第82話

 アシュレイは緊張した面持ちで事務仕事を続けていた。


 税の申告書に不備や怪しい点が無いかのチェックだ。テオドールは税収を確実に取るため、商業活動をしている者たちには独自に申告させるルールを作った。


 当然、脱税をする連中はいる。


 ちなみにバンドラーにおいて脱税は、基本、死刑である。


 盟主たるカズヒコへの明確な叛逆行為となるためだ。人員が増えてきたため、申告書のチェックなどの雑務は減ってきたが、それでも金の流れを把握するには、ギルド銀行の申告やら何やらを見ないといけない。


 お金というのは大事だ、とテオドールは何度も重ねて言っていた。テオドールが言うには「金を生み出すために金を使うのが、正しい政策だ」らしい。領民を富ませ、そのうえでしっかり税を取り立てる。公共事業は新しい富を生み出すために行うものであり、一部の利権を守るためにあるのではない。ということらしい。


(僕に政治を教えてるつもりなんだろうな……)


 その辺の意図は読み取れる。


 アシュレイは「王になりたい」と言った。

 バカげた夢だ。妄言だと切り捨ててもいい。仮に、その場はアシュレイの言葉を信じた振りをしても、内心では「バカな奴」と思ってもおかしくない。


 だが、テオドールはアシュレイの言葉を信じているし、そのあと押しをしてくれていた。


(テオのためにがんばらなくちゃ……)


 改めて決意を固める。


(でもなぁ……ヒュミナさんを落とせとか言われても……)


 自分にできるわけがない。でも、やらなければならないのだ。


 念のため、女タラシで有名な冒険者に女性の落とし方、口説き方というものを習いはした。だが、全体的にゲスの極みのような手練手管だったので、参考にはならない。そもそも、あの手の連中は自分にとって都合のいい獲物を見つけることから始めるので、今回のように攻略対象が決まっている状況だと役に立たなかった。


 一応、初回のヒュミナの行動に関してはテオドールが想定していた。最初はテオドールの言われたとおりに演技をするだけでいいとは言われている。


 不意に執務室がノックされた。アシュレイの心臓が大きく跳ね上がったが、表には出さずに「はい」と答えて視線を向ける。「失礼します」と凛とした声音で、褐色のエルフが入室してきた。


 女奴隷のヒュミナだ。

 アシュレイから見ても、ヒュミナの容貌が整っているのはわかる。


 切れ長で大きな双眸。鼻筋はスッと高く、服越しにも肢体の凹凸がわかる程度に豊満な体つきをしている。なにより姿勢がいいため、奴隷でありながら見る者を萎縮させるオーラがあった。一目で奴隷だとわかるのは、首に隷属のアーティファクトである首輪があるからだろう。


「どうなさりましたか?」


 アシュレイは努めて笑顔で答えた。ヒュミナは室内を見渡しながら「シュタイナー様に呼ばれたのですが」と怪訝そうな顔をしていた。


「ああ、聞いてます。テオからヒュミナさんに相談しておいてほしいことがあると言われてまして」


 言いながら椅子に座るよううながした。内心ではテンパっているが、アシュレイもアシュレイで、死線を越えまくってきている。感情を押し殺し、偽る術は体得していた。


 テーブルを挟んで応接ようのソファーに向かい合うようにして座った。この椅子とテーブルもテオドールが強引に用意した高級品だ。


「実は三十七階層への進軍に関して、カズヒコ様の軍勢本隊と合流する必要があります。その際に生じる追加予算や兵糧の件での相談です」


 言いながら書類を手渡した。


「どうしてカズヒコ様をお呼びにならないのですか?」

「いや、そうですね……その、まあ、いろいろありまして……」


 言いにくそうに言い淀む。無論、芝居だ。

 ヒュミナは悟ったのか、一瞬だけ、怜悧な眼光を灯してから「察しました」と言う。


「シュタイナー様はカズヒコ様と仲がよろしいのですね」

「カズヒコ様はともかく、テオはただの女好きだよ」


 という設定である。


 カズヒコを連れて娼館を巡っているのは、テオドール本人も楽しむためだというわけだ。あえて人間としての隙を用意しておいたほうがいいらしい。感情的に侮蔑できる者を、人は脅威と思いにくくなるそうだ。


「ですが、予算の件はシュタイナー様と話さなくていいんですか?」

「そっちの管理は僕に一任されてるんだ。実は……」

「そうなのですか?」


 少し驚いたような口調だった。


「まあ、どっちの手柄とか、そういうのはいいんだよ。姫様さえ助けられれば」


 と苦笑いを浮かべる。無論、演技だ。

 さりげなく、テオドールがアシュレイの成果を、さも自分のモノかのように振る舞っているという印象を与えるためだ。


 実際のところ、事務仕事を手伝っているのは事実だし、決定権の多くは移譲されているが、その土台を作ったのはテオドールだ。とにかくテオドールの仕事は速く、かつ正確である。


「できれば、急いで決めたい案件なんだ。可能ならば、この場で確認して承認をもらいたい」

「けっこうな量ですね……」

「カズヒコ様への確認は必要かな?」

「……この量でしたら、私の判断で問題ないかと」


 この量の判断だと、カズヒコが嫌がるという意味だろう。テオドールの読みどおりの反応だった。


「お茶でもいかがですか? 三十六階層原産のハーブティーがあるんです」

「いただけると助かります」


 アシュレイは笑顔でハーブティーを用意した。


 このハーブティーにはリラックス効果があるらしい。同じティーポットから自分のカップにも注ぎ、先に口をつけろとテオドールには言われている。アシュレイが飲まないと安心して口をつけないからだそうだ。


