第59.5話
ランプの光だけがほの暗い闇を照らしていた。コツコツと革靴を叩く石畳の音だけが狭い道に反響して響いている。涼しいというより肌寒い湿った空気。ともすれば、率先して近寄りたくない場所だろう。
リュカはマグダラス邸宅の地下通路を一人歩いていた。
石造りの地下道は、いざという時の逃げ道であり、同時に表にできない後ろ暗いことをする時に使われる。
例えば、御禁制の薬物の貯蔵庫、ダンジョンから密輸してきたアーティファクトの保管庫、あるいは拷問部屋。
木製の扉には鉄輪のノブがついている。ドアノブを引けば、ギギギと分厚い扉が軋みながら開いた。室内は廊下と違って灯りが灯っている。アーティファクトによる光源があるのだ。
部屋の中央には目隠しをされた男が一人、椅子に座らせられている。脇にある机には二人の男が座っていた。男たちはリュカの入室に気づいたかのように立ち上がる。
「どう?」
拷問対象を見据えながら平坦な声を発する。
「……自己催眠の突破はできませんでした」
申し訳なさそうに男は報告してきた。リュカは「そう」とだけ言って、拷問対象である男、ビャクレンへと近づき、無造作に目隠しを取った。
ビャクレンは怯えた目でリュカを見上げ、すぐに逸らす。
「知らない。本当に知らないんだ……なにも……自分の名前さえ、わからないんだ……」
ビャクレンの左目は潰れているし、その端正な顔つきはパンパンにはれ上がって見る影も無い。リュカは無造作にビャクレンの頭をつかみ、魔術解析を始める。微弱な電流が流れるせいか、ビャクレンは「ひっ! やめっ!」と叫んだが、気にせず続けた。
ビャクレンとテオドールの戦闘後、リュカはすぐさまビャクレンを拘束し、レイチェルの伝手でマグダラス商会の者と連絡を取った。そのまま配下の蟲にビャクレンから情報を取り出すよう命じた。
だが、ビャクレンは意識を失う前に自己催眠で人格を変えていたのだ。生み出されたのは何も知らない青年だった。
(もとの人格に戻るためのカギがあるはず……)
でなければ、一生、この人格のままだ。考えられるのは他の仲間との接触で元の人格に戻るとかだろう。あるいは、証拠隠滅のために本当に人格を漂白した可能性すらある。
「やめでぐれぇぇっ!」
精神魔術は思考を弄られる不快感に襲われるものだ。チューニングが難しいため、乱暴なことをすれば、そのまま廃人になりかねない。別にそれでもかまわない、と思いかけたところで手を放した。
ビャクレンが涙を流しながらうめく。その姿を冷然と見ながら内心で自戒した。
(壊してしまっては、テオ様の手がかりを失ってしまう……)
ため息まじりに踵を返し、拷問担当の男へと視線を向けた。そのまま視線の動きだけで部屋から出るようにうながす。扉を閉めたところで、リュカは男をにらんだ。
「……本当になにもわからないの?」
「はい。敵ながら完璧な自己催眠です」
蟲としては一流だろう。自分を追い込み、テオドールと戦えたのだ。更に複数の
「リーズレット様の件は大丈夫でしょうか?」
リーズレットは西部でも有数な大貴族の侯爵令嬢だ。当然、正式にではないが、彼女の護衛もマグダラス商会が請け負っている。
「……まだ言えるわけがない」
隠したところでいずれは知れることだが、遅延工作はしておきたい。
リーズレットの父であるフレドリク侯爵が、どういう行動に出るのかまではリュカには読めないからだ。最悪、もし、リーズレットが死んでいたとなれば、自分の命をもって謝罪するしかないだろう。
だが、謝罪するならするで、それ相応の成果は必要だ。「敵に好き勝手やられただけで終わりました」より「敵にもそれ相応の報復をしました」のほうがいいに決まっている。
ただでさえ、蟲という存在は騎士たちに軽んじられるのだ。これはリュカ一人の問題ではなく、一族全ての進退に関わると言っていい。
「……シャンカラという蟲は有能みたいね」
「かなり」
「中央の蟲はレベルが低いと聞いてたけど……?」
「全体のレベルは低いと思いますが、中にはいるものですよ」
「……有能な駒が生きてると知ったら、助けに来ると思う?」
「それは……」
男は黙り込む。
「ゼロではないかと……」
「なら、蜘蛛の巣を張りなさい」
蜘蛛の巣を張るとは、罠を張るという蟲の隠語だ。
「了解しました。ですが、現状の戦力ですと戦闘向けの者が少なく……」
「私も出る。それでも足りないようなら、レイ様の侍従を借りればいい」
「カーマ殿とパフィー殿ですか?」
二人は生粋の西部騎士であり、レイチェルの父であるグスタフと共に幾多もの戦場を駆け抜けてきている。真正面からの戦闘だと、リュカでも分が悪いだろう。
「正直なところ、過剰戦力だとも思うけど、テオ様の件に関してはレイ様の面子も立てる必要がある」
「了解しました。ですが、あの二人が、大人しくこちらの麾下に入るでしょうか?」
「レイ様の命令なら問題ない。そこは、私がうまくやる。計画については、こちらでまとめておく。以降は、下命があるまで待て」
「はっ! もし、首魁がわかったら、どうなさりますか?」
「状況次第ね。全てはテオ様が決めること……でも……」
もし、テオドールが死んでいたなら……。
「テオ様とリーズ様が御帰還なさらなかった場合、王族だろうと関係ない。国を滅ぼしてでも、その決断と行為を後悔させる」
「御意。では、それに備えて西部から戦力を補充いたします」
言うなれば、王国相手に戦を始める、と言っているのだが、なんの躊躇も無くうなずく。それが西部の気風だ。主君がやると言ったらやるのだ。
「そうね、お願い。仮にテオ様が戻ってきたとしても、中央の蟲は間引く必要がある」
青い焔のような怒りが、リュカの胸中に灯っていた。
「これは、我ら一族の沽券にもかかわる。誰に喧嘩を売ったのか、血の制裁をもってわからせなければならない」
「はっ! 全力で叩き潰します」
覚悟を決めた男から視線を切り、その場を立ち去る。一人になったところで、リュカは己の胸元を掻きむしるように服をつかむ。
(テオ様……どうかご無事で……)
ただただ祈ることしかリュカにはできなかった。
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