第12話 入院中 4

 ICUで過ごしたのはおそらく2日間だった。

 本来正確に時間で計るべきなのだろうが、ICUの中にいるうち、患者は次第に時間の感覚を失っていく。常時、煌々こうこうと照らされたままのライトと不自然な睡眠パターンが時間の概念を奪っていくのだ。

 たとえ時計があったとしても12時間の差がある昼夜の別さえつかなかっただろう。夜になると賑やかになるというのは確かだったけど賑やかな時間が夜だけだったか?と問われれば曖昧あいまいなままである。

 覚えているのは突然、若い男の看護士さんが、

「さあ、病室に戻りますよ」

 と声をかけてきた事だ。彼はICUの中に持って行くことを許された細々こまごまとしたもの、歯ブラシやらコップやらタオルやらを纏めるとストレッチャーに僕を乗せ、

「西尾さん、退室です」

 と声を上げながらエレベーターの方へ運んでいった。声を上げるのはICUから出るのは一応、症状が改善したということで「おめでたい」という扱いになるかららしい。だから本来はそこにいた人たちから拍手で送られるという風習がある。僕もそうやって送り出される人を見た。でも、ICU内は忙しく、

「あれ、誰も気づかなかった・・・」

 と、自分のせいでは無いのに滑ってしまった被害者(僕)を乗せたストレッチャーを押しながら看護士は呟いただけで、そのままエレベーターに乗り込むと、元僕がいた病棟へと上がっていった。

 病棟では若い男性の看護士が待っていて、僕は看護士たちが集まって作業をしているナースステーションのすぐ後ろにある個室に入れられた。

 ご存じの通り病院というのは一般的に複数の患者が一緒に過ごすのが原則で、個室だと別に料金が発生する。個室かぁ、高くつくなぁ、と思ったのはけちくさい話だが、病院の個室というのは、立派なホテルや温泉旅館の一泊料金くらいはかかるので、どうせ同じ金額を払うくらいなら温泉旅館の方が好ましい。どうせ病院の個室料金というのは他人と同泊するのが嫌だという狭量な人間が払うものだと思った。(実は手術後の個室入室は患者の選択肢ではないので個室料金はかからなかった。それと、病室について言えば重症患者と一緒の場合は個室の方が快適であることは間違いない、と言うことを僕は後で学んだ)

 しかし、そんな勘定をしている事態ではない、とすぐに分かった。三本の点滴と、尾籠びろうな話だが逆に尿を出す管と体中に人工物を刺された僕はそれからしばらく、病室とせいぜいトイレ(尿を出す管は比較的すぐに取り外された)の間を往復することしかできなかった。


 いわゆる、総回診というのは今でも行われている。

 医師がまとめてやってきて回診することでどのような効果があるのか、僕には今ひとつ分からない。単独の医師では見逃す症状を複数の医師が見ることで指摘されるのかもしれないし、責任者である消化器官の外科部長が担当医師に何か教授するという効果もあるのかもしれない。しかし、何も纏まってぞろぞろ来ることも無かろう、と僕は思う。三人くらいにしてくれるとありがたい。だいたいそんなに多数で来たら、人任せにしてきちんと観察をする気も起こるまい。

 だが、病院の方ではそうは考えていないらしい。少なくとも外科病棟ではそうであった。(因みに後に入院した化学療法・放射線療法の病棟ではそうしたものは無かったので、病院単位と言うよりは科単位でそういうものを決めているのであろう)

 病棟に戻された翌朝、気分的には死にかけている僕の元に担当医と外科部長が7,8人の白衣の男を引き連れてやってきた。総回診というのは「白い巨塔」とか「ドコターX:外科医大門美智子」で見ても分かるように参加者はなぜか殆どが男性であり、実際の病院でもその通りであった。

 その行為のベースになるメンタリティがmasclinなものなのかもしれない。あるいは米倉涼子のような女性医師に「私、しません」ときっぱりと断られたものなのだろうか?


