第2話  入院前 2

 数日して僕は最初に相談をしたクリニックに行った。

 足の痺れの薬が切れたのである。肛門科のクリニックから連絡が行っていたらしく、医師はいきなり、

「それでお体の調子はどうですか?」

 と尋ねてきた。

「えーっと、それは足の痺れの方じゃなくて・・・?」

 僕の問いに、

「ええ、ガンなんでしょ」

 子供好きの医師は真面目そうな眼付きで尋ねてきた。あんまりガン患者とかはつきあい慣れていなさそうな雰囲気である。

「はい」

 神妙に僕は答えた。

「良かったですね。クリニックで胃の検査をしてもらって。なかなか早期発見しにくいところです。向こうの先生のおかげですね」

「でも・・・それを勧めたのは先生ですよ」

 僕はそう言った。どうせ全身麻酔をするんだからついでにやってもらいなさい、と言ったのはその医師であり、僕はまだその結果に戸惑っている。

「え、そうでしたっけ?」

 医師はそのことを覚えていなかったらしく、首を捻って

「西尾さんは飲酒もしているし喫煙もしているからガン体質なんですよ」

 と言った。ちょっと意地悪だな言い方だなぁ。

 まあ、それを体質というのかどうかは異論はあるが、言いたいのは罹患するポテンシャルが高いということであろう。

「ですかねぇ」

 溜息をついた僕に

「です。もうこれからは煙草も辞めて禁酒もしなければなりません」

 医師は怖い顔をした。

「はぁ」

 ガンだと言われても煙草もワインも飲んでいる身としては申し訳ない気持ちと反発したくなる気持ちが半々である。それに・・・まだどのステージなんか分からないこともあって、だいぶ減らしてはいるけど完全に禁酒・禁煙までしているわけではない。(禁酒は足の痺れもあって一月ほど前からアルコール分量20cc(つまりワインなら1杯)、煙草は一日25本吸っていたのを10本まで削減していた)

「ともかくも血液検査をしましょう。こっちでも調べられるだけは調べてみますから」

 そう言ってくれた医師に

「はい」

 僕は素直に返事をした。


 病院でどのステージなのか結論が出るまでの間は落ち着かない。未決囚みたいなものである。それにまだその病院にさえ辿り着けていない。

 その未決囚はヨーロッパに住んでいた頃に知り合った女性と一月遅れの彼女の誕生日祝いをすることにしていた。恵比寿にあるフランス料理屋で一度は行ってみたいなぁなんて思っていた店でもある。そこでランチながら食事をすることになっていた。さて、病気の話をするべきなのか、どうなのか?大学病院に行くのは翌日でその結果がでるのは更に後のことである。彼女はざっくばらんな性格で以前、彼女自身が病気になった時には(ちょっと微妙な病気だったけど)

「こんな病気になった」

 と伝えてきたこともあったのだけど・・・。

 約束した日曜日の昼、待ち合わせの喫茶店にやってきた彼女は髪を染めるのをやめたらしく、半分くらいが白髪で少しびっくりしたのだけど・・・。ガーベラの花束を贈ったらとても喜んでくれる、相変わらず素敵な女性だった。

 レストランに入りアルザスのゲヴュルツトラミネールを一杯だけ彼女とシェアして、コースの中から選ぶ。メインは子羊のロースト・・・子羊はあらゆるお肉の中で最高に美味しい。足の痺れでお酒を控えているんだと言って、彼女にはワインをもう一杯選んであげた。

 ジュブリ シャンベルタンは殊の外お気に入りになってもらって・・・勧めたワインを気に入って貰えるというのは嬉しいものだ。そう言えば、ミュンヘンでも一緒にフランス料理を食べたことがあったね、と彼女は言った。そう確か「タントリス」というモダンな店だった。二人とも昔話を懐かしむ歳になってしまった、と思うと感慨深い。あの頃からもう30年は優に経っている。

 結局病気の話はしなかった。誕生日にする話でもないだろうし、と思ったのだ。恵比寿の駅で別れて、僕は彼女がくれたガレット(後で食べたら素敵に美味しかった)を持って、歩いて家に戻った。もし僕が手術をすることになって、万一失敗したらこれで彼女とお別れなのか、と思ったらちょっと切なかった。


