第23話・8/14修正版

 食堂に入ると既に女性が一人おり、手持無沙汰そうに席についていた。

 その人物の顔を確認した瞬間、テオドールの足がピタリと止まる。


「テオ様、どうなさ――」


 後から入ってきたリュカも、その人物に気づいたようで、目を丸くしていた。


「久しぶりね、リュカ」


 女性は椅子から立ち上がり、こちらへと歩み寄ってくる。


「ペンローズ様、お久しぶりです」


 リュカはすぐさま貴族令嬢として頭を下げた。


 長い黒髪の美少女は嬉しそうにクスリと笑い、リュカのもとへと更に近づいてくる。勝気な瞳はリュカをまっすぐ見つめ、背筋を伸ばしたまま優雅な歩調だ。レイチェルとは、また違った凛然としたたたずまいの貴族令嬢である。


「リュカに会いたくてレイにお願いしちゃったの。驚かせてごめんなさい」


 そう言ってから笑顔を消し、ビシッとテオドールを指さしてきた。


「だから、あなたに会いに来たんじゃないんだから! 勘違いするんじゃないわよ! テオドール!!」


 対するテオドールは貴族時代のように笑顔を貼り付ける。


「当たり前じゃありませんか、ペンローズ様。今の私はしがない平民……」

「少しくらい勘違いしなさいよ!」


 どっちだよ? と思ったが表情には出さない。


 リーズレット・ペンローズは、フロンティヌス公爵家の家宰であるフレドリク・ペンローズの娘である。テオドールがアルベイン家の家督を継いでから、なにかと会う機会があったため、旧知の仲ではあった。


 リーズレットはテオドールを指さしたまま手を上下に振りながら声を張る。


「あなたのそういうところがダメなの! そうやってすぐにへりくだって! もう少し自信とか持ちなさいよ!」

「申し訳ございません」

「すぐに謝らなくていいって言ってるでしょ!」


 どないしろと? と思ったが、表情には出さず苦笑を浮かべた。


 なぜだか知らないが、リーズレットは、テオドールと会うたびに、プリプリ怒ってしまう。嫌われているのかな? と思って距離を取ろうとすると、それはそれで怒ってくるので、よくわからない。


(いい人ではあるんだけど……)


 リーズレットはテオドールより二歳年上だった。フレドリクの娘だけあって頭脳明晰な才女だ。特に政治の才能を持っており、自らの手腕で新しい農業方法を開発したり、金融業で莫大な利益を得たりしていた。

 そしてその金を使い、戦災孤児のための孤児院を経営したり、戦で夫を亡くした未亡人たちの働き場所を作り出していたのだ。

 テオドールがフロンティヌス家から追放された頃になると、フレドリクに代わって領地経営で辣腕を振るうこともあったらしい。


(でも、女性にきつい感じの口調で話しかけられると、アンを思い出して、ビクってなる……)


 昔のリーズレットは優しい年上のお姉さんだったのだが、テオドールが十四歳になった頃くらいから、プリプリ怒りだすようになってしまった。会うたびに「いきなり話しかけてこないで!」とか言われ、挨拶しなければしないで「どうして挨拶一つもしないのよ!」と手紙を送ってくる始末。


 他の人と話す時は隙の無い貴族令嬢なのに、なぜだかテオドールを前にすると感情的な少女になってしまう。

 定められた役割を演じることが得意なテオドールにとって、役割を逸脱するタイプの人間とのコミュニケーションは苦手な分野だった。


(あのフレドリクの娘ってこともあって、あまり得意な相手ではない……)


 だが、そんな感情は一切表には出さず「ははは、相変わらずお綺麗ですね」と世事の一つを口にすれば、リーズレットは顔を真っ赤にして黙り込んでしまう。

 地雷を踏んだのかもしれない、と思い「申し訳ありません。差し出がましいことを口にしました」と謝罪すれば「だから、謝らなくていいって言ってるでしょ」とモゴモゴ言っていた。

 やはり、どう対処したらいいのか、わからない。


 そんな風に困っていたら、レイチェルが「では、お食事にしましょう」と朗らかに声をかけてきてくれた。リーズレットも「そうね」とたおやかに微笑んだ。


(やはりわからない人だ……)


 各々椅子に座り、レイチェルがホストとしてリーズレットに話を振っていた。

 話を要約すると、西部は、やはりいろいろとまずいらしく、フレドリク的にもリーズレットを安全な中央に置いておきたいそうだ。

 中央の政治を勉強する意味も込めて、リーズレットは留学してきたらしい。


(それだけが目的じゃないだろうけど……)


 フレドリクは、リーズレットにとっていい父親だと思うが、それはそう演じているだけにすぎない。と、テオドールは思っている。


(あの人にとったら、全員、駒だからな……)


 フレドリクのすごいところは、誰にもそういう人物だと思わせないところだろう。


 表面上は穏やかで人徳のある人物の振りをしつつ、裏では謀略を巡らせ、他人を思いどおりに操る。リーズレットが貴族令嬢でありながら政治手腕を発揮しているのも、フレドリクにとって、そちらのほうが都合がいいからだ。


