第16話・8/14修正版

 フレドリク・ペンローズは主人の前にひざまずきながら、訥々と状況説明を繰り返していた。


 本来ならば、フロンティヌス家の家宰であるフレドリクが、謁見の間でひざまずきながらの会話などはありえない。


 要するに、それが今のフレドリクと主人であるスヴェラートの関係性だった。


「ですから、何度も申し上げているとおり、マーシャル・デイビーズは離反。対アウレリア法王国、対モルガリンテ獣王国戦略は再び遅延するかと」


「デイビーズの痴れ者め!!」


 主君であるスヴェラート・フロンティヌスは顔を真っ赤にしながら、椅子のひじ掛けを叩いた。


「余が目をかけてやったと言うのに恩を忘れおって! 今すぐ派兵せよ! デイビーズの首を余の前に持ってこい!!」


「お言葉ですが、デイビーズ卿はモルガリンテと手を結びました。難攻不落のデイビーズ領に、この状況で攻め入れば、こちらの被害が増すばかりです」


 フレドリクは内心でため息をつく。


(だから、テオドールに調略で落とさせたというのに……)


 デイビーズ伯爵の引き入れは、城一つや二つでは足りない戦果だ。しかも、これから先、簡単には裏切れない婚姻同盟というオマケつきだったのである。

 デイビーズの領地を橋頭保にすることで、更なる侵略も容易だったし、フロンティヌスが優勢な形で休戦協定だって結ぶことができた。


 その要の人材たるテオドールを、目の前の暗君は無意味に追放したのだ。

 スヴェラートは、手にしていた金の盃をフレドリクへと叩きつけるように投げてくる。


「なにが父上の懐剣か! 貴様、この程度のこともできんとは! あの愚かなアルベイン以下ではないかっ!!」


 もはや言葉も出てこない。


 テオドールのしたことは、誰にでもできることではないのだ。それが、目の前の主にはまったく伝わっていない。いや、伝えてきた。伝え過ぎた結果、テオドールの才能に嫉妬し、敵意を抱いてしまったのだろう。


 家臣に嫉妬する主君など、自らの器が小さいと喧伝しているようなものなのだが、それに気づかないから、暗愚なのだ。


「何度も申し上げているとおり、テオドールはスヴェラート様の忠実な家臣。フロンティヌスの三翼とまで称される俊才です。今からでも遅くありません。テオドールを許し、アルベイン家を再興すべきかと」

「余に前言を撤回しろと言うのかっ!!」


 いつもの激昂だ。それでも最低限の諫言はしなければならない。


「ですが、敵国との境界戦線地域は全てテオドールが調略なり武略で併合しております。かの地の領主たちとフロンティヌスの繋ぎ役こそテオドールです。その繋ぎがなければ不信を招きます。このままでは、デイビーズに続いて離反者が出てきかねません」

「それをどうにかせよと言っておる!!」


「お言葉ですが、閣下……国王陛下からもテオドールの爵位剥奪を考え直せと言われているではありませんか……」


 爵位の授与や剥奪は国王の権利であり、そのため、事の経緯を王都にも伝えてある。爵位に関する要請など西部の政治に関して、アドラステア王国国王は口出ししてこない。ましてや一家臣の進退についてなにか言ってくること自体、異常である。


 要するにテオドールの偉業は中央にも知れ渡っているのだ。


「陛下まで、あの愚か者の肩を持つなど気が狂ったとしか思えん!!」


 結果的には火に油となり、スヴェラートのテオドールへの拒絶反応を強固にするばかりだった。とにかくテオドールが評価されることが嫌で嫌でたまらないらしい。


「では、テオドールが無理ならば、弟のアルベールをアルベイン家の新たな当主として再興すべきかと。アルベイン家の者ならば、テオドールの仕事を継ぎ、問題なく状況を整理できるかと思われます」


