第68話

 アシュレイとリーズレットに今後の方針を伝えた日の夜、テオドールはリーズレットの部屋にきていた。

 リーズレットは自分のベッドの上に座り、テオドールは彼女を見下ろすように前に立っていた。


「それじゃあ、これから天慶スキル贈与の儀式を始めるよ? 準備はいい?」

「え、ええ……」


 リーズレットは緊張した面持ちでゴクリと唾をのんだ。


 天慶スキルの贈与は粘膜接触で行われる。元々は性を利用した魔術信仰からはじまったそうだ。男女間でならば、性交渉で贈与をするのでもかまわないが、一般的には互いの指や手を傷つけ、その傷口を接触させながら行われる。


 だからこそ、天慶スキルの贈与は信頼できる者にのみ行われるのだ。やたらめったら天慶スキルを贈与する者は病気になって死ぬ確率が飛躍的にあがるらしいし、相手がなんらかの病気だとそれが感染する可能性もあるのだとか。


 テオドールはナイフで自分の親指を傷つけた。それを見て、リーズレットも自分の親指をナイフで傷つける。テオドールはリーズレットの前にひざまずき、握手するように傷口を合わせた。わずかな痛みを感じる中、テオドールは目を閉じる。


「我らが氏神たるヴェーラに奉る……」


 祝詞を述べると同時に親指が熱くなってきた。


「汝が氏子たるテオドール・アルベインと……」

「汝が氏子たるリーズレット・ペンローズは……」

「「汝が聖名みなヴェーラにおいて下賜されし天慶を、汝が教えをひろめるために共に有すことをねがたまう」」


 指先から体の境界線が消えていくような錯覚を覚えた。これが天慶スキルの贈与の感覚なのかと驚く。というのも、テオドールは、これが生まれて初めての天慶スキル贈与の儀式だからだ。


「与えし天慶スキルの聖名は<雷鬼心降臨助けて、テオドール>」

「……た、賜わりし天慶スキルの聖名は<雷鬼心降臨助けて、テオドール>」


 次の瞬間、リーズレットが「んっ!」と声をこぼした。天慶スキルの情報が全身に流れているのだろう。テオドールの手を握る力が強くなる。しばらくしてから、リーズレットが息を荒げる音が聞こえた。


「う、氏神ヴェーラに……礼を奉り……給う……」


 リーズレットの締めの言葉を聞いて、テオドールは目を開けた。リーズレットは汗をびっしょりかき、顔を赤らめ、目が蕩けていた。


「どうしたの!?」

「ど、どうしたも……こうしたも……」


 言いながらベッドの上に倒れてしまう。


「す、天慶スキル贈与が……夫婦とか……恋人同士で……行われる理由が……わかったわ……」

「大丈夫!?」

「す、すごく疲れたから……休ませて……」


 もし、自分が不能でなければ、今のリーズレットの扇情的な表情に欲情していてもおかしくない。


(まあ、性魔術から発展してるから、天慶スキルを贈与されるほうは性的快楽に似たモノを感じるって言うからな……)


 男の場合は射精感に似た快楽があるらしい。贈与する側はこれと言って特に気持ちいいわけではないのだが……。

 さすがに、このままリーズレットの痴態を眺めているわけにもいかないので「じゃあ、失礼します」と立ち去ろうとしたら「待って」と声をかけられた。


「……傍にいて」

「え? あ、はい……」

「手、握ってて」

「え? あ、はい……」


 再び、ベッド脇に跪き、リーズレットの手を握った。どうにもいたたまれない気分になってくる。


「普通……天慶スキル贈与って、愛情のある者同士で行われるモノなんでしょ?」


 リーズレットのくぐもった声にテオドールもゴクリと唾を飲み込んだ。


「……あ、愛というか信頼関係じゃないかな? 同性同士でもやるし」


 剣術でも魔術でも師から弟子に贈与されることはある。その場合、むつくけき中年男性から中年男性に贈与される。弟子のほうが快楽を感じるという絵ずらを想像して、滑稽だな、と思った。思うようにした。思うようにしてリーズレットという存在を意識の埒外へと放り投げる。冷静にならなければならない。


「……こんな……いけない感じのことなんて……思わなかったんだけど……?」

「え? いや、その、俺も初めてだったので……その、どういう感じになるか、わかっていなくて……その……ごめん……」

「テオも……初めてだったのね……」

「あ、はい……」

「テオの初めては私ってこと?」

「そうなりますね……」


 テオドールの師はヴァーツヤーヤナを含め、何人かいるが、軒並み天慶スキルの贈与による技術の相伝を嫌っていた。剣術の師が言うには、天慶スキルの贈与は劣化は無いが、同時に進化も無いのだそうだ。