 テオドールがフレドリクの危うさに気づいたのは、彼の行動や言動をいろいろ分析していった結果「もしかして、この人が全部やってんじゃね?」と思ったからである。


 正直なところ、事実に気づかなければ良かったと思った。


 テオドールがフレドリクの酷薄さに気づいたと悟られた瞬間、謀殺される可能性があったからだ。

 テオドールは己をフレドリクにとって有能な駒だと定め、表面上はフレドリクを敬い、そこから絶対に逸脱しないように振る舞ってきた。


(リーズレット様には悪いが、かかわりたくない……グスタフのおっさんは、まだいい……とは言えないけど、フレドリクは本当に苦手なんだ……)


 レイチェルの父であるグスタフは、死ぬほど怖い。リュカはテオドールを強いと評するが、グスタフに比べれば霞むというものだ。グスタフはもともとアウレリア法王国出身の冒険者であり、勇者認定されていた男だ。


 若い頃は相当ブイブイ言わせていたらしく、いくつものダンジョンを踏破し、魔王を一人討ち滅ぼした後、故ヴォルフリートに喧嘩を売ってきた。そこで、ボコボコにされたらしい。戦場で三度挑んで、三度負けた後、「我が家臣となれ」とヴォルフリートに乞われ、家臣となった伝説を持つ男である。


 ちなみにグスタフは裏切りの勇者ということで魔王指定されていた。同時に二人も魔王がいた土地などフロンティヌス領くらいだろう。


 などと、グスタフにはいろんな逸話があり、関わりたくないのだが、その性格や考え方は非常にわかりやすい人物ではあった。


 しかし、フレドリクはわからない。わからないから、近寄りたくない。


 よってテオドールは、なんとなくリーズレットにも苦手意識を持っていた。

 絶対に表には出さないが。


「西部は大変なのですね……」

「そうね。今まではどうにかお父様が家宰として取り仕切っていたけど、役を外されてしまったから……」


 リーズレットの言葉にテオドールは目を見開く。黙ったままのテオドールに代わってリュカが口を開いた。


「次の家宰はどなたに?」

「カーチス・サーハスリー侯爵様よ」


 終わったな、と思った。

 カーチス・サーハスリーは歴史こそ古い侯爵家の出だが、能力の低さ故にヴォルフリートに冷遇されていた人物だ。

 無能、とまではいかないが、自分の能力全てを自分の利益を最大化することにしか使わない。その程度の能力はあるのだが、俯瞰して見た時、全体的な損失が大きくなる。

 早い話、超自己中で、忠誠心も誠実さも無く己の利益と贅沢を追求する男。というのがテオドールのカーチス評である。


 そんな人物と暗愚なスヴェラートが組めば、どう考えても崩壊していく未来しか見えなかった。


「私は詳しくわからないけど、境界戦線の貴族たちの動きも不穏なようね」


 リーズレットの発言の後、重い沈黙が横たわる。


(……おそらく、リーズレット様は、こういうことを俺の前で言うようにフレドリクに誘導されてるな)


 その証拠にテオドールの胸中に罪悪感が生じていた。


 だが、あのまま残っていれば、確実に内乱の旗手としてフレドリクに利用されていただろう。スヴェラートを倒すことはできたかもしれないが、公爵家を滅ぼすということは、すなわち王家に弓引く行為である。


 当然、アドラステア王国も敵となり、アウレリア法王国にモルガリンテ獣王国も含めた三正面作戦が始まるのだ。

 たしかに西部には優秀な人材はいる。今なら中央貴族の軟弱さも理解しているので、やってやれないことは無かったかもしれない。


 だが、そんな戦ばかりの人生など、絶対に嫌だった。


(このタイミングでリーズレット様が、中央に来たってことには裏がある。フレドリクの目的は、おそらく彼にとって有用な駒だった俺を手元に戻したいってことだろう)


 自分がフレドリクという怪物だったらどうするか? と考えを巡らせる。


(リーズレット様を使って俺を篭絡する……というのはミスリードだ。間違いなく隠された別軸が本命だろうな。その方法まではわからないが、俺が西部に戻らざるを得ない状況を作ると同時に俺が中央にいられないようにするだろう。レイとリュカが俺の近くにいることは把握しているだろうし……)


 フラッシュアイデアでいくつか謀略の方法が思い浮かんだが、精査をする必要がある。同時に対抗策を講じておかなければ、西部へ戻らざるを得ない状況を作られかねない。


(家宰を外されたなら、フレドリクは全力で俺にちょっかいをかけてくる可能性が極めて高い。あの人、俺に執着してたし……)


 好かれたら死ぬほど厄介だが、嫌われれば殺されるかもしれない。そんな人間関係は御免こうむりたかった。


(フレドリクの手が俺に回らないくらい仕事で忙殺するくらいしか対抗策が無いな……)


 手段を選ばなければ、いくつか方法は思いつくが、人がたくさん死んでしまう。


(フレドリクには家宰に戻ってもらうしかない……が、そのためにはカーチス卿を失脚させなければならない)


