第7話・8/14修正版

 テオドールは闇のなか、倒れ伏している騎士たちを見下ろしていた。


(意識だけを狩る程度に威力を落としたつもりだけど……)


 雷を操る魔術で意識を奪ったのだが、いろいろ調整を入れるとなると発動に時間がかかってしまう。装備に付与された魔術障壁を貫きつつ殺さない威力で、かつきちんと脳に電流を到達させ意識を奪う、針の穴に糸を通すような魔術式の組み立ては、かなり骨だった。


(殺していいなら魔術だって簡単なんだよな。ぶっ放せばいいだけだし)


 念のため、倒れている男の脈を測ったところ、死んではいないようだ。


(追手がシュトラウス卿でよかった……)


 ロバート・シュトラウス。領地を持たない典型的なフロンティヌス騎士だ。

 言い換えると、脳筋で己を過大評価し、死を恐れない無謀さを持つ。たしか、ベンジャミン・アルフランドの家臣である。


(戦だと強いんだけどね、この人の部隊……)


 死を恐れず、愚直に命令を聞くため、前線に置いておくと安心感がある。実際、自分の麾下に入れて戦をしたこともあった。戦術上の駒としては、かなり有能な部類に入るのだ。

 だが、反面、謀略や調略といった頭を使うことには向いていない。優秀な参謀でもいればいいのだろうが、さすがに汚れ仕事に連れてはこないだろう。


(全部で七人だったから、まだ仲間がいるかと思って警戒してたけど……)


 その気配はなかったため、こうして奇襲をしかけたのだ。


(ロムール内にいた時は十人くらい気配があったけど、減ったか別動隊か……少なくとも連携はしてないってことはわかった……)


 単独部隊の動きにしか思えなかったのだ。


(どちらにしろ油断は禁物だな……)


 警戒は解かずに思案する。


(無力化はできたが、どうしたものか? 七人縛れるロープもないし。枷もない)


 自動的に騎士時代の思考が脳裏をよぎる。


 使える縄は二人分しかない。二人いれば拷問にかけて情報を引き出すのに足る。残りの五人を制するのが不可能ならば、殺したほうが効率はいい。


(……自分の思考ながら引くわー)


 叩き込まれてきた合理的思考は、そう簡単に消えてくれない。


(情報を引き出そうという考えがいかん。どうせスヴェラート様か義母上に命じられたのだろう。仮に違っていても、関係ないか……)


 このまま捨て置いて逃げようとした瞬間、とっさに剣を引き抜きながら振り返った。


 宵闇に鋭い一閃。


 白刃を避けるように、その影は音もなく後ずさる。


(あっぶね、殺すとこだった……)


 顔を布で隠した小柄な影。手には暗殺者御用達の短剣をにぎっていた。


(よかった、この人、強くて……いや、よくはないだろ? かなり使うぞ、こいつ……)


 剣を構えながら思考は回る。目の前にぬらりと立つ小柄な影以外、気配がない。だからといって、他に敵がいないとは考えない。ロムールで感じた気配が十二人なら、五人くらいはいるのだろう、と見つくろう。


(真正面から五人相手か……さすがに殺さず生き延びれないな……)


 暗殺者にとってテオドールの反撃が予想外だったのか、次の動きはない。ゆったりとした服を着ているが、体格は小柄だ。

 女か? あるいは小柄な男。小さくて強い男は手段を選ばない。一対一なら勝てる。五人は無理。殺すしかない。だが、こちらも負傷する可能性もゼロではない。


(隙を作りたいな……)


 場を動かすためにも、敵意を隠しながら話しかけることにした。


「……俺を殺すのが目的か?」


 わかりきった質問だな、と思いつつも様々な可能性に頭を巡らせる。影は小さくため息をついた。その吐息に聞き覚えがある。


「そう命じられましたので……」


 その声を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になった。


 その間隙を突くように影が近づく。


 体が勝手に反応し、剣を奔らせかける。


 とっさに手首を返し、刃ではなく柄頭で迫る短剣を弾いた。影の手から短剣が落ちる。クルリと反転、テオドールのコメカミを狙った後ろ回し蹴りが飛んでくる。剣を鞘に納めながら、身を屈めて躱し、影の足を取って転がす。そのまま甲冑騎士を組み伏す要領で、押さえつけた。


