第114.5話C

 フィリップの中にいるビャクレンは転生前の才能も活かしつつ、研鑽を重ねていた。一月程度で筋肉もつくようになり、必要な礼儀作法を含めた知識も修めることができた。


(以前より記憶力がいい……)


 もとのビャクレンも天才と呼ばれていたが、フィリップの才覚はかつての自分を上回るようだ。その証拠として、一度見聞きしたことはほぼ確実に覚えている。

 更にもとのフィリップが嫌っていた鍛錬だが、これもあっという間に上達した。技術に関する知識や記憶はビャクレンのモノだが、肉体はフィリップのものである。この肉体に体感を染み込ませるのが大変なのだが、それも容易にできた。


(王族には特殊天慶ユニークスキル持ちが多いと言うが……)


 成長補正の特殊天慶ユニークスキルを持っている可能性があった。いわゆる天才だ。才色兼備の第一王子。順当に行けば、これ以上無いくらい真っ当な次の王だ。

 だが、問題があるとすれば……。


「フィリップ様、どうして僕を遠ざけるのですか?」


 宮廷楽士のジョネスが泣きそうな顔でフィリップに話しかけてくる。


(男色相手の恋人か……)


 こういった美男子の恋人がフィリップには五人ほどいる。ジョネスのような役職を持つ者であり、誰もがフィリップからの寵愛を受けようと躍起になっていたようだ。


 だが、ビャクレンには男色の趣味は無い。


「何度も言ったが、君たちのことを俺は覚えていないし、なにより、男色趣味だったと聞いて驚いているんだ」

「愛を紡ぎましょう。今夜、私の部屋で待っています」


 そんなことを言って立ち去られたが、行く気は無い。


(宮廷楽士は、まあ、情報を集める駒にはなるが、それ以上でも以下でもない)


 騎士の恋人もいるようだが、見た目だけで実力は大したことが無かった。


(どうせなら駒になる男を側に置いておけばいいものを……)


 政治をする気すら無かったのだろう。男相手の淫蕩に耽り、文化や芸術に耽溺する。才能と地位の無駄遣いだと正直思ってしまった。


「これはこれは兄上ではありませんか」


 振り返れば、あばた顔の男が家臣を引き連れて歩いていた。フィリップに骨格は似ているが、やや腹が出ており、ところどころ作りが雑な顔だ。決して不細工ではないのだが、フィリップと並べられると、相対的に落ちて見えてしまうだろう。


「ケルヴィンか? どうした?」

「いえ。病が治られてからは、人が変わったかのようになられたと聞いておりまして、心配しております」

「記憶を失ってしまったからな」

「しかし、それで王子としての執務は行えるんですか?」

「心配をかけて申し訳ない。少なくとも父上やお前に迷惑をかけないよう努力しているよ」

「……心配でしたら、ご友人と遊戯に興じていたほうがよろしいのでは?」


 さり気なく、政務から遠ざけさせ、力をそごうとしているのだろう。


「そうだな。臣下にいろいろ相談してみよう」


 提案に乗っかってきたのに驚いたようで、ケルヴィンは一瞬固まっていた。


「変わられましたな、兄上」

「そう言われても覚えていない」

「いえ、私は今の兄上のほうが好きですよ」


 そう言ってから「では、失礼いたします」と立ち去っていく。兄弟とはいえ、王位をめぐって争い合う政敵同士だ。かつてのフィリップは、ケルヴィンに対して敵愾心を強く抱いていたのかもしれない。


(まあ、笑顔で刺すのが暗殺の基本だ)


 危険だと思われては、近づくことすら危うい。利用しやすいと周囲に思わせておいたほうがいいだろう。

 とはいえ、使える駒がいないというのも不便ではある。


(西部の蟲に組織は潰されたが……)


 自分が育てられた教育機関も接収されているだろうか? 組織とは独立したヴェーラ教の孤児院が、王のための暗殺者や間者を教育するための機関だった。組織として、諜報機関とは独立しており、教育機関が兵を諜報機関に卸していた。


(駒は必要だ……生き残るためにも……)


 そう考えたフィリップは、護衛の者もつけずに城を飛び出した。

 王都といえど、全ての民が幸福というわけではない。貧富の差は歴然とあり、昨今はその差が広まっている。フィリップが貧民街に入った瞬間、子供が近づいてきた。見た目は育ちのいいお坊ちゃんだ。カモだと思ったのだろう。だが、次の瞬間、スリをしようとした手をつかみ、ひねりあげる。


「無駄だ。仲間にも伝えておけ。次は腕を斬り飛ばすとな」


 そう言ってから、銅貨を放り投げる。


「伝令として働け。これが報酬だ」


 襤褸を着た子供は、銅貨を握りしめながら警戒するように道の奥へと消えていく。そのやり取りを見ていた連中を睥睨し、威圧しながらも歩を進めていった。

 目的地につくまでに五人の悪漢にカラまれたが、全て実力行使で黙らせた。


(変わらんな……)


 治安は最悪。それでも、人々は生きている。これで、貧民同士のつながりは濃く、仲間意識は強いのだ。

 ボロボロの建物には、申し訳程度のヴェーラ神柱架が掲げられていた。襤褸を着た子供たちが、駆けまわっている。ただ遊んでいるように見えるが、その実、遊びの中に武術の動きが隠れていた。

 あれは、そういう訓練だ。


 遊びを通じて、殺し屋として兵士として使い捨ての駒として育てられる。


 教会の扉を開いたら、十代の少女が驚いた顔でフィリップを見た。その顔に懐かしさを覚え、思わず微笑んでしまう。


「えっと……あの……」


 少女はフィリップの微笑に顔を真っ赤にしてうつむいた。赤毛の少女は、かつてのビャクレンにとって妹のような存在だった。顔立ちは整っているが、美人は蟲として男を誑かすために使われる。それが嫌だったファティマは自分の顔に傷をつけた。彼女はビャクレンたちのように戦闘用の蟲になりたかったのだ。本当に炎のような気性の少女だ。その気性故に戦闘で足にケガを負い、蟲としては使えなくなってしまったのだが……。


「蟲にもこの顔は通じるようだな」


 その言葉に少女は目を見開きながら顔をあげる。所作は変わらないが、警戒態勢に入ったのは理解できた。


「そう構えるな、ファティマ」

「どうして……?」


 自分の名前を知っているのか? と思っているのだろう。


「いつみても、お前の赤い髪の毛は、炎のように美しいな」


 ファティマが信じられないモノでも見るかのように目を見開く。


「でも、だって……死んだと……なぜ……?」

「俺を直接知る者は、もうお前と院長……は死んだか……?」

「ありえないっ!!」

「お前の胸と胸の間に三つのホクロがあることを俺は知ってるぞ」


 ファティマは慌てて胸元を見るが、服の上からわかるものではない。胸元を押さえながらも、未だに疑惑の目を向けてくる。だが、目じりに涙も浮かんでいた。


「蟲が感情を露わにするな。何度も教えたはずだ」

「……ビャクレン……様……?」

「ああ、お前に会うために地獄の淵から蘇ってきた。まあ、こんな姿だがな」


 ファティマは右足を引きずるように近づいてくる。涙を流しながらフィリップの胸に飛び込んできた。


「ビャクレン様っ!!」

「ただいま、ファティマ」


 フィリップはファティマを優しく抱きしめた。

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