第83話

 ここ半月ほど、ヒュミナはアシュレイの事務仕事を手伝っていた。


 カズヒコの秘書としての職務もあるが、バンドラーに来てからは、その作業をテオドールに奪われてしまったから手が空いていた。やんわりとカズヒコに対して自分に任せてほしいと伝えたが、空気を読まないカズヒコは「お前は仕事なんてしないでゆっくりしてろ」と漢気を振りかざしてくるのだ。


 これ幸いとゆっくりできるほど、ヒュミナは能天気ではなかった。

 カズヒコがその気になれば、ヒュミナなど簡単に消し飛ぶほどに脆弱だし、捨てられただけでその後の末路は悲惨なものだろう。

 冒険者という荒くれものしかいないダンジョン内で自由にされたところで、まともに生きていける自信は無かった。


 だから、ヒュミナは自分の有用性を示し、カズヒコにとって取り換えのきかない存在であろうとした。

 愛情を求められれば、それに応えたし、助言を欲するならば的確な道筋を伝えた。幸い、ヒュミナは自分が、そこそこ優秀だという自覚がある。少なくとも、カズヒコよりは頭が回ると思っているし、理知的だと思う。


 様々な不安を消すために働いていたのに、その仕事を奪われてしまったのだから、ヒュミナとて必死にならざるをえない。


(可能ならば、テオドール・シュタイナーをカズヒコあれから遠ざけたい)


 そう思って、テオドールの右腕であるアシュレイに近づいたのだ。

 アシュレイならばテオドールの弱点や外に出せない情報を知っているだろうと思った。事実、アシュレイとの雑談の中にはテオドールの名前が良く出てくるし、ヒュミナもそれとなく話題がそちらへ向かうように仕向けていた。


 そういう意味で言うと、アシュレイはヒュミナの望む以上の情報を流してくれる。

 テオドールは優秀だが、女好きであり、差別主義者。亜人種を毛嫌いしているため、エルフとの混血であるヒュミナには興味が無いらしい。また西部騎士らしく人を人と思わない振る舞いをするようだが、それをうまく隠しているのだとか。


(クズということね……)


 その狡猾なクズに利用され、搾取されているのがアシュレイだった。なぜだか、アシュレイは時折テオドールを庇うようなことを言う。ヒュミナがそれとなくアシュレイがされていることは、ひどいことだと伝えても曖昧な苦笑で返されてしまう。


(善人なのでしょうね……)


 テオドールに比べてアシュレイは隙だらけだ。本来漏らしてはいけない情報をヒュミナに漏らすし、時々、書類仕事でもミスをする。だが、穏やかで優しく、時折、ヒュミナをドキリとさせるようなアンニュイな表情を浮かべることがあった。


(離れたくても離れられない事情があるのでしょうね……私と同じか……)


 ヒュミナはアドラステア王国西部と隣接するモルガリンテ獣王国出身だった。多民族国家であるモルガリンテは部族間の共和制政治を敷いているため、時々、内乱が起きる。その内乱のさい、ヒュミナの村は戦火にさらされ、奴隷として売られたのだ。


 そこからは思い出すのも嫌になるくらい最悪な人生だった。

 尊厳を踏みにじられ、物のように扱われた。幸い、自分は見た目が良かったから、性奴隷として売るため、売り出されるまでは手をつけられなかったが、周りの者たちの扱いは酷いものだった。


 どうせ買われたところでロクな人生じゃないと思っていた。

 そんなヒュミナを買い取ったのがカズヒコだったのだ。乱暴に扱われるのが嫌だったので、全力で媚びたし、擬態した。愛している風を装った。そうしていれば、大切にされるし、ひどい目にはあわない。


 カズヒコが他の奴隷を買いたがっても、文句は言わなかった。多少、嫉妬した振りをするが、匂わせ程度だ。愛してもいない男に愛してほしい、と言う自分を客観的に見て滑稽だと思ってはいる。だが、苦痛にさいなまれるよりはマシだった。