 内心でテオドールはほくそ笑んだ。


(スヴェラート様は暗愚だ。うまく蟲を使えば、勝手に暴走してくれる……カーチスを失脚させるのは、それほど難しくない)


 いくつか頭の中でシナリオ案が並ぶ。詳細は詰める必要があるが、大枠だけでもリュカの父であるザルフに提案すれば、うまいこと動いてくれるだろう。と、そこまで考えてから、ゾッとした。


(いや、待て。そう俺が動くと読んでるんじゃないか? 俺がフレドリクを嫌ってるとまでは気付いていないだろう。でも、俺はフレドリクが家宰でなければ、フロンティヌスが滅びるとは思っている。俺がそう思うことまではフレドリクだって把握している。俺がフレドリクのために動くことまで計算している可能性が……)


 極めて高い。


(俺を手元に戻すことより家宰に戻ることが目的としては上位ってことか。権力志向強いしな、フレドリクって……でも、まあ、有能であることは確かだし、あの人が家宰である限りは、もうしばらく西部は保つ)


 このままフレドリクをヒマにしておけば、それこそテオドールを西部に引き戻すための工作に注力しかねなかった。


(……リュカやレイの周辺でいろいろゴタつけば、切り捨てるという判断が今の俺にはできない)


 テオドールにとってリュカやレイチェルは弱点である。

 そこを攻められたら、否が応でも反応せざるを得ない。そして、およそはかりごとたぐいは相手の嫌がることを率先して行うのがセオリーだ。


(その点、フレドリクは無敵だ。娘のリーズレットでさえ、その気になれば平気で切り捨てる。ほんと、あの人、動かしづらいし、動かそうと悟られた瞬間、詰むんだよな)


 明日から実習だというのに、暗澹たる気分になってくる。


(中央まで逃げてきても、また俺はフレドリクの駒か……まあ、いい。望みどおり動いてやるさ。今はそれしか方法がないし。リュカからザフルに言伝を頼もう)


 内心でため息をつきつつ謀略の絵図を描きはじめた。


「そ、それでテオ、あなたの生活のほうはどうなの?」


 不意にリーズレットに話しかけられたので微笑みながら答える。


「問題なく過ごせています。もとより貴族暮らしは自分の性には合っていなかったようです」

「い、一応、元許嫁がみすぼらしい生活をしてるのは忍びないわ」


 いつ許嫁になったのだろうか? と思ったが口にはしない。おそらくフレドリクがそう言っていたのだろう。そんな気配はあった。


「テオ、なにか困ることがあったら言ってきなさい。い、言っとくけど、あなたを心配したわけじゃなくて、私の許嫁って肩書を汚すわけにはいかないってだけなんだからね! 勘違いするんじゃないわよ!!」

「御心使い感謝します。ですが、本当に大丈夫です」

「……ど。どうして断るのよ? 私からの施しは嫌ってこと?」

「今の私は貴族ではなく平民です。ペンローズ様になにも返せるものがございません。そのお気持ちだけでも私には過分のものですよ」


 リーズレットに含みは無いのだろうが、テオドールとしてはフレドリクにだけは借りを作りたくない。それに、これ以上、強引にヒモとしての寄生先を増やさないでほしい。


 なぜかリーズレットが泣きそうな顔になったところでレイチェルが口を開いた。


「では、リーズ様、こうしましょう。今、私とリュカ様でテオ様を支えております」


 言い方は穏やかだけれど、要するにヒモである。


「もし、必要なものがありましたら、私からリーズ様にお願いする形でどうでしょうか?」

「それもそうね……あなたやリュカの面子もあるでしょうし……ごめんなさい、踏み込みすぎたわ」

「いえ、お気になさらず。今となっては私も離縁しておりますので、面子もなにもございませんよ」


 穏やかに自分を下げつつ場を取りなし相手を立てる。レイチェルは本当にこういうことがうまい。


「ああ、それと、テオ様、リーズ様は明日からクロフォード学園に入学します」


 驚きはしない。そうなるんだろうな、とは思っていた。


「勤勉なペンローズ様らしいですね。ですが、深く学びたいのでしたら、お世辞にもあの学園はいいとは言えませんよ。平民や下級貴族も多く、野蛮で粗野な者が多い」

「……なによ? 私が入学するのが嫌なの?」

「滅相もございません。ただ、ペンローズ様の貴重なお時間を無駄にさせたくないだけです」

「中央の政治を学ぶには民と触れ合うのも大事でしょう? その点、クロフォード学園は身分の垣根が無いと聞いてるわ。そういう実地からでしか学べないこともあると思う」


 思いのほかしっかりした動機だった。


「明日からダンジョンの実習なのでしょう? 私もテオのパーティーに参加するから」

「はははは」


 もう笑うしかなかった。


「そ、そういうわけだから……あ、明日からよろしく頼むわよ、テオ……」


 顔を真っ赤にしてにらまれた。

 そんなに嫌なら、無理して自分に近づかなければいいのに、と思うが口にはしない。


「こちらこそ、よろしくお願いします。ペンローズ様」


 と爽やかな笑顔を貼り付けつつ、対フレドリク戦略を頭の中で描くテオドールだった。

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