第11話 入院中 3

 次に目が覚めたのはICUの中だった。

 ICU(Intensive Care Unit:集中治療室)というのは、昼夜を分かたず緊急事態に備えて医師・看護士が常駐する治療室のことで、名前は知っていたがまさか自分がそれにお世話になる事があるなんてそれまでは想像すらしたこともなかった。

 僕は今まで殆ど病気をせず、手術に至ったのは子供の頃にアデノイドを除去したことと、大人になってから咽頭部の検査入院による手術を一日したくらいである。煌煌こうこうと輝く、蛍光灯なのか、水銀灯なのか・・・ICUの真白の光の下でそんな僕は目覚めたのだった。

 ベッドと言うより手術台のような少し固めの台に乗せられて目が覚めた時に、僕を覗き込んでいたのは女性の看護士さんだった。

「ご気分はどうですか?」

 その問いに体を少し丸めたまま、素直に

「痛いです」

 と答えた。

「どこがですか?」

「背中と脇腹・・・」

 答えるのも少しつらい。

「そうですよね。どうですか、少し歩けますか?なるべく早く歩行を開始した方がいいので」

 看護士さんは僕に忖度するようなことも無く、職務をまっとうしようと考えているようだった。

「え、あ。はい」

 仕方なくそう答えたものの、身動き一つとれない。看護士さんに助けてもらってようやくベッドから降りたものの一歩目を歩き出すのが大変で、まるで赤ん坊に戻ったかのようである。ようやく2,3歩歩いた後にベッドに戻してもらった。これでは・・・リハビリは大変だぞ、とボーッとした頭で考える。ユニットの中には数人の患者が同居していたはずだが、ほかの患者のことは殆ど覚えていない。それどころではないのだ。

 ユニットはどちらかというと夜に忙しくなる。手術を終えたばかりの患者が入室してくるから、らしい。そしてそれと同時に担当の看護士が変わった。


 さて、以前僕はこの病院について名前を記そうかと思ったと書いたことが、この病院の名を書けない理由は、ICUに勤務している1人の男性看護士のせいである。その看護士の描写をすることで、この病院の名に傷がつくのではないか、と考え敢えて病院の名前は出さないと決めた。


 その看護士の顔を見た瞬間、嫌な予感がした。

 だいぶ以前に僕が東京で海外営業の課長職にあった時、職場に入社してきた新人の一人とそっくりだったのである。その年は二人の新人が入社したのだが不作の年で、できる限りの教育はしたつもりだが、二人ともあまり成長もしないまま一年後に僕はロンドンへと赴任した。

 その後、五・六年も経ったであろうか。その男は欧州担当からアジア担当とポジションを変え、僕の知り合いの下で働いていたのだが、なんと交通費の精算をちょろまかして会社を首になった、と聞いた。日本に一時帰国したときに知り合いの男に事情を聞いたのだが、どうも話しにくいことがあるようで、はっきりとは言わない。が、相当長期にわたってちょろまかしていたこともあり、知り合いも管理者としての責任を問われたのであろう。

 その男にそっくりな看護士、外見で人を判断してはいけないとは言うが・・・。色素の薄い、それでいて小太りで、ちびまる子ちゃんの影の薄い同級生の役回りでさくらももこさんの漫画に登場しそうなその男は僕の予想に違わず、ろくな看護士ではなかった。患者が苦しむのを見て喜ぶような習性を持っているが、かといって未だに死に至るような事まではしない。虫を捕まえて足をいでニタニタと笑う陰湿な子供の性格をそのまま持ち続けているような人間。もっとも看護というような世界にふさわしくない人間というのは実在する。そいつはそんな人間だった。


 看護士・介護士が患者に対する傷害事件を起こすことはしばしばあるが、その多くは老齢者や障害者の施設である。そうした施設の人間の雇用条件は決して高くない。だから質も「あるべき姿」より落ちる。しかしそこでまじめに看護をしている人々はたくさんいるはずだ。劣悪な人間をスクリーンできるような雇用環境を作れない側の問題であり、雇用政策の問題である。高齢化が進む中、介護保険とかさんざん負担をかけながらちっとも介護側の労働条件は良くならない。

