第80.5話

 男の精神は限界に至っていた。男は両手両足を縛られたまま床に転がりながら自分の不運を呪う。


(俺がなにをした? どうしてこんなことに……)


 男は自分が何者なのかさえ覚えていなかった。だが、自分を打擲する者たちは男のことをビャクレンと呼んでいた。

 日の差さない地下においては時間の流れも曖昧だ。だが、定期的に誰かがやってきて、ビャクレンを痛めつけながら「知ってることを話せ」と拷問してくる。


 目を潰され、既に両手の指も全て切り落とされている。

 いや、切り落とされているだけなら、それでいい。最悪なのは、魔術による再生だ。傷が癒え、ふさがったところで魔術によって強引に指を生やしてくるのだ。その時の痛みは、指を落とされた時以上の激痛に襲われる。


 そろそろだ。

 そろそろ落とされた指を生やされる時期だ。

 あの激痛には、もう耐えられない。


「誰か、助けてくれ……」


 ここから解放されるならなんだってする。知ってることを話せと言うなら全て話す。だが、ビャクレンはなにも知らないのだ。

 自分が何者かさえわからなかった。


「あの天才ビャクレン坊が、まさか、こんな様になるとはな……」


 不意に声がした。

 今まで聞いたことの無い声だ。

 


「誰だ?」

「自ら記憶を飛ばしたみたいね。さすがというかなんというか……」


 もう一人いる。女の声だ。

 暗闇では把握できない。


「助けてくれ! 俺はなにも知らないんだ! 本当だ!!」


 泣きじゃくりながら叫んだら、二人の気配がため息をついた。


「少し痛むぞ」


 瞬間、自分の頭をつかまれる。

 電流が奔ったように体がビクッと跳ねる。呼吸ができずに口から泡を吹く。同時に頭の中が攪拌される。白紙のキャンパスに絵具が雑にぶちまけられるイメージ。その絵具がやがては絵になり、映像になり、記憶として再構築されていく。


「あぐぁっ!!」


 不快感に胃の中のモノを全て吐き出す。


「オウカにマリムラか……」


 ビャクレンは全てを思い出した。

 自分がなぜ拘束されたかを。同時に拷問されていた記憶が精神をむしばんでいくのがわかる。男がため息をつく。


「派手にやられたな、ビャクレン」


 マリムラの呆れたような声にビャクレンは「どうやってここを……?」と尋ねる。そんな中、オウカがビャクレンの拘束を解いていった。


「こちらも西部の蟲は監視してるわ。その動きで、なにかがいるってことはわかるわよ」

「それはいい。どうやって、ここまで来たか? と尋ねている」

「雇い主を使ったのよ。ローエンガルドと蟲のお姫様を社交界に連れ出したってわけ」


 オウカの言葉にマリムラが「護衛はそちらに注力される」と答えた。そして続けて問うてくる。


「しかし、お前がここまでやられるのは意外だな。誰にやられた?」

「テオドール・アルベインだ。奴は戻ってきてるのか?」

「いや、蝶とペンローズのご令嬢と共に行方知らずだ。雇い主は喜んでたよ」

「まだ、死んだとは決まっていない」

「どういうことだ?」

「転移の特殊天慶ユニークスキルを使った」

「じゃあ、お前以外の全員死んだってことか……」


 マリムラのつぶやきに「ああ」とうなずく。

 ビャクレンの特殊天慶ユニークスキルは魔術の無効化でも、転移能力でも無い。

 特殊天慶ユニークスキルの継承能力だ。契約を結んだ相手が死んだ場合に限り、その特殊天慶ユニークスキルを継承し、使用できるようになる。ただし、ビャクレンが殺した相手からの継承は成されない。


 ビャクレンはオウカに肩を借りながら立ち上がろうとしたが、足の健を切られていることを思い出し、治癒魔術・改弐メガ・ヒールで傷を治していく。


「指も治してあげたいんだけど、あなた、魔術効かないから」

「いい。指が無くとも魔術を使えれば、戦える」


 損失した肉体を再生させるには治癒魔術・改参ギガ・ヒールでなければならない。ビャクレンには治癒魔術・改弐メガ・ヒールまでしか使えないため、足の健を再生することしかできなかった。


