第77.5話D

火球操炎・改弐メガ・フレイム!!」


 巨大な火炎が五人に飛来する。五つの人影は左右に別れるように飛びのいた。その左側めがけてヒルデは疾駆する。


「人の逢瀬を邪魔するのは貴様かぁっ!」


 拳が人影の目を叩く。いや、拳ではない。親指だ。


 ヒルデは男の眼窩に親指をねじこみ、そのままひっかけるように体を崩した。叫び声が響く。それに合わせて怒声が響き、男たちがヒルデに殺到する。ヒルデは男の体を盾にするように魔術や斬撃を躱す。


 普段のヒルデならば、このまま逃げおおせたかもしれない。


 だが、今のヒルデは違う。

 酒毒に侵され、体に力が入らない。それでも決意と覚悟による覚醒はしているが、体の不調を誤魔化すことはできなかった。


 弓矢がヒルデの足を射抜くと、膝から崩れた。


(ここまでか……)


 冷静に状況を把握していた。

 今さら死を恐れはしない。恐れるのはヒルデ・ヴァンダムという人間の名誉が毀損されることだ。


(仕留められたのは一人だけとは……酔ってるとは言え、情けない。ま、あと、二、三人は道連れにしてやるか……)


 襲撃者たちが警戒しつつ近づいてくる。もう少し近づいてきたら魔術を叩きこんでやろうと思った瞬間、矢を射られた。


「遠くからチマチマと……酔っぱらい一人に情けないと思わんのか!?」


 叫びながら火球操炎・改弐メガ・フレイムを放つ。だが、あっけなく術式相殺オフセットされ炎が消えた。酒のせいで天慶スキル化してない魔術は使えない。魔術式を構築できないからだ。


(……だが、まあ……リーズレット様を逃がすことはできた……)


 そこは満足している。


(白馬の王子様にはなれたかな……)


 苦笑を浮かべた目の前に誰かが立った。両手を左右に開き、盾になるかのように。


「下がりなさい、下郎ども!!」


「リーズレット……様……?」


 意味がわからなかった。

 逃げているはずだ。逃げるべきだ。リーズレットは騎士ではなく王子に守られる姫なのだ。


「お逃げください……私はいいのです!」

「あなたが良くても私はよくありません!!」


 前を向いたままリーズレットが叫ぶ。襲撃者たちも、少しばかりうろたえた空気を出した。リーズレットは狙いではないようだ。


「冒険者に騎士道を説きはしません! ですが、あまりにも卑劣! あまりにも非道だとは思いませんか! 勝てないからと言って、こんな手段を選ぶなんて!」


「どけ! その女騎士さえ殺せれば、こっちはそれでいい」


 襲撃者の中の一人が叫ぶ。そうだ、それでいい。だが、お前は殺す。道連れにしてやる、と覚悟を決める。だが、リーズレットが邪魔だ。邪魔なのだ。


「リーズ様! 下がってください!」

「いいえ、下がりません。私も戦います。だって、あなたはいっぱい傷ついてきたのでしょう?」


 その言葉にヒルデは返す言葉を失う。


「あなたの経緯は知っています。結果、今のヒルデになったのだから、その半生を私は評しません。でも、あなたの最期は穏やかであってほしいと思う。辛いことばかりあって、こんな最期なんて私は同じ貴族の娘として納得できません!」


 胸が熱くなった。その熱は一瞬で全身に広がり、目頭を焼いた。意味もわからず、視界が歪む。涙が流れているのだと気づいた。


(そうか……私は……ずっと……)


 慰めてほしかったのだ。自分の不幸を理解し、わかってもらいたかった。


(守ってほしかったのだ……こうして……ああ、本当は誰よりも……)


 白馬の王子を求めていたのは自分だったのだ。


「下郎ども! 悪いことは言いません、引きなさい。今なら見なかったことにして許してあげるわ!」


 凛とした叫び。だが、ヒルデの位置からはわかる。

 リーズレットは震えている。怖いのだ。それを隠しながらもヒルデを守ろうとしている。


 襲撃者たちは目配せする。覚悟の色が瞳に灯る。

 矢を男が番える。

 せめて自分が盾になろうと前に出た瞬間――


「助けて、テオドール……」


 リーズレットの震えた声を聞いた。すぐさま体をつかみ、自分が盾となって矢から守ろうとした瞬間、雷鳴が轟いた。


 意味がわからない。


 いや、それどころか目の前にいたはずのリーズレットの姿が消えている。

 遅れて聞こえてくるのは襲撃者たちの断末魔の声だ。

 目の前で起きている想定外の出来事を、ヒルデは虚脱しながら眺めていた。


(いたんだ……本当に……私の理想の……)


 まるで震えていたのが嘘かのようにリーズレットは襲撃者を素手で圧倒していた。その動きは歴戦の騎士よりも尚、洗練されている。


 すぐさま逃げようとした者に向けてリーズレットが背後から稲光を放つ。

 夜陰を引き裂く稲妻が容赦なく敵を焼いた。


 更に、震えて動けなくなった男に雷が叩き落された。

 圧倒的だった。


 惚けながら跪いていたヒルデの元にリーズレットが戻ってくる。

 肩で息を切らしながら、その両目には涙を浮かべていた。襲撃者の帰り血にぬれたその姿を、ヒルデは美しいと思った。


(本物の王子様……)


 理想がそこにいた。


「大丈夫?」


 差し出す手が震えている。この震えを止めることができるなら、この命を差し出してもいい。ヒルデはリーズレットの白い指先をそっと包むように手を握った。


「リーズレット様……」


 守るべき騎士が守られた。

 それを心地よく思っている自分に気づく。


「どうか、あなたの側に置いてください。この身も体も全て、あなた様に捧げます」


 視界が歪む。心から本音と共に涙があふれ出す。そんなヒルデを見て、リーズレットは驚き、苦笑を浮かべた。


「それは少し重いわね……」


 生まれて初めて、本物の白馬の王子に出会った瞬間だった。


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