第77話
『そっちはうまくいってるのね、さすがはテオね』
頭の中で響くのはリーズレットの声だった。通信のアーティファクトでの定期連絡の時間である。テオドールは執務室で書類仕事を片づけながら、リーズレットと会話をしていた。これまでの経緯と進捗を説明し、現状、転生者軍がミルトランを攻めることが無いことを伝える。
『そっちはどうなんだ?』
『こっちはこっちでうまくやってるわ。前にも言ったとおり、ヒルデと他幹部の中は最悪なままよ』
テオドールとアシュレイがミルトランを脱出した。その原因がヒルデということで、リリアやラースなど幹部たちはかなり怒ったらしい。無理も無い。テオドールは戦力として、かなり有用なのだから。
それでもヒルデはテオドールとの狂言であることは言わなかったらしい。結果、主戦派とそれ以外の関係性は悪化の一途をたどっている。
そんな中、リーズレットはリーズレットでラースたちの仕事を手伝いつつ、ヒルデとも交友を深めているらしい。リーズレットの政務能力は、テオドールよりも高いため、かなり重宝されているようだ。
『ヒルデとの関係も良好ね。彼女にしたら私はお家再興の鍵だし、無理も無いわ』
『その忠誠心を本物にすべきだな』
『ええ、そのためにいろいろ準備は進めてる』
『リーズだから大丈夫だと思うけど、直接的な謀略はやめておいたほうがいいぞ。特にヒルデみたいなタイプは、裏切られたと気づけば、君でも関係なく斬るだろうからな』
『わかってるわよ。お父様も言ってたわ。駒は動かすんじゃない。自ら動くように仕向けろって。そのためには、駒の全てを知る必要があるって』
クスリと笑う気配を感じた。
『その点、冒険者って人種はわかりやすくていいわ。扱いやすいもの』
『欲望に忠実な人種だからな……』
『そうね。それに感情的。自分にとって都合よく振る舞ってくれる人間に裏があるって思ってないもの』
『それはすごくわかる。でも、ヒルデには気をつけろ。アレも西部で姫をやってた人間だ。君のことを敬うフリはする』
『ええ、わかってる。でも、あの人もどちらかというと単純なタイプの騎士ね。政治家と言うより、現場指揮官タイプ』
実際、考えなしになんの裏工作もせずに宣戦布告をするところが、政治家というタイプではないのだ。だが、謀略家ではある。強引に宣戦布告することで、ミルトラン全体を無理やり主戦派にしたのだから。
『で、今後はどうするんだ? ミルトランの幹部会で影響力は増やせそうか?』
『今はまだ無理ね。幹部会にも参加できてないわ。でも、一つ策がある』
『どんな?』
リーズレットは自分が考えている謀略をつらつらと並べ始めた。
『という感じでうまくやれば、ヒルデを完全に私の騎士にできると思う』
『……危なくないか?』
『大きなリスクを取らなきゃ、大きなリターンは無いわよ。今回に限っては時間が勝負なんだし。テオだって無茶な一騎駆けしたじゃない』
『アシュレイとの二騎駆けだけどな』
『策として可能性があるかどうかの判断だけ欲しいわ』
『……うまくいけば、ヒルデを篭絡する可能性はあると思う』
『なら、やるしかないわね』
『……危ないと思ったら方針は変えろよ』
『わかってるわよ。あなたのためにがんばるわ、テオドール』
『俺のためと言うなら、自分の身の安全を第一に考えてくれ。君の動きは腹案でしかないんだから』
『ええ、わかってる。でも、私はテオの力になりたいの』
そう言って『大好きよ、テオ』と付け加えてきた。本来ならば「俺も大好きだよ」と答えるべきなのだろうが、そんなことを言えばリーズレットは余計に無理をするようになるだろう。だから言わない。
『そろそろ君の魔力も限界が近いだろう。また七日後の同じ時刻に連絡する』
『ええ、わかったわ。テオもがんばってね』
『ああ、リーズもな』
そこで通信を切った。
同時にため息をつきながら椅子の背もたれにもたれかかる。
人の感情を利用するのは得意だ。
そうしないと生きてこれなかったから。
でも、女性の自分に向けられる好意を利用するのは、罪悪感がはんぱない。
(なんらかの形で責任を取らなければ……)
妻として迎え入れるのはフレドリクの手前、難しい。ギリギリ可能なラインとしては、テオドールがリーズレットの愛人になるということだろう。リュカやレイチェルという妻のような女性が二人もいる愛人というのも変な話ではあるが。
不意にノックの音がしたので「どうぞ」と答える。
入ってきたのはキャシーだった。ペコリと頭を下げながら「まだお休みになられてないのですね」と心配してくるような視線を投げてくる。
「処理しなきゃいけない雑務があるからな。君もこんな時間にどうしたんだ?」
「いえ、その……明かりが見えたので……」
なにやらモジモジしていた。
「どうした? なにか困っていることでもあるのか? 悩みがあるなら聞くが?」
「テオ様は……その……」
扉の前で立ちながらモジモジしている。
「ど、どうして私に、その……手を出されないのですか?」
「はえ?」
なにを言っているのかわからない。
「その、拾われたのは、そういうことが目的だと思ったので……」
性欲処理のために連れてこられたと最初は思ったのだろう。現地妻のようなものだ。自分が不能だから安心しろ、と言うのはたやすいが、あまり大っぴらに言いたいことではなかった。
「俺には仕えている姫がいる。その方に顔向けできないようなことはしないよ。だから、安心しなさい。少なくとも、俺は君にそういうことを強要はしない」
キャシーはショックを受けたようにうつむいていた。
「わ、私は嫌ではありません……知らない人に……強引にされるくらいなら……初めてはテオ様のような……その……」
予想外な返答に困惑する。
(え? キャシー、俺に惚れてる? アシュレイじゃなくて?)
