第106話

 戦後処理はつつがなく進んでいった。

 三十五階層の残存戦力は、独自で戦いを続けようとする動きもあったのだが、何やらアクシデントが起きたらしく、三十五階層も三十五階層でカズヒコ軍は崩壊していった。


 その後、三十六階層のカズヒコ軍は完全に白旗をあげ、リーズレットたち冒険者軍はバンドラーに駐留することとなった。


 そんな中、テオドールは事後処理の雑務を片づけるため、かつての執務室へと向かう。扉を開いた瞬間、驚いた。


「テオ……様?」


 キャシーがそこにいたのだ。執務机に座って事務作業をしている。


「キャシー……どうしてここに?」


「ご無事だったのですね……」


 涙をこぼしながら椅子から立ち上がる。だが、自ら近づいてこようとはしない。


「逃げろと命じておいたはずだ」


 テオドールだって最悪の事態は想定してあった。自分が負けた場合、キャシーはカズヒコから咎められるだろう。だから、出陣の際、暇を与え、逃げるように言った。


「テオ様がいらっしゃらなくても、仕事がなくなるわけではありません。私で処理できるものは処理しておきました」

「それは助かるが……」


 どうするべきか、とテオドールは思案する。

 キャシーはテオドールのことを好きだと言い、側に置いてくれと言われた。実際、事務能力が高く重宝したので、その愛情を利用する形で仕事を頼んでいた。


 ひどい言い方をすれば、もう用済みである。

 だからと言って、健気にテオドールを待ちながら仕事をしていたキャシーに「さようなら」と言って切り捨てられるほど、人の心は失ってはいない。


「戦は終わったのですか?」

「……大元はな。まだ三十五階層の始末が残ってるが、連中は何やら勝手に崩壊していってるらしい」


 そう情報が伝わっている。現在、精査中の案件だ。


「テオ様は外に出られるのですか?」

「ああ。全てが終わればな」

「そうですか」


 無言。

 キャシーは引っ込み思案で慎ましやかな女性だ。テオドールの周りにいる女傑や、芯の強い妻たちとは違う。言いたいことがあっても飲み込み、言葉を選んで伝えてくる。


 テオドールとしては、ハッキリ言ってくれるほうが楽ではあるのだが、これも彼女の優しさなのだろう、と思って受け入れた。


「……君はどうする?」


 キャシーは静かに微笑み「ここに残ります」と言った。


「そうか」


 キャシーは頭がいい。

 だから、テオドールが何を望んでいるか理解している。自分がテオドールにとって、もはや用済みであることも把握しているだろう。だからといって、自己主張はしない。

 そういうところが苦手だ。


(だって考えてることがわかるから……)


 テオドールは権謀術数渦巻く西部で生きていたため、表情からある程度の感情や嘘などは見抜ける。キャシーの態度が本心ではないことは理解しているし、自分に対する好意が薄れたわけではないことも把握していた。


(ほんと、他人の感情には鈍感なのに思考や望みがわかるってのも面倒だよな……)


 感情はわかるが共感しないだけだ。いちいち他者と心を通じていたら、西部では生き残れなかった。真に鈍感な人間なら、キャシーの言葉に乗っかって別れを告げるのだろう。

 正直、キャシーと別れるほうが楽だとは思っていた。


 肉体関係は無いし、テオドールも彼女の想いには拒絶の意思を示しているし、今後、キャシーの気持ちに応えることなどできない。

 リュカやレイチェルという元妻にくわえ、リーズレットという無視できない大貴族の令嬢からも懸想されているのだ。おそらくだが、リュカやレイチェルはリーズレットの味方になるだろう。そのうえ更に王家の血を引くアシュレイにまで告白されていた。


 そんななか、キャシーの面倒を見るなどと言えば、リュカやレイチェルはいい気分にはならないだろう。表面上は受け入れるだろうが、彼女たちの心を波立たせたくはない。


「一緒に来るか?」


 キャシーが驚いた顔でテオドールを見た。テオドール自身、自分の発言に驚いている。


「ですが、私はテオ様のお邪魔に……」

「俺がいつ邪魔だと言った?」

「お顔にそう書かれております」


 否定はしない。実際、そう思う。


「前にも言ったが、俺は君の気持ちには応えられない。そんな身分じゃないし、妻のような女性が二人……いや、下手したら三人いる。君たち平民のような自由恋愛なんてできる立場じゃない」


 おかしい。

 平民になったはずなのに。


「そして、君が言うとおり、俺が君を連れていったら彼女たちは気分を害するだろう。俺もそれを望んじゃいない」

「でしたら、良いのです。私は、ここでテオ様のお幸せを願い続けます」


 本人がそう言うなら、それでいいはずだ。

 なのに、儚げに笑う姿が、死んだ母を想起させ、テオドールの胸を締め付ける。誰に対しても自己主張せず、笑顔で死んでいった母に似ていた。


「君が本心からそう望むなら、俺はもう何も言わない。女であれ、男であれ、自分の望みを叶えられるのは自分だけだ。戦わずして手に入るモノなど価値が無いと俺は思う」


 だから、もうこれ以上の助力はしない。

 あとは本人次第であり、ここから先の選択は尊重する。


「他人のことばかり考えて、自分の不幸を招くなよ。君は人が好過ぎる」


 そう言いながらテオドールは執務机に近づき、キャシーが処理していた書類を見ていた。


「ああ、本当によくできている。君は本当に有能だな、キャシー」


「……テオ様のお傍に置いてください」


 消え入りそうな声で言われた。

 その言葉に、かすかな安堵を覚えいてる自分が自分でよくわからない。


「わかった。そう処理しよう」

「ありがとうございます」


 目じりに涙を浮かべながら微笑むキャシーに、胸がかすかに締め付けられた。思いのほか、自分はキャシーを気に入っていたようだ。


「兵糧の計算を頼めるか? こちらの書類をまとめてほしいんだ」

「はい、承りました」


 不意に勢いよく扉が開かれた。


「アルベイン! 三十五階層で戦が起きているぞ!!」


 ヒルデの声に「ノックくらいしろ」と咎めたら、ヒルデはキャシーを見つけ「ほう」と微笑んだ。


「貴様の情婦イロか? リーズ様がいるというのに、これだから男という生き物は……」

「違う。事務を手伝ってもらっているだけだ」

「ふむ……」


 ヒルデはねめつけるような視線をキャシーへと向けた。


「ただの事務として置いておくには、誤解を招きそうな容貌だぞ? 私のほうで引き取ってやってもいいが?」

「俺以上に女好きはお前のほうだろ」


 ヒルデは美人と見たら、手あたり次第だから困る。最近はアシュレイにも露骨なアプローチを向けていたほどだ。

 キャシーは目礼し、逃げるように事務仕事を始めた。


「それで、三十五階層でなにが起きてるんだ?」

「蟲の話によると、なにやら下層から攻めてきた冒険者の集団がいるそうだ。そいつらと旧転生者軍がぶつかってるらしい」

「王国軍か?」

「違う」

「じゃあ、なんだ? 下層の冒険家か?」

「正確な正体まではわからんが、連中は<西部騎士道クラブ>と名乗っているらしい」


「なんですと!?」


 聞き覚えのある単語に、テオドールは凝然と固まった。





※この作品と同じ世界観の新作『転生してきた勇者の悪霊が俺に憑りついて最強にするとか言ってくるんですが、俺は強くなりたくない ~勇者による大魔王育成計画~』を始めました。

合わせてお読みください。

https://kakuyomu.jp/works/16817330651286526061



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る