「どうにか歩けるな」


 治癒魔術ヒール系の魔術は怪我をした直後が最も効きやすい。時間が経てば経つだけ、効果が薄れてくるし、消費魔力も増えてくる。

 そのままオウカに助けられながら歩いていく。暗い廊下を二人とともに進みながらもビャクレンは油断していなかった。不意に前を行くマリムラが尋ねてくる。


「西部の小鬼は、お前でも勝てなかったか?」

「レベルが違う。ここにいる三人でかかっても、余裕で皆殺しだ。アレにはかかわらないほうがいい」

「生きてること前提だな」

「アレが死ぬとは思えん。魔力量がバケモノ染みてたよ」

「あなたの転移魔術で飛ばしたんでしょ? どこに飛ばしたの?」

「正確な座標はわからんが。十年分の寿命を使った。数百から数千キロマトルだろうが、あの階層はそこまでの広さが無い。おそらく、他の階層に飛ばされただろうな」

「本当にわからないの?」

「本当だ」


 そこで違和感を覚えた。


「お前ら、喋り過ぎじゃないか?」


 瞬間、マリムラがビャクレンの首をつかんで壁にたたきつける。


「知ってることを話せ、ビャクレン!」

「ぐっ!」


 知っていることは話した。知らないことを話せと言われても無理だ。だが、それ以上に、この状況がわからない。

 ビャクレンの記憶を戻す術式は、自分と同じ組織の人間しか知らない。しかも、幹部クラス。マリムラやオウカもそうだ。


(いや、どうして失敗した人間の回収に幹部が二人も動く……?)


 来たとしても一人だ。

 部下を数名引き連れて……。


「……裏切ったな、貴様ら!!」


 即座に魔術式を構築。熱光奏射ライトニングの閃光がマリムラの腕を狙う。閃光に視界が白む。今の魔術でマリムラを捉えきれてないのは気配で察知。すぐさま魔術式を構築。


「無駄だ!!」


 叫ぶマリムラ。まともにやりあえば、今のビャクレンには勝てない。


(十日……)


 寿命を捧げ、マリムラを数メートルほど飛ばす。飛ばした先にゼロ距離で熱光奏射ライトニングが発動。マリムラの頭が焼き切れた。


「オウカ、どういうことだ!?」

「全部、あんたのせいよっ!!」


 怨嗟の叫びに合わせて火球操炎・改弐メガ・フレイムが放たれる。だが、ビャクレンの特殊天慶ユニークスキルに魔術は通用しない。すぐさま、目くらましだと気づき、投擲されたナイフを躱した。


「俺のせいだと!?」

「あんたが寝てる間に、私たちは西部の蟲と戦争することになったのよ!!」

「どういうことだ?」


 いくらなんでもありえない。

 西部の蟲が中央の蟲と抗争するなど、バカげている。それこそ、西部と中央の戦争になりかねないではないか。


「あんたがテオドール・アルベインに手を出すからぁぁっ!!」


 オウカが袋を空中に投げる。その中には小さな鉄球が入っていた。オウカの得意技だ。鉄球を高速で飛ばしてくる魔術。術式相殺オフセットでは消せず、魔術障壁さえ貫く物理魔術弾丸バレット

 並みの相手なら、オウカの魔術でハチの巣だろう。


(二日……)


 壁の岩を強引に目の前に転移させ、即席の盾とする。これでオウカも、こちらには来れないだろう。即席の壁越しに声をかけた。


「まさか、負けたのか?」

「……殲滅されたわ。それこそ、蟲の一族郎党全てよ。疑わしきは全て余すことなく容赦なく皆殺しね」

「どうしてお前らは生きてる?」

「……仲間を売ったからに決まってるでしょ? そうしないと地獄が……」

「どうしてこんな芝居を?」

「蟲のお姫様は、テオドール・アルベインにご執心だからよ。どんな手を使ってでも、居場所を特定したいみたいね。それをするために、私たちを壊滅させた」


 イカレてる、と思った。

 蟲は確かに侮蔑の対象として扱われる。だが、それでも中央の諜報機関だ。今でこそ特定の人物の私兵と成り下がっているが、これは西部と中央が戦争を開始する火種になりかねない。