 翌日の月曜日、僕は一人、大学病院へと赴いた。立て直したばかりらしい白い病院は陽の光を受けてまるで西洋墓地の墓標みたいに思えた。

 Covit19を警戒して入り口では監視人がマスクの着用と手指のアルコール消毒のチェックを行っていた。手袋をしていた僕はそのまま入ろうとして注意された。手指の消毒がウィルスの対応になるかは疑問の残るところであったけど、病院の対応としては正しい。受付でクリニックからの紹介状を渡すと行先を教えてくれ、エスカレーターに乗って僕は言われた窓口へと向かった。

 病院のシステムというのはそれぞれの病院で特有なものがあるが、経験上、賢くできたシステムを見たことがない。結構な大病院でも、なんで、こんな?と思わせるシステムがやたらと多い。

 この病院も例外ではなかった。予約の番号はアルファベットと数字の組み合わせで貰うのだが、どの部屋も同じ仕組みにしているので番号が重なる。そのために間違って隣の部屋に入ろうとする患者が出てくる。「次の呼び出し」には同じアルファベットの番号しか出てこないので正しいところに待っているのか不安になる。

 こうした仕組みはずっと昔からある方式をそのままIT化すると起こる。ちょっと考えればわかりそうなものだが、因習にとらわれた人々は「ちょっと考えること」を嫌がる。医師の腕がどうかはともかくとして、この病院は経営とかITはダメそうだ。

 ともかく、血圧を測った後、言われた通り部屋の前で、1時間弱待った。漸くアルファベットが変わり、自分の番号になったので部屋をノックする。白髪の目立つ初老の医師は、

「良かったですね、食道はなかなか見つかりにくい。偶然にしろ、胃カメラを勧めてくれたXクリニックさんに感謝しなければいけませんよ」

 という。実際のところは胃カメラを勧めてくれたのはその手前にいたかかりつけの医師の方なんだけど・・・。

「もう一度検査をしましょう。この病院の内視鏡は最新のものですからね。その上で内視鏡で手術し終えるか切除かを考えなければなりません」

 と器械の自慢をした。そう言えばXクリニックでも器械の自慢をされたような気がする。最近は医師の腕より器械の自慢をする方が患者にアピールするものなのだろうか?

「分かりました」

 応えた僕に

「ところで手術を忌避なさることはないですか?」

 医師は尋ねてきた。

「え?」

 僕は訝しい顔をした。すると医師は

「世の中には自分の体にメスを入れることを嫌がる人がいるんですよ。宗教上の理由とかもあるらしいが・・・。死んでも嫌だって」

 そう言った、医師は鼻を鳴らすようにして、

「しかし、そんなことを言っていたら死んでしまうんですよ。手術を拒否する人たちはそこのところを分かっていない」

 と続けた。だが、その言葉に僕はなんとなく違和感を覚えた。

 世の中には輸血を許さない宗教もあれば、手術を忌避する教えもある。そうした宗教的な教えは時として、患者の生命を結果として奪うことになるし、そもそも患者から「自分の生命をどうするのか」ということに関して考える機会を奪うネガティブな側面が多い。職業としての医師はそれと正反対の立場にあることもわかる。

 だが、と僕は思った。

 僕は手術をすると決めたわけではない。病気の程度によって、それは医師と相談しながらもあくまで自分で決めるべき事柄である、と考えている。場合によっては治療を受けないという事が自分の尊厳として残されなければいけない。手術を忌避することも強要することも「教え」としては存在すべきではない、と僕は思っていた。

 「そんなことを言っていたら死んでしまうんですよ。手術を拒否する人たちはそこのところを分かっていない」というのは医師の論理としては正しくても、医師が患者に対していうべき言葉ではないのだ。

 そう思ったが、検査は受けることにした。病状がはっきりしないままうろうろしても仕方がない。内視鏡手術で済むなら、それで構わないし、そうでなければ他に考えればいいことだ。その検査を受ける地下で待っていると、どこからか患者がストレッチャーに乗せられてやってきた。輸液菅をつけられた患者は廊下のようなところに置かれたまましばらく放置されていた。それを横目で眺めながら、ソファに座っていると目の前のスイングドアを一人の看護士が足で蹴って入っていった。

 見ると、ドアのところに「ドアは足で押して入る事、手押しの場合は消毒してから」と書いてあり、消毒剤も置いてある。消毒剤の有効性はともかく、患者に対して入り口であれだけ厳しいことをしているんだから、自らも律しているんだなぁ、と思っていたら、その後に来た看護士は消毒もせずに手で押して入っていった。次の看護士も同じだった。

 僕は溜息をついた。やがて順番が来て僕は再び内視鏡の検査を受けた。

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