 触れればわかる。


 いや、触れなくともわかる。


 テオドールは顔を覆っていた布をはいだ。


「リュカ……」


 どうして? とは言わない。そういうこともありえるだろう、とは考えていた。


「……私があなたを討ち取るか、私があなたに殺されなければ、我が一族は滅ぼされるそうです」

「ムチャクチャだ……」

「それがスヴェラート様です。テオ様が考えていた以上に、あのお方が暗愚だったというだけですね」


 フロンティヌス領で間者は『蟲』と呼ばれ、軽視されていた。


 その『蟲』を使い、情報戦で勝利し続けてきたのが亡きヴォルフリートの戦い方だったのだ。当然、リュカの父親である蟲の頭領も重用され、爵位と領地を与えられている。

 軽々しく取り潰せる一族ではないし、敵に回せば、フロンティヌス領内の情報が外に流れることだってありうるのだ。


「でも、さすがに、いくらスヴェラート様でも、そんな決断……」


 しないとは言い切れない。


「安心してください。テオ様を本気で殺す気などありません……」


 それは理解している。全ての攻撃は正確だったが殺気はなかった。


「ですから、私を殺してください」

「できるわけないだろ」


「捨てたのに、まだ情をお持ちなのですか?」


 クスリと笑いながら咎める口調だ。リュカはふてくされると、こういう捨て鉢な笑みを浮かべる。


「……そもそも私はあなたの物です。お好きなように使い捨てればいいだけではありませんか? なにを躊躇なさるのです?」


 たしかに捨てた。

 それを否定することはできない。


「俺はただ君に幸せになってほしくて……」

「それも事実なのでしょう。でも、本心は違うと思います」


 ジッとテオドールを射抜くように見つめてくる。


「全て忘れたかったのではありませんか?」


 言葉で突き刺された気がした。


「ですが、逃げても過去は変わりません。私がテオ様を愛していることまで変えることはできないのと同じです。たとえ、捨てられたとしても……」

「それは、その……すみません……」

「謝るということは悪いとお思いなのですか? 私はてっきり物に対して情など抱いていないのかと……」


「いや、だから、ほんと、すんませんした! リュカの言うとおりだよ! 忘れたかったんだよ!!」


 もう泣きそうだ。


「私のことも忘れたかったのですか?」


「それは違うけど……でも、ほら、やっぱり、俺は不能だし、先行き不透明すぎるし、君のことは本気で愛してたけど、愛してるからこそ、幸せにできない自分の元に置いておけなくて……俺だって一生懸命考えた結果の判断でさ……そんな風に詰められると、もう……辛いよ」


 リュカは悲しげに笑ってから、いつの間にか自由になっていた右手でテオドールの頬を撫でた。


「反省しましたか?」

「……はい、反省しました」


「なら、許します。テオ様、仲直りをするので抱きしめてください」


「いや、それは、もう夫婦じゃないから……」

「テオ様?」


 テオ様と尊称をつけて呼ぶ割に、声に圧力がある。

 テオドールはリュカを抱き起してから、そのままギュッとハグをした。リュカがポンポンと背中を叩いてくる。


(クソ……癒されてしまう自分が悔しい……!)


 貴族だった頃、アンジェリカに罵詈雑言で傷つけられた次の日は、リュカかレイチェルのもとへ行き、こうして優しくあやしてもらった。ひどい時は子が母に甘えるような言動をとったことさえある。他人には絶対バレるわけにはいかない夫婦の秘事だ。


(くぅ……ダメになる……リュカと一緒にいたら俺はダメになりゅ……)


 戦場では鬼だ悪魔だと呼ばれていたが、リュカやレイチェルの前では幼児退行してしまうなど、消し去りたい過去だった。

 全力で追い込まれて心が病んでいた時は「リュカママ」と呼んでいた。そんな過去が誰かにバレたら憤死できる。その自信があった。


「というわけで、私もテオ様とご一緒いたします」

「え?」

「え? とはどういう意味です?」


 抱擁したまま耳元でささやく声が尖っていた。テオドールは「意味なんてありません」と逃げるように顔をそむけた。リュカは抱擁を解くと、闇のほうへと視線を向ける。


「テオ様の許しは得ました」


 リュカが声を発すると、音もなく黒い影が四つ現れた。


「当初の予定どおり、表面上、このまま私はテオ様を暗殺すべく付け狙い続けるということで行きます」

「え?」

「テオ様? 今の、え? にはどういう意図がありますか?」

「意図とかないですよ……?」


 ダメだ、もう逃げられない。そう思った。


「それで、テオ様、シュトラウス様たちはどうなされますか?」

「七人とも無事に帰してやってほしい」

「七人ではなく八人ですね。こちらで一人、確保してます。シュトラウス様の置かれた状況はその方から既に聞いてます」

「……生きてる?」

「生きてますよ。拷問にもかけてはいませんから安心してください」


 どこまで本当のことなのかはわからないが、信じることにした。リュカの命令にうなずいていた男が、ふとテオドールのほうへと向いてきた。


「リュカ様を頼みます」

「……いいのか? 俺になんか任せて」


 男は布越しに短く笑った。


「アルベイン家をおとり潰しになさったフロンティヌスはもう長くはないでしょう。我ら一族の総意としては、少しでも外に繋がりを持っておきたいのです」


 そういう判断なのだろう。


「他所の地に住まい、根づき、情報を集める。それも我らが蟲の生き方」

「蟲の業にテオ様は巻き込みませんからご安心を……」


 言いつつリュカは男へ鋭い視線を向けていた。釘を刺したのだろう。


「ではテオ様、これからも末永くよろしくお願いいたします」


 満面の笑みだった。


「あ、はい……」


 恭しくうなずくことしかできないテオドールだった。


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