「雇い主は知ってるのか?」

「知らないわよ。知らせる前に潰されたんだから。あのバカが気づいた頃には、なんの証拠も残ってないでしょ」

「生き残って主の元へ行けばいい。それで終わりだ」

「それができると思ってるの? あいつら、全員、バケモノよ」


 捨て鉢になってる声が聞こえた。


「私たちは政争の道具。あっちは戦争の道具なの。考え方が違うわ。落としどころなんて見つけない。最初から相手を打ち滅ぼすための最善手を選んでくる」

「……なら、お前も用済みになれば殺されるだろ?」

「私たちの尋問なんて甘かったのよ、あいつら、本当にイカレてる……あなた、体の内から虫に食われる感覚知ってる? 殺してって叫んでも殺してくれなくて、強引に生かされるのよ! 狂うことすら許されない!」

「そうか」


 もう既にオウカは狂っているのだろう。

 オウカは女の蟲の中では、トップの実力者だったが、責め苦には耐えられなかったらしい。同様の責め苦をビャクレンも受けてはいるが、記憶を取り戻し、元のビャクレンに戻った今となっては、既に過去のことだ。


「死が望みなら俺が楽にしてやる」


 壁越しに熱光奏射ライトニングを発動した。苦しまないように縦横無尽に光線を奔らせたのだから、即死だろう。


(俺は怒らせてはいけない相手を怒らせたらしいな……)


 そう思いながら長い廊下を歩いていく。階段を上がると屋敷の廊下に出た。人の気配は無い。ビャクレンは考える。

 どうするべきか?

 ほぼ間違いなく自分は死ぬだろう。


(なのに、なぜ、気分が高揚している?)


 それこそ、圧倒的な強者であるテオドールと相対した時に感じたモノに近い。


(俺はテオドール・アルベインに勝った。アレは楽しかった……)


 殺せてはいない。それはわかっている。だが、あの場では確かに自分が勝った。


 だが、もし、この先に待ってる地獄で命を落としてしまったら、せっかくの勝ち星が消えてしまう。


(それは受け入れたくはないな……)


 クスリと笑いながら玄関の扉を開いた。


 屋敷の前には完全武装をした西部の蟲と騎士たちが待っていた。見えているだけで数十人いる。おそらく、逃げ道を作らないために、屋敷を囲っている者もいるだろう。魔力感知サーチを奔らせても全てを捉えきれないだろう。確認できただけでも五十人はいる。


(一対五十から百人くらいか……)


 無理だ、勝てない。

 どうあがいても終わっている。


 蟲たちの中心にいた女が一歩前に出てきた。


「テオ様の居場所はどこですか?」


 リュカと呼ばれていた女だ。リュカ・グラナドス。蟲の姫の偽りの姿。


「それはオウカたちにも聞かれたよ。同じ答えですまないが――」


 嘘でもテキトーなことを言えば、あるいは慈悲を持って殺してもらえるかもしれない。


「――仮に知っていたとしても、俺が口を割ると思うか?」


 ニヤリと笑ってみせる。無意味な強がり。無意味な挑発。わかっている。


「俺はテオドール・アルベインに勝った男だぞ?」


 ビャクレンの言葉を受け、殺気が迸る。空気が尖る。その場に居並ぶ眼光全てが自分を食い殺そうとする獣の眼に見えた。


 だからなんだと言うのだ? ビャクレンは今、死に瀕して、楽しんでいる自分に気づいていた。


 これまでの人生全てが灰色にくすんでいく。


 組織は滅び、自分が糧としていた規律も教えも灰燼に帰した。全て無意味だ。ビャクレンの存在全てが無意味となった今、誇れるのはテオドールとの闘争のみである。


「安心しろ、テオドール・アルベインは生きている」

「そうですか」

「次は殺す。次なら確実に勝てる。その確信が今の俺にはある」


 ハッタリも甚だしい。あのバケモノに勝つ? 今は無理だ。だが、それでも自分は勝てたのだ。なら、次にも同じことができるだろう。


(そのためには、ここを突破しなければな……テオドール・アルベインと殺しあうよりはマシな状況だ)


 覚悟を決めたビャクレンを見据え、リュカはニコリと微笑んだ。


「あなたをこの場で殺すのは簡単です。でも、それではテオ様が負けたままになってしまいますね。それはとても、よくありません。西部の騎士道ならば、このまま活かして帰すという選択もあるかもしれない」


 そう言ってしばらく何か考えていたが、小さなため息をついた。今までの微笑が嘘かのような鋭い視線を投げてくる。


「――でも、私は蟲で騎士じゃない。お前は今、この場で虫けらの如く死ね」


 ドスの効いた声と同時にビャクレンめがけて無数の魔術が叩き込まれる。ビャクレンは嗤いながら魔術式を構築した。


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