 病院の看護士はそれより雇用の条件は良いはずだが、流動化する雇用の中で質の悪い人間が混じり込むことは避けられないのであろう。病院においても事件を起こす看護士もいる。たしか横浜かどこかでそんな女性の看護士がいたと記憶する。

 その看護士はそこまでの人間には見えなかった。というより、そこまで何かを突き詰めるタイプの人間ではなく、単に虫をいじめていたやつが大人になっただけのような人間だった。普通の会社に行ったら交通費をくすねるような人間になったのだろう。それでも看護士になるよりはまし、だと思う。


 その男の本性はすぐに明らかになった。

 さっきも書いたとおり、手術を受けた患者は歩行練習をさせられる。最初のうちは二歩・三歩を歩くのもきつい。看護士は手を取ったり、あるいは支えてくれて歩行を促してくれる。だがそれはまともな看護士である。まともでない看護士は、支えるポイントや、手を取る距離をわざと患者の苦痛になるように仕向ける。天使の手と悪魔の手がそこで分かれるのだ。

 最初はそれは単なる偶然だと思った。だが、歩行訓練はすぐに終わり、再びベッドに横たえられるとき、僕はそれまでにない苦痛を味わった。時間をかけ、ゆっくりと体を動かさなければならないのに、その看護士は手間を惜しむかのように短い時間で僕を横たえようとしたのだ。僕の苦痛の声を聞いて担当の医師やほかの看護士が集まってきたが、男の看護士はまるでペナルティを犯したサッカー選手が自分の責任では無いとでも言うような仕草をした。ただ、医師やほかの看護士の表情にはその看護士に対する微かな疑念があるように思えた。おそらく同じようなことを彼は幾人かの患者に対してやっているのだろう。

 しばらくすると痛みは引いていった。何か薬の作用だったのかもしれない。そのまま僕は短い眠りについた。

 眠りから覚めたときもまだその看護士は僕の担当であった。悪夢のようである。どうやら夜が近づいているらしく、患者は歯を磨くために順に近くの手洗い場へと誘導されていき、僕の番になった。看護士が僕を起こし、僕を支えようとしたが僕は拒否して一人で手洗い場へとゆっくりと向かった。僕はもう騙されなかった。看護士は不満そうについてきた。歯ブラシで歯を磨き始めた僕に向かって、

「歯磨き粉ももっていないんですね」

とからかうようにその看護士は言ったが僕は無視した。歯磨き粉なんぞ役に立たないものを信じている看護士などに用はなかった。

 僕は普通は日に一度は15分以上かけて歯を磨き、最後にコンクールという液体口腔洗浄剤で仕上げをするのが常だった。でもICUにいるうちはそんなに時間をかけて歯磨きをすることはできない。むしろ食事などしないのだから、歯磨きには形式のほかに意味は無いから洗浄剤も持ってこなかっただけだ。ベッドに戻った僕は、もし彼がこれ以上僕の担当になろうと、一切言うことを聞くまいと心に誓い、就寝した。痛みと苦悩に満ちた夜が過ぎていった。

 だが翌朝、担当は変わっていた。Kさんと言う名の小柄な女性の看護士さんは前任の男と180度違う、心根の優しい看護士だった。歩行練習の時、悪魔の邪悪な手首は天使の優しい指へと変わった。痛みは無いかと尋ね、世話を焼いてくれるKさんに、つい

「あなたのような看護士さんがいつもついてくれていれば良いのに」

 と言ってしまったくらいだった。普段は弱音をめったに吐かない僕でも、手術は体に応える。体の不調は心も弱らせる。そんな心の弱さにつけ込むような看護士がいたことに僕はがっかりもしていたし、悲しかったからそれだけKさんの優しさは心に沁みた。

