第24話・8/14修正版
今夜、テオドールはレイチェルの元で世話になる。
そのため、夕食後、リュカはマグダラスの邸宅に戻るつもりだったのだがレイチェルに「泊まっていってください」と言われた。断るのも失礼だったので、申し出を受け入れ、リュカはあてがわれた寝室で眠る準備をする。
不意に部屋の扉がノックされたので「どうぞ」と無表情に返しつつも警戒心は緩めない。レイチェルのことを疑ってはいないが、自然と構えてしまうのは蟲に染みついた業だ。
「ご、ごめんなさい、リュカ、少しお時間いいかしら?」
おずおずと尋ねてくるリーズレットにリュカはニコリと微笑みながら「どうぞ。私もリーズレット様とはお話したかったので」と答える。
リーズレットはそのまま寝室へと入ってきて、差し出された椅子に腰かけた。リュカも椅子に座りつつ「なにか飲み物でも用意させましょうか?」と使用人を呼ぶベルへと手を伸ばしかけたところで「いえ、大丈夫」と辞去された。
「夕食の時、聞きましたがリーズレット様は本当に勉強熱心でございますね」
「私にはそれくらいしかできないからね。それを言うなら、リュカのほうがすごいわよ。テオと一緒に戦に出たりしていたのでしょう?」
「……私はレイ様やリーズレット様のように貴族の娘として生きる才に欠けていますので」
「そんなことないわよ。あなたはすごいわ。素直に尊敬する」
「ありがとうございます」
軽い世間話を入れつつ「ところで、どうなされたのですか?」と心配そうな表情を作る。
「……情けない話なんだけど、聞いてくれる?」
「私で良ければ」
「……テオの前で普通に喋れない」
リーズレットは頭を抱えてうなだれていた。
「子供の頃はそんなこと無かったのに、テオが騎士になってから、なんか真正面から見れなくて……」
「たしかに、そうでしたね……」
「テオ……かっこよすぎるよぅ……」
顔を真っ赤にしながら両手で顔を隠していた。
要するにリーズレットはテオドールを好き過ぎて素直になれないのだ。本人を目の前にすると照れてしまい、素直になれず、それを隠そうと躍起になって攻撃的な口調になってしまうそうだ。
(いつもと同じ相談……)
昔から相談内容は同じだ。
「私、テオに嫌われてないかな?」
「テオ様はリーズレット様をお嫌いにはなりませんよ」
「どうしたら、素直になれると思う? あなたも妻としてテオのことを愛しているのでしょう? コツを教えてほしいの!」
「テオ様に嫌われることは無いと信じることでしょうか? 仮に妻として女として愛されなくなっても、私は家臣として自分の価値を証明するつもりですので」
「無理だよぅ……自信なんて無いよぅ……」
才女と称されるリーズレットだが、こと色恋となると、とたんにポンコツになってしまう。リュカはそんなリーズレットに人間として好意を抱いていた。嫌いにはなれないのだ。
「はあ~……こんなことになるなら、お父様に頼んでテオとの婚姻話を進めてもらっておけばよかった……」
テオドールは気付いていないが、リーズレットは昔からテオドールに惚れている。それこそ、平民の娘のように全身全霊でテオドールに恋しているのだ。
貴族の結婚というものは、半ば仕事のようなものである。いわゆるビジネスパートナーであり、平民のような恋愛感情を抱くことは少ない。
リュカの場合はテオドールのことを、夫として主君として騎士として敬愛している。妻という職務を全うすることが、臣下としての忠義だと定めていた。そのため、同じ妻に対する嫉妬心は理性で押し殺している。自分が嫉妬することで、テオドールの心配事を増やしては側室失格だからだ。
レイチェルもリュカ以上に貴族の娘として振る舞っているのだろう。他の妻というのは同じビジネスパートナーを持つ職場の仲間だとリュカは思っているし、レイチェルもそう認識しているはずだ。だから、うまくやれている。
リーズレットは有能であり、家柄も申し分なく、貴族令嬢としての教育を受けてきているため、テオドールにとって有益な結婚相手だと考えていた。同じ職場の仲間として迎え入れることに反対する理由など無い。
以前までは……。
「そうですね。テオ様は、レイ様のように穏やかな女性がお好きです」
