第92.5話
「ああ、そうだ――」
と、カズヒコは何気なく振り返った。ここまで来たら、鎧はともかく剣を返してもらおうと思っていたのだ。
だが、待っていたのは首に奔る衝撃。全身が一気に熱くなるような痛みと同時に視界がグルグルと回った。何が起きたのかカズヒコにはわからない。回転する視界の中で交錯したテオドールの眼光は、今まで見たことが無いほどに冷たいものだった。
一瞬で様々な思考が脳裏をめぐる。首を飛ばされた。なぜ? テオドールが? 反撃? 無理。剣は無い。魔術――
テオドールの腕が何度か奔りブツリと意識が真っ暗闇に落ちていった。
――死。
そこでカズヒコは死ぬはずだった。
『死んじゃったわね』
そんな声が暗闇の中でした。自分が今、どういう状況なのかもわからない。肉体と世界の垣根も無い。冷たく温かい無限の空間。闇の中に自分の自我が解けているような感覚。
『でも、それでいいのですかな?』
声は女のようにも聞こえ、男のようにも聞こえた。耳に障る声が、カズヒコの意識を強引につなぎ留める。
『てめぇ、このまま負け犬でいいのか? せっかく私が力を与えてあげましたのに』
声の主が自分を召喚したヴェーラ神だと気づいた。
『そうそう、僕は君を呼んだ神。衆生は我々をヴェーラと呼ぶぜ?』
『なぜ、俺は死んだんだ?』
『なぜ? その答えには様々な種類がある。原因としては、君自身が人の気持ちを考えなかったからですわ。手法としては裏切られた結果、首を断たれた。さすがは推しキャラ、テオたん。勝つためには手段を選びませんな』
『どうして、テオが俺を……?』
『本当にわからないのですか? わからないみたいだぜ? 本当に愚かですわね。でも、いいんじゃないかな? そういうところが選抜理由なのじゃし』
『まさか、俺は本当に死んだのか? どうして?』
『あまり一個体を贔屓するのはどうかと思うけど、テオドールのやり方もつまらねぇからなぁ。敵方に入り込んで、時間をかけて権力を奪取しましたわね。それで暗殺とは、少々つまらん』
あいかわらず、人を小馬鹿にするような口調だと思った。
『最初から裏切ってたってことか……?』
『ですわね。当然だろうが。まあ、貴様の動きは悪くなかったぞ。傍から見てて、さっさと死ねよって思ったじゃん?』
『ふざけるなっ!! 俺はお前に力を貸してやったんだぞ! なのに、どうして俺が死なないといけないんだよ!!』
『僕が力を借りた? あー、なる。そういう判断なんだね。でも、私の力を使って、君も楽しんでたんじゃないかな?』
嘲るような口調にカズヒコは更なる苛立ちを覚えた。
『だって、もともとクソみたいな人生だったじゃん? だったら、良かったんじゃね? いい女も死ぬほど抱いて、好き勝手やったんだし』
ヴェーラの言うとおり、転生前のカズヒコの人生は悲惨だった。
両親はいわゆる毒親であり、精神的に虐待を受けながら生きてきた。勉強もスポーツもやる気を出せる環境ではなかった。親がコミュニケーション不全を起こしているのだから、外で他人とのコミュニケーションがうまくいくわけがない。
小学校、中学校の九年間連続でイジメられた。だが、引きこもって父親に死ぬほど蹴られるくらいなら、チョークの粉を頭からかけられたり、教科書を切り刻まれるほうがマシだった。
そんな時、酔った父親に酒瓶で殴り殺されたカズヒコは、ヴェーラによって異世界転生のチャンスをもらったのだ。二つ返事で受け入れた。
それまでの人生とは違った最初から勝ちが確定してる状態。断るほうがおかしい。
『魔王を倒す勇者になるも良し。奴隷を買ってハーレムを作るのでもいいですわ。悪徳に落ちるも、復讐に奔るも自由。唯一の条件は、本気で生きる。これだけじゃよ』
言われたとおり、本気で生きた。幸い、
圧倒的強者になって、自分をイジメていた連中や父親の気持ちがわかった。
暴力は快楽だ。
生物の本質には暴力を肯定する機能が備わっている。それは、獲物を殺して肉を喰らい、発情期にメスを組み伏し、種漬けするためのもの。
しかも、何があろうと自分は負けないのだから、暴力を振るわない理由が無い。
最初は保身のためにやり返す程度だったが、そこに正義感が乗っかり、悪党を殺すようになった。正しい暴力は酒よりも尚酔える。だが、そのうち、気づけば理由も無く暴力を振るうようになった。
虐待の連鎖という話を聞いたことがあるが、それがカズヒコには理解できた。
カズヒコは、この世界に貸しがある。
自分が殴られた分、奪われた分、誰かを殴り返し、奪い返さないと、自分の魂は救われない。このクソみたいな世界を肯定するためには必要な儀式なのだと納得した。
奴隷も買ったし、女も抱いた。前の世界じゃあ、触れることさえできない美女を好き勝手に扱えた。愛したし、愛されていたと思う。なのに、どうして満たされないのだろうか?
貸しがあるままだからだ。と思った。
自分を虐げてきた連中にやり返すことができないなら、この世界に返さなければならないじゃないか。でも、愛されたいし、感謝もされたい。尊敬されたい。自分を認めさせたい。逆らう奴や拒絶する奴は全てが敵だ。
自分にはその想いを貫く資格がある。
だって、この世界には貸しがあるのだから。
敵は殺した。悪党は殺した。気に入らないから殺してやった。
自分の敵を殺すのはいい。敵がもっと増えればいい。そう思った。
正直、国に対する反逆など、どうでも良かったのだ。
敵がたくさんできれば、自分の正しさを証明しながら、世界に奪われたモノを奪い返せる。自分のそれまでを取り戻せる。自分は間違っていなかった。この世界のほうがクソなのだ。と暴力で証明できる。
だから、運よく幸せな生活をしている貴族も国王も、陽キャもパリピもイケメンも、ありとあらゆる恵まれた連中全てを敵に回し、「俺が正しい」とわからさせなければならない。
『テオドール……』
信じていた。友だとさえ思っていた。正直、第一印象から気に食わない奴だったが、自分への忠誠心を疑ったことはない。
なのに、そんなカズヒコの想いを、テオドールは裏切った。
『あいつだけは絶対に許さない……』
不意に拍手のような音が聞こえてきた。
『復讐、いいね! そういうのしゅき。でも、贔屓はダメじゃね? せっかく用意した転生者が、こんな終わり方では、興奮しませんわ。でも、バランスってもんがあるだろーがよ? かまわんじゃろ。あーしはバランスよりエキサイティングじゃん?』
『ごちゃごちゃうるさい。俺がここにいるってことは、まだ続きを望んでるってことだろ?』
『御明察』
楽しげな口調だった。
『君のその一人よがりな嘆きで、世界を壊しちゃえ』
『神が言うことかよ?』
『人は僕を神とあがめても、妾は人をなんとも思ってない。いや、思ってはいますわ。見ていて飽きねーしよ。愛してるぜ。当然、君のことも愛してるよ。滑稽で予想外でファンタスティックで推せるし』
『だったら、やり直させろ。あのクソ野郎を殺す力を俺に寄越せっ!!』
『いいよ。その代わり――』
『言われなくてもわかってるよ』
契約の代償が、こんなことでいいのか? と思うが、いいのだろう。
『全力でこの世界での人生を楽しんでやるよ』
神の笑い声を聞いた気がした。
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