

「なら、これは俺とお前の夢だ、ファティマ」

「はい」

「使える駒を用意してほしい。お前から見て有能な者を、俺のほうに回してくれ。可能ならば、女がいい」

「かまいませんが、荒事にお使いになるのでしたら、男のほうがいいのでは?」

「女のほうが情で縛れる。幸い、俺は見た目がいいしな」

「前のお姿も私には素敵でした」

「だとしても、裏切りを最も警戒しなければならない。その点、愛情という楔は利用できる。安心しろ、必要に迫られなければ手は出さん。体を重ねれば、女のほうに甘えが出てくるからな」

「私のこともそうお考えですか?」

「お前は甘えてくれてもかまわんさ。秘密を共有する唯一の存在だ」


 ファティマは「わかりました」とかみしめるように言う。


「院から駒を送るにせよ、フィリップ様は、今度、どのように動かれるのですか? それによって見繕う者は変わってくるかと思いますが?」


「俺は皆から愛されようと思う」


 その言葉にファティマは「愛される?」とオウム返ししてきた。


「愛とは最強の武具だよ。人は愛する者のためなら、人だって殺す。愛する者のためなら自ら命を差し出す。俺はこの美貌と才を持って、多くの者に愛される王子になる。表向きはな」

「では、必要なのは表の情報を司る者と裏の……」

「殺しと脅しに長けた者が欲しい。頭はいらん。むしろ、足りないほうが扱いやすい。俺の命令に忠実に従う犬のような道具が欲しい」

「思い当たる者がいます」

「それとテオドール・アルベインに関する情報を集めてほしいが可能か?」

「西部の天才騎士ですか……中央の蟲は全て西部の蟲にとって代わられてしまったので、院の人材だけですと少々難しいかもしれません」


 たしかに中央の諜報機関は西部の蟲どもに壊滅させられた。人材育成機関の院だけは残っているが、それとてやがて接収されるだろう。それがされていないのは、西部の蟲をまとめるリュカがダンジョンに入ったためだ。

 おそらくテオドールを捜索に行ったのだろう。この隙に院は解散させ、全てフィリップの下部組織としたい。だが、そのための資金を作るには、もうしばらく時間がかかる。


「東部に現状の中央の有様を流せ。アレらにとっても西部の息のかかった者が中央で好き勝手やるのも面白くないだろう。必ず介入してくる」

「東部貴族にですか? むしろ王家にとっては、西部以上に面倒な者たちでは?」


 西部貴族は他国との戦で忙しいため、王家に対する忠誠心は薄いが、進んで敵対するつもりがない。だが、東部は戦が無い反面、国力を貯めやすく、隙あらば王家を打倒することさえ考える者が多い。

 それをやらないのは、今の王が東部の貴族たちにとって王として認められているからだ。言い換えれば、彼ら東部貴族の権益を保証しているからだとも言える。


 要するに東部貴族は損得勘定で動く。忠誠心などという幻想には惑わされない実利主義な気風が強かった。半面、得にならない戦はしない。その辺が西部貴族とは違うところだ。

 西部の騎士は損得関係なく、戦をする。これまでの歴史上、西部で起きた戦で最もひどり理由は「戦が楽しいから」というものだ。

 そういう意味で未だに西部騎士は蛮族だと言われ、東部は守銭奴と罵られる。


「西部と東部は互いにその考えを嫌っている。中央がいい緩衝材になっていたが、西部の蟲が自ら進んで中央に踏み込んできたのだ。まあ、東部の蟲も情報は把握しているだろうさ。放っておいてもいずれ動くとは思うが、それを可能な限り早めたい」


 西部と東部の蟲を潰し合わせている間に、中央の諜報機関を再構築する必要があった。おそらく第二王子のケルヴィンも同じように動く可能性があるが、ファティマの話では、今のところ、そういう動きは無いらしい。


 おそらく中央の諜報機関が潰されたことに気づいていないのだろう。

 中央貴族が無能なのか西部の蟲が有能なのかはわからないが、この間隙を利用しない手は無い。


「院の責任者はマキシム翁でいいのか?」

「はい」

「乗ってくるようなら駒として使う。抗うようなら、殺す。それでいいか?」

「……はい」

「世話にはなったが、同時に恨みもあるしな」

「……そうですね」

「始末が済んだら院は解体し、別の場所に移す。二日ほど待ってくれ。予算を作る」

「そんなすぐにできるのですか?」

「……第一王子の愛人を何人か放り出せば、金が浮く。その金でどうにかなるさ」

「そんなに愛人に公金を?」

「王族なんて大なり小なりそんなもんだ」


 言いながらフィリップは身を起こした。


「もし、武力が必要になれば俺に言え」

「ですが……」


「予感でしかないのだが、おそらく、この体は前の俺より才がある」


 過去の記憶のおかげなのかはわからないが、頭の回転も速いし、筋骨の作り自体は悪くないのだ。怠惰な生活を送っていたくせに、贅肉がほとんどついていない。必要最低限の筋力を付けるだけでいい。


「それこそ、テオドール・アルベインにも勝るとも劣らない能力があると見ている」


 だからこそ、テオドールとの勝負を決心したと言っていい。


「王族として民のため、俺とお前の夢のため、有効活用させてもらうさ」








※この作品と同じ世界観の新作『転生してきた勇者の悪霊が俺に憑りついて最強にするとか言ってくるんですが、俺は強くなりたくない ~勇者による大魔王育成計画~』を始めました。

合わせてお読みください。

https://kakuyomu.jp/works/16817330651286526061


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