「できるものか! 余の前にテオドールの首を持ってくるまでアルベイン家の再興はならんっ!!」


 当然の帰結だ。


 一般的には当然ではないのだが、暗愚の考えは論理的ではない。だから、普通とは反対の選択を選び続けるという意味で読みやすい。


「フレドリク! 貴様、己の仕事も満足にできんのか!!」

「十全に成すため、先ほどの意見を申した次第です」

「ならんっ!! アルベイン家を使わず、どうにかせよ!! 他の十騎聖を使えばいいだろう!!」


 フロンティヌス十騎聖とは亡きヴォルフリートが決めた幹部貴族のことである。

 だが、十騎聖全てが戦争に特化しているわけではない。得意不得意が存在し、一部は機能不全に陥り、一部は職務に忙殺されている。


「では、グスタフ卿を境界戦線に置くべきかと」

「それもダメだっ!!」


 怒鳴り散らしていた。息を荒くしながら、ドンドンとひじ掛けを叩いている。


「あろうことか、余の決定に文句を抜かし、召喚にも応じぬ裏切り者を、要所に置くなどできるものか!!」


 猛将グスタフ・ローエンガルドはテオドールの放逐を止めるべく、スヴェラートに意見し続けた。その結果、勘気に触れ、一部領地を没収される憂き目にあったのだ。

 さすがのグスタフもヘソを曲げ、自ら隠居を申し出て、息子に家督を渡してしまった。ちなみに息子は八歳である。戦の指揮をできる年齢ではない。


「グスタフ卿には私が取りなします。ですから、スヴェラート様も主君として許す態度を見せれば、あの者は忠実に働きます」

「ならんっ!!」


 ここまでの流れも全て想定どおりである。

 そして、このままいけば、フロンティヌスは滅びるだろう。


「此度のデイビーズの件は貴様の責任だぞ、フレドリク!」


 いったい、どこに自分の責任があるのだろうか? と思った。だが、主君が白と言えば、黒いものも白くなるのが、フロンティヌス公爵家の家風である。


「……はっ。申し訳ございません」

「貴様の家宰という役職も、他の者に変えたほうがよいかもな」


 横に居並ぶスヴェラート派閥の貴族がニヤニヤと笑っていた。旧ヴォルフリート派閥を一掃したいのだろう。だが、結果としてフロンティヌスが滅亡しては意味が無い。


(テオドールの奴め……)


 こうべを垂れながら、丹精込めて作った弟子に悪態をつく。


(お前がアンジェリカとの間に子を成してさえいれば、この愚物を謀殺ぼうさつし、お前の子を軸にフロンティヌスを盛り立てるはずだったのだ……)


 フレドリクはかなり早い段階でスヴェラートを見限っていた。


 しかし、亡きヴォルフリートの子はアンジェリカとスヴェラートしかいない。他の血族はヴォルフリートが家督を継ぐ際の内乱で、鏖殺おうさつされている。アンジェリカは傾国の毒婦であり、スヴェラートは絶対暗君。傑物ヴォルフリートの種から出てきたとは思えないゴミクズどもである。

 よって、選択肢が無いなら、増やすしかなかった。


 フレドリクは、アンジェリカとテオドールの結婚をヴォルフリートに勧めた。二人の間に子どもが生まれたら、その子供を当主と据える。フロンティヌスの三翼が全力でバックアップにつけば、スヴェラートなど簡単に謀殺できるはずだった。


(スヴェラート……愚物のくせに生き残るための勘だけは鋭い男だ……)


 他にもスヴェラート謀殺の策はいくつも用意してあったが、全てテオドールを基軸に考えていたものだ。


(ヴォルフリート様が存命の頃から計画してきたのに、まさか、ここにきてスヴェラート謀殺が失敗に終わるとは……四年越しの計画が……)


 フレドリクの座右の銘は『謀殺は芸術』である。


 特に好きな殺し方は、自分が直接動くことなく、言葉だけで他人を誘導し、敵味方全ての者がはかりごとの歯車となって目的の人物を抹殺するのだ。根回しや口裏合わせなど下策であり、何気ない言葉による誘導で行動を促す。こちらの真意は絶対に読ませてはダメだ。心を一つに団結するなど謀略として美しくない。それではただの謀反だ。部品でしかない歯車が自らの意思で回りだせば、誰が絵図を描いたのかさえわからなくなる。主君を、妻を、友人を、ありとあらゆる人間を歯車にして、目的の人物を始末するのが好きだ。


 人間を使ったスペクタクルなアート。


 それが謀殺なのである。


 フレドリクは、そんな謀殺が大好きだった。


(ああ! やはり謀殺したい! はかってだましておとしいれたい!! このカスを殺したい!! バカの下で働きたくない!! ああああ、謀殺したい!! 自分の手を汚さず、この暗君の命を奪って、うまい酒を飲みたいっ!!)