「西尾さん、いかがですか?」

 西田敏行に全然似ていない外科部長の問いに、僕は

「痛いです」

 と率直に答えた。

「どこがです?」

「左の背中と、右の脇腹・・・それに右側の腹部の感覚が無い感じです」

 そう答えてちらりと見ていると、外科部長は担当医の方を向いて何かをささやいている。担当医は少し困惑したような表情で僕の方を向いた。痛いと答えたのがいけなかったのだろうか?しかし、手術したばかりで痛くないはずは無い。痛いと答えた部位が何か問題がある場所だったのだろうか?

「ゆっくりと休んでください」

 何が問題であったのか言わずに外科部長はにっこりと笑うと僕のベッド脇から去って行った。しかし、こちらはにっこり笑い返せるような事態ではない。結局、外科部長が担当医師に何を言ったのかは分からないままだった。

 それから五日ほど、その個室に滞在することとなった。点滴をつけたままベッドにほぼ縛り付けられた状態で過ごし、時折、トイレに行くのだけど目的を達成することは半々・・・。よく覚えていないのだが、四日目か五日目あたりから、食事をることになった。と言っても粥・・・それも重湯おもゆと言われている、なんだかご飯というか糊のようなものがお湯の中に入っている味も何もないものを食べる事になる。

 次第に三分粥、五分粥と進化していくのだが、とにもかくにも不味まずい。不味くて薄いが胃には固形物が入るので、トイレに行く回数は増えるが、目的達成可能性はどんどん低くなり・・・つらい。かといって何も食べないでいれば消化器官の力は回復しない。

 病棟には夜も看護士さんが二人ほど常駐していて、最初の頃はトイレに行くにも車椅子で連れて行ってくれた。とはいえ、やはり歩く訓練は必要なので、三日目からは自力歩行(補助具を使って)でトイレへ行くことになった。

 看護士さんは看護の時になぜかピンク色のビニールで体全体を覆うのだけど、若い女性がやると妙に艶めかしい。うーん、もっと自分が若かったら・・・ってそんな状況ではないです、はい。

 色っぽいと言えば、唯一素晴らしい思い出は手術が終わって二日目の夜、新垣結衣さんが夢に出てきてくれたことです。もう、死んでも良いかと・・・これも冗談にならないか。


 手術後しばらくは、退院できるのかしらと不安になるくらい体力は落ち生活に支障が出るほど内臓が痛んでいることを思い知らされた。それでも少しずつ食事が始まり、五日目に個室から普通の病室へと移るという話になった。

 普通の病室が通常4人一組であることは変わらない。僕が移された部屋も最初は僕を含めて4人だった。もちろん男部屋は男、女性部屋は女性と区別されているので同室の人は男性、それも恐らく僕より年齢が高い男性だけである。看護士さんとの話を聞いていると、だいたいの素性が分かってくる。

 奥の僕と同じ入って右サイドの窓側に入っている人は退院間近らしく、退院を楽しみにしているようで看護士さんとの会話も弾んでいる。

 同じ窓際の左サイドの患者さんは一度退院してから何らかの理由で戻ってきたらしく話し方も力ない。どうやら住んでいるところは群馬で、症状が出て群馬の病院に入ったのだけど、そこでは対応できずに手術を行ったこの病院に運んでこられたらしい。結婚はしていないらしく、親戚と言えば埼玉に弟が住んでいるらしいのだが、なんとなく不安そうな雰囲気が伝わってくる。症状が改善すれば、群馬の病院に転院する予定らしい。

 問題は僕と同じ入口側の入って左側にいる患者さんだ。話を聞いていると長野の人らしい。昼も夜も「痛い、痛い」と小声で呟いている。どうやら家族は奥さんばかりか親兄弟を含めていないらしく看護士さんは時折、地域の話をするのだが、どうも病院を出ること自体が不安らしい。退院を望む人もいれば病院を出ることをためらう人もいるのが実情で、病院のスタッフも個々の患者ごとに対応するのが大変だろう。その男性は病院から出るのが不安なので、痛いときには我慢しない。痛い、と言えばさらに痛くなる。アランの「幸福論」に出てくるのと真逆の方法でこの患者さんは不幸(ないしは不幸であるという印象)を植え付けようとしているので、見聞きする僕らも憂鬱になるのだ。こうして複数の患者と共通の時間を過ごすのは多少の暇つぶしとかなりの苦痛を伴うものだということが徐々に僕に分かってきた。