「今日の私、ぜんぜん穏やかじゃなかったよぅ……」
「あと、教養のある女性もお好きですね。ご自分の知らないことを知っている方を素直に尊敬されます」
「教養なら自信があるわ!」
「それと幼い頃にご母堂様を亡くされておりますので、年上で包容力のある女性がお好きです」
「二歳年上だし、包容力……包容力かぁ……」
「あと、胸の大きい女性もお好きなようです」
「胸なら、そこそこあると思う!」
言いながら自分の乳房を寄せたり上げたりして確認していた。どちらかというとスレンダーなリュカからすると、うらやましくもある。
それでも、心を病んでいた時のテオドールはリュカの胸に顔をうずめたまま泣き言を述べることがよくあった。そんな泣きじゃくるテオドールを見ながら「私がこの方を支えなければ」と強く思ったものだ。
当時を思い返すだけで、今でも忠誠心が胸を甘く締め付ける。
「おしとやかに包容力をもって、胸を強調する感じでいけば、テオも私にメロメロになってくれるかしら?」
「おそらく……ただ、テオ様は警戒心のお強い方なので時間はかかるかと思います」
「五年以上のつきあいなのに……どうして私には心を開いてくれないんだろう……こんなに好きなのに……」
「殿方は追われると逃げると申しますし……」
「でも、追いかけないと、忘れられちゃうでしょ……追放されてから手紙の一つも寄越してこなかったし」
「……スヴェラート様の勘気にリーズレット様やフレドリク様がさらされるのを避けただけかと」
と、取り繕いつつもテオドールがドライな性格であるのは事実だ。
実際、リュカやレイチェルも一度捨てられているし、二人が自ら行動しなければ、テオドールは一人で旅を続けていただろう。
本気で全てを捨てる覚悟を決めていたようだから、それも無理は無い。妻として寂しくはあるが、次はそんな決断をさせないためにも、深く心の中に入り込むつもりだ。
「リュカ、私、今でもテオと結婚したいの……許してくれる?」
「私の許可など必要ありませんよ。リーズレット様がテオ様の妻となるのでしたら、それは喜ばしいことです」
「ありがとう、リュカ……私、がんばるわ」
「はい、応援しています。ですが……」
言いかけて一瞬、口ごもったが、やはり言うことにした。
「……私はテオ様が貴族に戻ることは反対です。もし、リーズレット様が、テオ様を西部に戻そうとお考えでしたら、私は賛同しかねます」
リーズレットは少し黙ってから「やはり追放は本人の希望なのね……」と嘆息した。リュカはその言葉には応えず、黙ったままリーズレットの次の言葉を待つ。
「……なら、私もいろいろ考えないといけないわ。自分の意思だけで貴族を辞めるというわけにもいかないもの。リュカやレイがいなければ、テキトーな家の嫁に入って、テオを愛人として囲うって手もあったけど……さすがに愛人の愛人ごとってのは世間体がね……レイに至っては侯爵令嬢だし……」
貴族の結婚はビジネスであって恋愛ではないため、次期当主などを産んで育んでしまえば、夫婦ともに愛人を囲うことは珍しくない。
「あなたはどうするの?」
「私はもともと蟲の家の出です。父がテオ様とヴォルフリート様に気に入られ、爵位をいただきましたが、生粋の貴族ではありません。父から義絶の了承は得ておりますし、必要とあらば平民になる準備はできています」
「グスタフ様も元は冒険者。レイも同じ感じなのかしら?」
「おそらく……」
「わかった。私も考えておく」
「……本当にいいのですか? ペンローズ家は私やレイ様と違って古くから続く家ではありませんか」
「そうね、生粋の貴族よ。でも、おば様は平民になって商家に嫁いだし、たぶん大丈夫よ」
フレドリクが許すかどうかはわからない。だが、それをストレートに言うのは憚られた。リーズレット本人だってわかっているだろう。
「であるのでしたら、私はリーズレット様の恋路を邪魔する気はございません」
「ありがとう、リュカ」
嬉しそうに微笑む黒髪の美少女を、やはり嫌いになれそうにないな、とリュカは思った。
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