 心の中ではシャウトしているが、表情には一切出さない。

 それが西部騎士の生き方だ。


「とく失せよ、フレドリク! 次はもっとマシな報告をすることだ!! でなければ、その首を刎ね飛ばしてくれる!」

「はっ! 失礼いたします」


 一礼し、謁見の間を後にする。


 廊下を歩きながら内心でため息をついた。既にスヴェラート派閥はフレドリクから家宰の地位を奪うべく行動しているだろう。下手に抗えば、暗殺される可能性すらある。


(やはりスヴェラートが当主である以上、フロンティヌスの衰退は規定路線だな……)


 フロンティヌス家臣団は、混乱状態だ。

 幹部である十騎聖の一人は追放。一人は隠居。一人は娘にテオドールの暗殺を命じているが、それらまとめて職務放棄をはじめていた。


 戦場では軍の三割が損失すると、ほぼ壊滅状態である。そのうえ、厄介なことに損失している三割が、ほぼ替えの効かない稀有な人材なのだ。


(テオドールさえ戻ってくれば……あれがいるのといないので、謀殺の幅が大きく変わってくるというのに……)


 テオドールはフレドリクたちにとって、最高傑作の弟子だった。


(とはいえ、テオドールもテオドールだぞ! なぜ、領地没収に爵位剥奪を受け入れた!? 普通、そこは受け入れないだろ! お前が反旗を翻してくれたら、それで終わりだったのだ……)


 フレドリクもスヴェラートがテオドールを閑職や僻地に飛ばすくらいはするだろうと思っていたし、そうなるよう誘導していた。功績しかあげていないテオドールが無意味に罰せられれば、家臣団がざわつく。そのドサクサを利用すれば、よりスヴェラートを謀殺しやすくなるはずだった。


 しかし、予想外なことにスヴェラートはテオドールを家中から全力で追い出そうとしたのだ。明らかにやり過ぎである。


(なぜ、スヴェラートは、あの戦略兵器を放逐など……おとなしく家臣として使っていればよかったではないか……まあ、その場合は私が確実にあの豚を謀殺していたが……)


 テオドールはフレドリクに謀略や戦略を習い、戦や戦術はグスタフに鍛えられ、政治や外交は亡きヴォルフリートの薫陶を受けている。その全てにおいて高いレベルで技術や知識を吸収し、それどころか魔術の才まであったのだ。


 そのうえ、ともすれば貴族の子息というものは傲慢になりがちだ。だが、テオドールは弱者への慈悲を忘れず、それでいながら必要とあれば、どこまでも冷徹になれた。

 その相反する性分こそ、王の器である。民に愛され、同時に畏れられる理想の君主だ。


(テオドールの子を公爵家当主にし、父のお前が政務を行えば、あと百年は盤石な統治になるはずだったのだ……なぜだ? なぜだ、テオドール!? なぜ私の前からいなくなったのだ!? あんなにかわいがってきたのに……私のテオドールぅぅぅ……)


 フレドリクたちはテオドールの才を愛し、鍛えるべく、無茶な役割ばかり与えてきたが、全てこちらの想定以上の戦果をあげてくる。

 目に入れても痛くない、かわいい息子のようなものだった。


(グスタフには先を越されたが、私の娘もアルベイン家へ嫁に出す予定だったんだぞ……)


 テオドールと娘の間に生まれる孫の教育方法を妄想するのが、ストレス発散法だった。だが、その夢もスヴェラートに潰されてしまったのだ。


(私の初孫ういまご育成計画を潰しおって……許さんぞ、スヴェラート……絶対に許さん! 貴様だけは……)


 こんなことになるなら、周りの空気など読まず、フロンティヌスの三翼で婚姻同盟を結んで、さっさとスヴェラートを殺してしまえば良かった、と今では思う。


(……あの天上天下に類を見ない暗愚な豚主君をすぐさま謀殺したいが、今は無理だ。だが、絶対に謀殺する。絶対にだ。これからの人生、私はあのクソ豚を謀殺するためだけに生きる)


 政治の世界は浮き沈みが激しい。だが、生きてさえいれば、いずれ流れはやってくる。今は雌伏の時だ。だが、それはそれとして……。


(テオドール……未来の息子よ、私はお前も逃がさんからな……)


 齢43の家宰は、炯々と目を輝かせながら頭の中で謀略の絵図を描いていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る