 実際、アシュレイがハーブティーを飲んだ後にチラリと視線を向けてきた。その後、ヒュミナもハーブティーを口にする。


「おいしいですね」

「お気に入りになられましたら、用立てますよ」


 などと歓談しつつアシュレイは別の作業を進め、ヒュミナも書類のチェックを進めていく。


 ヒュミナは、ところどころ問題点や議論しなければならない個所を指摘してきた。あえて、会話をするために用意された箇所を、見事に指摘してくる。


(ていうか、テオ、どこまで読み切って、この書類作ったんだろ……)


 全てテオドールが準備したものだし、その後のヒュミナの発言も全てテオドールの想定どおりのものだった。


「多少、懸念点は残りますが、大筋、問題ないかと思います」

「それはよかった。ここでダメだったら、また徹夜になるところだったよ」

「人員を増やしますか?」

「いや、増やしてもらってるよ」

「その割にはおひとりのようですけど?」

「みんな、テオと一緒に仕事がしたいのさ。彼は優秀だからね」

「……卑下する必要はないかと思います。この資料もわかりやすくまとめられています」


 アシュレイは驚いたように目を見開いてから、涙をポロポロと流しはじめた。


「どうしましたか?」

「いや、ごめん……違うんだ、なんでだろうな……」


 言いながら涙をぬぐっていく。

 無論、演技である。まさか本当に泣けるとは思わなかったが、こういう時だけ女優だった母に感謝する。よく涙は女の武器だと言っていた。


「なんか、久しぶりに……誰かに……褒められた気がするよ」

「シュタイナー様はアシュレイ様を評価なされないのですか?」

「テオはなんでもできるから……僕程度の仕事じゃあ、認めてくれないんだよ。僕もがんばってるつもりなんだけど……」

「その……あまり無理をしないほうがよいかと」

「そう……だね……無理か……してないよ……」


 している風を装った。テオドールが言うには、ヒュミナがテオドールの想定どおりに狡猾なら、ここで提案してくるはずだ、と言っていた。


「私で良ければ、相談に乗りますよ」


 テオドールのことをおっかないな、とアシュレイは思った。同時にヒュミナに対しても、少しばかりの恐怖を感じる。


 この提案はヒュミナにとって善意ではない。

 まったくの善意ゼロではないのかもしれないが、それよりもテオドールとアシュレイの関係を悪化させるための行動らしい。

 ここでアシュレイを篭絡したり、恩を着せることで、テオドールの動向をうがかう駒にできる。それくらいは考えている、とテオドールは言っていた。


「でも、君はカズヒコ様の……」

「たしかに隠れて会って話をするのは難しいとは思います。でも、カズヒコ様とシュタイナー様は最近、仲がよろしいようですから」


 二人して娼館に行っている、今日のようなタイミングを使え、と言っているわけだ。

 全てテオドールの読みどおりに行っているのが怖い。アシュレイだったら、この場ですぐ頷くのだが……。


「ありがとう……でも、僕もテオにバレるとまずいんだ……」

「仕事の話をするだけですよ?」

「あいつ、すごく嫉妬深いから……君みたいな美人と二人っきりで話してるって知ったら、なにをしてくるかわからないよ」


 と、意味ありげにアンニュイな表情を浮かべろ、と言われた。


 設定的にアシュレイはテオドールから強引に男色関係を結ばされてるということになっている。実際、そういう噂もあるので、それを利用しろ、ということだ。


 テオドールが言うには人は自分と同じ境遇にある者に対して「哀しみ」を持って共感する時、庇護欲に掻き立てられるらしい。また、一般論だが、仕事のできる女性は常に緊張状態にあるため、気を張らなくていい相手に惹かれる傾向にあるのだそうだ。女傑がダメ男に引っかかるのはよくあることらしい。


「あなたも大変なのですね……」


 という具合に共感の言葉を引き出した時点で、ほぼ勝ち確だとテオドールは言っていた。

 カズヒコの手前、ヒュミナは自分の境遇を辛いものだと言うことができない。匂わせることも、自分の命を危険にさらす行為だ。


 だが、自然とそんな言葉が出てきてしまったら、ほぼ共感なり同情の感情を持たれている可能性が高い。気を緩めているともいえる。ハーブティーの効果もあるだろう。


「お互い、変に見た目がよく生まれついた結果、大変だよね……」


 アシュレイが苦笑を浮かべたが、ヒュミナは無表情に応える。


「これで生き延びることができました。私は力だと考えています。あなたも、この力で得られるだけのモノを手に入れるべきです」

「……君は一人で戦ってきたんだね、ずっと」


 その言葉にヒュミナが止まった。


「僕にできることがあったら、なんでも言ってほしい。アレでテオは僕の言うことなら、大抵のことは聞いてくれるからさ。もし、一人になりたい時があれば、テオに言ってカズヒコ様を外に出してもらうよ」

「ええ、覚えておきます」


 微笑を浮かべ、ハーブティーを飲んだ。


「さっきはああ言ったけど……また話せる時間、作ってもいいかな?」

「ええ、お互い、主人にバレないようにでしたら」


 イタズラを画策する少女のようにヒュミナは笑った。


(おっかないな……)


 テオドールが言うには、これも全てヒュミナの演技らしい。

 本心が出ている部分もあるが、八割はアシュレイとテオドールの離間工作のための演技だということだ。この時点では、まだ六割くらいでアシュレイのことを疑っているのだとか。


 ヒュミナは奴隷の身分にまで墜ち、カズヒコの力を利用し、成り上がってきた女傑である。絶対に上っ面の表情と美貌に騙されるな、と釘を刺されていた。


(それが本当なら、タヌキとキツネの化かし合いだよ……)


 などと思いながら、アシュレイもアシュレイで演技を続けるのだった。


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