 新しく入ってきた奴隷の娘たちにも、愛する振りを徹底させた。

 誰だって自分を物のように買った男を愛することなどきるはずがない。だが、主の望みどおりに振る舞わなければ、最悪、殺されるかもしれない。生き延びるためだ。大人しくさえしていれば、食うには困らない。その点、カズヒコはいい主だったと言えるだろう。


 カズヒコはヒュミナたちを連れてダンジョンに入るようになった。戦い方を知らない奴隷に戦い方を教えると言っていた。今でも魔物と戦うのは嫌だが、そういうのがカズヒコの理想なのだからしかたがない。「エルフは弓だよな」というよくわからない理屈で弓を持たせられたが、特にうまくはならなかったし、それで問題なかった。

 カズヒコはデタラメに強かったからだ。


 戦い方を知らないヒュミナたちは当然、ピンチになる。そこをカズヒコがドヤ顔で助ける。内心、カズヒコの戦闘力に怯えながらも「さすがです」とか「助かりました、カズヒコ様」と媚びなければならない。地獄だ。


 そうやって依頼をこなしていくうちにカズヒコは、どんどんと尊大になっていった。同じ冒険者との殺し合いを経験してからは、人の命も軽く扱うようになった。元からその素養があったのかもしれないが、今では充分歪んだ人物となっている。


 そんなある日、なにを思ったか「王様になりたい」と言い出したのだ。

放っておけば、そのまま国王を殺しに行きかねなかったので、ヒュミナはどうにか知恵を絞って「ダンジョン内で地盤を固めた上で戦争をしかけましょう」と言った。そしたら「国造りでチート人材集めるか」とかわけのわからないことを言っていた。

最初はカズヒコの暴走を止めるための遅滞作戦だったが、想定外なことにうまくいってしまい、今の状況となったのだ。


(不安だ……)


 場合によってはアドラステア王国を滅ぼすことはできるかもしれない。だが、その次はどうなる? いつまでカズヒコの暴走は続くのだ? 延々と戦い続け、その果てに自分がどうなるかわからない。飽きられて捨てられるならいいが、最悪、殺されることだってあるかもしれない。


(怖い……)


 いつだって恐怖がある。可能なら逃げだしたい。両親がしていたように畑を耕しながら生きていきたい。村の若者と恋をして、結婚して、子供を育てる。

 本当はそういう生活をしたかった。

 だが、今や、故郷は燃え尽き、両親は死に、男友達は殺され、女友達は売られていった。


「ヒュミナ、どうしたの?」


 アシュレイの問いかけにヒュミナは思考の海から浮き上がる。


「いえ、少し考え事をしていました」

「もしかして疲れてる?」

「……いえ、疲れてはいません。ただ、昔を思い出していただけです」


 言いながら苦笑を浮かべる。

 もう過去は取り戻せないのだ。


「君の過去か……気になるな」

「奴隷の過去など、聞いて楽しい話ではありませんよ」

「楽しかった思い出だけ話してくれればいいよ。それも嫌なら無理して聞く気はないけど」

「そうですね……」


 ぽつりぽつりと奴隷になる前の話をした。カズヒコにさえきちんと話したことはなかった。こういう話をすると、代わりに復讐してやる、とか言い出すタイプなのだ。

 怒りが無いわけではないが、争いになって他人の血が流れるのは好きではない。


「草笛が上手だったんですよ」

「ああ、僕もよくやってたよ。少し湿ってるほうがいい音出るんだよね」

「そうそう。楽しかったな、あの頃は……」

「いつか、楽しいことはあるよ」

「そうでしょうか……」

「僕がそうしてあげる」


 その言葉に目を向ければ、アシュレイが真剣な表情でヒュミナを見ていた。一瞬だけ、目を奪われた。だが、すぐに感情にフタをするように微笑を携える。


「期待しておきます」

「うん、覚えておいてね」


 ヒュミナはアシュレイとの会話を楽しんでいる自分に気づいて、驚いた。この胸の躍る感覚が、甘い毒であることにも気づいている。酒毒にも似た陶酔感に、ほんの少しだけ酔っていたかった。


 酒精のように時が過ぎると消えると知っているのだから――


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