「Kさんはどこの出身なんですか?」

「長野です」

「あ、僕の両親も長野です。良いところですよね」

「田舎ですけど、ね」

 微笑んだ彼女は天使のようだった。彼女が美人だとか可愛いとは言っていないけど、でもそこに天使性は確かにあった。だから彼女が交代してしまったのはとても残念だった。とはいえ、次の担当の看護士もそこまでではないけど、良い人であった。悪魔はICUに再びやってきたが幸いなことに僕の担当にはならず、別の男性患者の担当に代わり、その患者も迷惑そうだった。

 ICUの看護士が玉石混淆ぎょくせきこんこうなのは今の時代仕方ないのかもしれない。看護士の仕事はきつい割に報酬的に報われない、と聞く。その考え方の根本には看護士は医師と違って専門性が低いという考えがあるからだろう。看護士は自分を評価してくれるところに異動するモチベーションが必然的に高くなる。

 そのため看護士の勤務先の紹介をやっている会社がテレビでも盛んに広告を打っているし、ドラマでも病院を転々とする看護士を描くドラマが始めるらしい。報酬を求めての流動性自体が悪いと思わないが、ではそのまま放置して看護士の質が上がるかというとそうでは無いだろう。

 そういう時代だからこそ病院の管理者が看護士の質を上げる努力をせねばならない。実際、入院して見れば、患者は医師との接触より遙かに看護士との接触が多くなる。病院の評価は患者にとっては医師も看護師も同じくらいに重要である。いやむしろ看護士の方が重要かもしれない。看護士の中には点滴の針を打つのが上手な人もいれば下手な人もいる。明るい人もいればそうで無い人もいる。丁寧な人もいれば、雑な人間もいる。そうした雑多な集団が統一されないまま患者と接触することによって患者は不安にさらされる。

 その上、正直なところ病院の評価は良い看護士では無くその病院の一番質の悪い看護士によって決まると言って良いし、流動性の高い世界では「悪貨が良貨を駆逐する」というグリシャムの法則は適用される。質の悪い看護士は居座り、やがて質の良い看護士も評価されずやる気を失って劣化していく可能性がある。

 本来なら病院が看護士を育てなければならないのだろう。そうした病院はあるし、そこではやはり看護士のレベルは高い。日本の医療システムは医師を頂点と見なすことで構造が歪んだと思う。あらゆる世界にヒエラルキーを以て統治の構造を作ろうとするから物事は歪むのである。それに正直言って、医師は統治の構造に最も向かない人種である。医師や看護師が個別に原因があると言うよりはその風土や病院の管理構造に問題があるのであって、いずれそうした問題を解決する病院が現れるであろうけど、本来なら厚生労働省が主体的に解決すべき問題であるような気がする。まあ、今のあの省の状況では無理だろうけど。

 と、まあ一人の看護士のせいでいろいろな事を考えてしまうことになった。

 でも単純にもう少し看護士を雇うときに考えて雇ってください、と病院には言いたい。

 Kさんは一度、交代した後再び僕の看護の担当になった。もしかしたら僕の呟きを聞き入れてくれたのかもしれない。彼女の前の看護士がひどい奴だと知っていて、その看護士に再び当たらないように気を遣ってくれたのかもしれない。そうであろうと、そうでなかろうと僕の目には彼女が天使に映った。(後日の話だけど、退院した僕は、次の検査の時に彼女に洋菓子を持って行った。しかし病院の受付でKさんの名前を出したが彼女は常勤の職員にはいないと言われた。応援の看護士の名前を全部把握しているわけでは無いと言われ結局Kさんに贈り物を手渡してもらうことは叶わなかった。そんな事ってあるのだろうか?もしかしたら彼女は本当に人間では無く天使だったのかもしれない)


 そして二日ほどICUにいた後、僕はもとの病棟に戻ったのであった。

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