 転床した翌日からはレントゲン検査が始まった。実際はゴールデンウィークのせいで病院は外来やリハビリの機能が停止していて、検査も殆ど行われていなかったのだと思う。初日は看護士さんに車椅子で連れて行ってもらった。二日目からは、リハビリを兼ねてということで自力で歩いて行くことになったのだけど、ずっと車椅子で連れて行ってもらっている人もいるわけで・・・なんだか羨ましくもある。実際、まだ歩行するのさえしんどいのだ。あの差は何なのだろう?看護士さんに袖の下でも贈っているのだろうか(笑)。

 それと同時にリハビリが始まった。一つは呼吸機能の回復で、これは器具を使って行うのは前に書いたとおりだ。リハビリに行ってそこで計測するのだけど、実際は病室でも訓練することになる。事前に言われたように、呼吸の機能はびっくりするくらい衰えていた。以前は楽々排出できた呼気が全然少ない。実際は呼気が少ないわけではなく、その前の吸気が減少しているわけで、金魚が水面で口をパクパクしているような状況になっているのだ。

 もう一つはエアロバイクである。最初のうちは負荷をかけずに五分くらい、それを少しずつ増やしていく。こちらはそれほど辛くない。昔、よく自転車で遠出をしていたからだろう。リハビリのメニューはこれだけではなくて、まっすぐ歩くための歩行練習をしている人もいるし、どういうわけかご婦人方だけが集って奥の方で話をしている風景もある。一般的に男性患者は呼吸練習とエアロバイクだけの人が多く、呼吸練習をしている男性は肺活量が元に戻るとスタッフの女の子に自慢するのも微笑ましいが、最初の頃はそれほどの余裕はない。

 それでも二、三日と通ううちに少しずつ肺活量も戻っていき、以前の8割ほどまでに回復した。

「あ、だいぶ良くなってきましたね」

 エアロバイクを終え、呼吸の練習をした僕に向かって療養士の女の子が声をかけてきた。胸に下げているカードには彼女の写真が貼ってあり、昔はぽっちゃりした女の子だったのに、ずいぶんとスリムになった印象がある。僕の視線を感じたのか、

「あ、これ。3年前の写真です。ずいぶん太っているでしょ?」

「ここのバイクで運動したんだ」

「へへへ・・」

 女の子はちょっと舌を出して笑う。どうやら僕もたわいのない会話くらいはできるようになったみたいだ。

 その女の子に翌日

「ゴールデンウィークの休みはどこか行ったの?」

 と尋ねると屈託なげに

「川崎の映画館に行ってきました」

「そうなんだ。僕も昔川崎に住んでいたことがるんだけど、どこ?」

「あの川崎駅の近くの・・・なんて言ったっけなぁ」

「チネチッタ?」

「あ、そこです。ついでに外食してきましたぁ」

 と答える。病棟の看護士に同じ質問をしたら、

「コロナが流行していますからね、外出はしませんでした」

 と人の命を預かる病院スタッフとしてはごもっとも、模範的な回答が返ってきて、それはそれで納得するのだが、この療養士のように多少うかつな人の方がなんとなく気楽な感じがするのは事実だ。

 本来なら、このご時世に病院関係者がけしからん、ということになるだろうし、世の中にはそういう正義めいたものを振りかざす人も多い。実際その通りなんだけど、正義というのは振りかざすことでうっとうしいものになる。その頃ではそっと、

「そうか・・・。でも、それ言わない方が良いよ」

 と耳元に囁いてあげればいいほどの話である。

 なんせ、コロナ関係の話は時間が経つにつれてうさんくさい話が山盛りに出てきて何が正義なんかはもう誰にも分からなくなっているんだから。もはや感染するのは運と確率の問題でしかなく、マスクはほんのちょっと、ワクチンはある程度その確率を下げる程度の働きであることは現実を直視すれば分かることである。

 マスクをして、ワクチンを打っているのはその大半がアリバイ作りのためである。つまりマスク・ワクチン固執派も反対派もたいした根拠のない話を声高にしているだけで、実態を理解しているわけではない。いやむしろ実態が分からないからこそ、声高に言い切ろうとしているのではないかとさえ思える。

 とは言っても、僕自身、世間の心配をしている状況ではなかったのだけど。







 

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