 あと、ヴァーツヤーヤナによれば、天慶スキル贈与の快楽は危険だそうだ。特に心と体が成長しきっていない子供だと、頭がパーになってしまうらしい。


 よって、テオドールは魔術も武術も、単純な訓練で培ってきた。


「そっか……私がテオの初めての相手か……」


 なんか瞳を潤ませながらも、ニヤニヤと笑っていた。リーズレットの感情がよくわからない。


「……責任取らなくちゃね」

「え? なんの責任?」

「責任は責任よ……未婚の貴族令嬢に、こんなことしたんだから……」


 どう返答すべきか考えながら言葉を紡いでいく。


「……こんなこと言いたくないんだが、リーズ……俺は責任という言葉が嫌だから、貴族や騎士をやめたんだ」

「しれっと最低なこと言ってるって自覚ある?」

「……自覚はあるけど、それでも俺は自由がいい」


 リーズレットは寝ながらため息をついた。


「じゃあ、一つだけお願い聞いてくれる?」

「なんでしょうか?」

「キスして」


 なにを言っているのか、一瞬、わからなかった。


「私だって一人で戦うのは怖いの。でも、テオのためなら、がんばれる……」


 ぎゅっと手を強く握られた。


「いや、リーズ、君はなにを……」

「あなたが好きよ……テオドール……」

「落ち着くんだ、リーズ。今、君は性的快楽で頭がパーンってなってるだけで……」

「昔からずっと好きなの」

「リーズ! それ以上は――」

「どうして? 私のこと嫌い?」


 声がかすかにふるえていた。


「いや、嫌いじゃ……ないよ……ただ、意外だったと言うか……てっきり嫌われているものだとばかり……」

「あなたを前にすると素直になれないの。そうね、今の私は頭がパーンってなってるんでしょうね……だって、思ってたことを言えてるんだもの……」


 どう答えるべきか思考が高速回転する。


 リーズレットのことをどう思っているか? と問われれば、人間として好感を持っている。彼女はとても優秀だし、尊敬できる人物だ。女性として見ても、とても魅力的だと思う。お互いに平民であったなら、何も考えずに申し出を受け入れていたかもしれない。

 だが、テオドールとリーズレットの関係は複雑だ。家同士のあれそれに関わってくる。それもアルベイン家にペンローズ家だけではなく、リュカやレイチェルの家にも波及する問題なのだ。

 個人の感情で簡単に決めていい話ではない。


「俺は平民だ。それにリュカやレイもいるし、不能だし……」

「それを知った上で好きだって言ってるのよ」

「……君やフレドリク様が望むように、俺は貴族や騎士に戻りたくないんだ」

「知ってる」


 気だるそうな所作で体を起こしてきた。そのまま真剣な目でテオドールを見つめてくる。


「別に結婚してほしいとか、恋人にしてほしいって望んでるわけじゃないの。私だって、今のテオにそんなことを要求したりしないわよ」


 透徹な視線には、覚悟の色がこもっている。


「想いを伝えようとは思ってたの。だって、お互い、死んじゃうかもしれないんだから」


 その言葉にテオドールの思考が止まった。


 自分はそれほどの決意をもってリーズレットに頼んでいなかったのだと恥じた。

 彼女ならできるだろう、と楽観的に考えていたのだ。実際、リーズレットならうまくやってのけるだろう。だが、そこにどれだけの決意や勇気が必要かまでは考えていなかった。


「あなたに生きていてほしいし、私も生き延びたい。あなたが好きだから」


 ここまで言われて、体裁や面子、自分の信条ばかりを考えるのは自己中心的すぎると思ってしまった。

 リーズレットの真心がこもった言葉には、こちらも誠心誠意答えなければならないだろう。それが、どんな結果を招くとしても。


「……俺もリーズを人として好ましく思ってるよ。ただ、俺は貴族として育てられたから、君が抱いている恋愛感情のようなモノはよくわからない……」


 婚姻は政治の道具だったし、貴族が好きになった人と結ばれる可能性は極めて低い。

 そういう環境で生きていたし、何より戦漬けの人生において色恋に思考を割いている時間は無かった。そんなテオドールにだって、リュカやレイチェルのことを大切に想う気持ちはある。だが、それが世間一般的な恋愛感情と等しいか? と問われれば、わからないと答えるしかない。


 人は簡単に死ぬ。母や父のように。


 愛した者が死ぬのは辛いから、殊更、感情にフタをしているのかもしれない。

 結局のところ、自分は臆病な人間なのだろう。心を凍らせなければ、西部で生き抜くことはできなかった。

 リーズレットだって同じはずなのに、彼女は茨の道をあえて進んでいる。喪失による心痛を受け入れる覚悟がある。


(勇敢な人だ……)


 自分には無い強さを持っている。それだけで、テオドールはリーズレットを尊敬できた。


「俺には愛や恋はわからないけど、それでも……リーズのためにできることをしたい」


 可能な限り、と言いかけたが飲み込んだ。この想いはきっとリーズレットの感情と等価交換にはならないだろう。それでも、向けられた好意に対して可能な限りは返したいと思うのだ。


「なら、キスして。それで、勇気をもらえるから……」


 リーズの言葉を受け、テオドールは立ち上がってベッドの淵に座った。そのままリーズレットを壊さないように抱き寄せる。優しく唇を重ねた。触れるようなキスで終えたのは、リュカやレイチェルの顔が脳裏を過ぎったからだ。

 罪悪感はある。とてもある。でも、ここでリーズレットの想いを拒絶できるほど、器用ではなかった。人生はままならない。

 そっと唇を放す。


「……キスしちゃった」


 リーズレットが小さくつぶやいた。白く細い指で自分の唇に触れながら、テオドールを見つめる。綺麗だな、と思った。それこそ、平民の少女が恋をするように明け透けな感情が瞳に宿っている。およそ貴族令嬢らしくない。


(あ、好きかもしれない……)


 気位と品で完全武装していた少女が、裸の感情を見せてきた。その予想外な落差に脳が誤作動を起こす。これまで、ここまでリーズレットをかわいいと思ったことは無かった。

 思い返せば、テオドールへの当たりの強さも彼女の素の感情だったのだろう。


(リーズママって呼んでもいいかな? いや、でも、リーズはママって感じじゃないんだよな……妹……? でも、年上だし……年上の妹……?)


 などと、思考が混乱してしまう。人生はままならない。

 リーズレットが目じりに涙を浮かべながら微笑んだ。


「テオを大好きで良かった……」

「うん、俺も大しゅき」


 思わず言い返してしまうテオドールだった。


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