確かに危険なところを助けたし、その後も可能な限り紳士的に対応してきたつもりだ。だが、女性というのはアシュレイのような美男子に惚れるとばかり思っていたので、そんな感情を自分に向けられるとは思ってもいなかった。
(どう答えるべきだ?)
そもそも自分には愛する元妻が二人いる。この二人との関係を飛び越えて、別の女性と懇ろになる気は無かったし、不能だから懇ろにはなれない。
だが、ここでキャシーとの関係性に亀裂が入るのも避けたかった。
彼女は事務員として、かなり有能だ。仮に西部で貴族をしていた場合でも、なんならスカウトしたいレベルで使える人材なのだ。
今、このタイミングで離れられると困る。非常に困る。
「お、俺は君のように真面目に働く女性を好ましいとは思っている」
何か期待を込めるような目で見られた。だが、穏便に可能な限り傷つけないようにお断りしなければならない。
「だが、今の俺には色恋にかまけている余裕は無いし、なにより、その、妻が二人いる……あと、もう一人、そういう関係になりそうな女性もいる……」
「貴族様は平民も愛人になさると聞きました。テオ様がよければ、その……」
グイグイ来るなと思った。
「いや、君はとても魅力的な女性だ。でも、そういう愛人だとかは俺一人で決められる話じゃないんだ」
「奥様たちがお許しになられれば、よいということでしょうか?」
「え? いや、まあ、そうかもしれないが……落ちつけ、キャシー。平民が貴族の愛人になるなんてオススメしないぞ。若いうちはいいかもしれないが、魅力が無くなれば捨てられるのがザラだ」
「テオ様はそういうことをなされる方なのでしょうか?」
「いや、しないけど……てか、そもそも愛人を囲うつもりも無いよ。俺にはそんな資格が無い」
実際は貴族を辞めたただのヒモなのだ。ヒモがパトロン以外の女性を囲うなど、外道も甚だしい。さすがに、そこまで墜ちることはできない。
「では、テオ様のお仕事を手伝い続けます。お傍に置いてください」
「え? いや、まあ……ダメだ。待て待て! 俺は君の気持ちに応えることはできない」
「それでもかまいません。私はテオ様のお力になりたいだけです」
リーズレットみたいなことを言うな、と思った。
「君は充分、俺の力になってくれてると思う。感謝はしている。だが、俺は妻を愛している……」
「はい、それでもかまいません。ただ、お傍に置いていただけるだけでいいんです」
健気だが、グイグイ来るな、と思った。
まあ、既に身よりもなく、女一人で冒険者だらけの土地で生きていくのは大変だろう。キャシー自身、下級冒険者程度の腕前ではあるのだが……。
「……今すぐ答えを出すことはできない。だが、留意はしておくよ」
「ありがとうございます! これからもがんばります!」
ペコリと頭を下げて部屋を出ていった。
テオドールはため息をつきつつ椅子にもたれかかる。
(これが噂に聞く職場恋愛というやつか……)
なまじっか有能だから拒絶するのも難しい。
だが、部下として傍に置くために、その恋愛感情を利用するというのも、罪悪感が生じてしまう。
(不能でよかった……)
でなければ、きっと間違いは起きていただろう。
「いや、良くはないだろ……不能だぞ……」
先ほどより深いため息をつきつつ、仕事に没頭することで、人間関係の面倒事を棚に置くテオドールだった。
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