闘病記・・・というほどのものではないけれど

西尾 諒

第1話  入院前 1

「?」

 よほどぽかんとして見えたのだろう。目の前の医師は首を傾げ、それから僕の目を覗き込むようにして

「私の言っていることがわかりますか?」

 と尋ねてきた。

「ええ・・・でも。出血とは関係ないんですよね」

 僕はかろうじて答えた。

「ありません。食道から下血することはありませんね」

 医師は冷静に言い放った。

「しかし・・・そっちのほうは自覚症状は全くないんですけど」

 僕の問いに医師は、何を言っているんだとでもいうように眉をひそめた。

「この病気は自覚症状があったらほとんどの場合手遅れです」

「・・・そうですか・・・で下血の方は?」

 僕は依然として自覚症状のある方に拘って尋ねた。

「どうですかね、大腸にポリープが二つありましたからその方からの出血かもしれないが・・・まあ、ポリープは切除しましたけど良性です」

 医師はもはやそれはどうでもいいことのような口調で答えた。

「ああ、そうなんですか」

 まあ、検査の結果がそうなら仕方ない。事実にあらがってもしょうがないし、自分の体のこととはいえ検査の結果に異議を唱える根拠もない。

「で、ガンのほうですが、手術をしなければならないでしょう。どこか心当たりのある病院はありますか?」

 医師は尋ねてきた。

「あ、いえ・・・。どこかおすすめのところがありますか?」

 おすすめっていうのは変な響きだと思いながら僕は尋ね返した。

「そうですね。では・・・」

 医師は僕も名前のきいたことのあるある私立医大の附属病院の名前を上げ

「こちらが良いと思いますよ。紹介状を書きましょう」

「あ、よろしくお願いいたします」

 不本意ながら僕は頭を下げたのだった。


 こうして今年1月の末、僕は「ガン」の「宣告」を正式に受けたのである。

 それにしても、なぜ「ガン」は「宣告」だったり「告知」だったりするのであろうか?例えば風邪とか胃腸炎には「宣告」や「告知」などというおどろおどろしい言葉は使われない。

 つまり「ガン」は医者が「うん、君はもうだめかもしれん」と告げる病気なのであり、告知という言葉にはSentence to death(死の宣告)のような響きが伴う。


 そもそもの始まりは昨年の年末、突然風呂場で下血に見舞われたことであった。今まで大した病気などしたことはないし、まして下血などしたことがない。最初のうちはどこか傷があるのではないかと思って周辺をくまなく調べたのだが、傷跡も痛みもない。これは医者に相談するしかないと思って、いつも行っている内科医の医師に相談に行った。

 そもそも奥さんがやっている皮膚科の方でかかっていたクリニックであるが一度、足の痺れを訴えたところ、そのクリニックを経て一度総合病院に行ったことがあり結局内科へと差し戻しになって、その時からその先生には見てもらっている。

 僕はお医者さんにはうるさくて「信頼できない医者」に見てもらうなら見てもらわない方がまし、位におもっているところがあり、お医者さんにとっては厄介な患者なのかもしれない。だが、この世の中には結構、無能なお医者さんがたくさんいるのは事実で、その割合は「無能なサラリーマン」の比率とさして変わらない。医師免許を取ったから有能ということでもないらしい。

 そんな中でこの夫婦のお医者さんは信頼できる組だ。

 その前にかかっていた医者は足が痺れると言っているのに関係ない水虫を発見して治療してくれた。確かに水虫は治ったが、明らかにこの医者はヤブの方だった。患者の言うことを全く聞いていない。そもそも待合室にゴルフのコンペの結果を飾っている時点で疑問に思っていたのである。そんな医者は信頼できないので通うのを即刻やめた。

 他にもいくつか試したあげくに、最終的に辿たどり着いたのがこのお医者さんだった。内科の先生の方はどちらかというと子供好きで小児内科っぽい感じの先生ではある。

「うーん、それは」

 その医師は困ったように言った。

「見ないと分かりませんね。ここでお尻を見ますか?」

「いや・・・適当な先生を紹介いただければ」

「そうですね」

 医師は少し安心したように答えると肛門科の医者を紹介してくれた。そして、

「まあ、あなたは煙草もお酒もやるんだから内視鏡検査のついでに胃カメラもやった方がいいですよ」

 とアドバイスをしてくれた。紹介された医者は住んでいるところの近くで年明け早々に予約を取って訪れた。そのときは内視鏡の予約だけをしたのだが、よく考えてみるとどうせ麻酔をするなら行きつけの医師の言っていた通り胃カメラもやってもらった方がいいかなと思い直し予約の追加をしたのだ。

 その結果内視鏡では良性のポリープしか見つからず、胃カメラの結果が「胃」ではなく「食道」の方に見つかったというわけで、当初の下血の原因はどこへやら、どんどんと話がずれていった挙句のガン宣告に僕は呆然としただけである。


 紹介状を書いて貰い、クリニックを後にするとすぐに紹介先の病院に電話をして予約を入れた。二週間ほど先でしか予約は取れないが、まあその二週間で急速に悪化するというものでもなかろう。

 内視鏡検査で組織片からガン細胞が見つかったというだけではどの程度のステージかは判断できない。内視鏡手術で治癒できるいわゆるステージ0から、転移していたり治癒が困難なステージ4まで様々な可能性がある。それを知らないうちにジタバタしても仕方ない。しかし、それぞれに応じて今後の人生を再設計する必要がある。

 ステージ0であれば、さして今までの生活を変える必要はないだろうが、禁煙とか禁酒とかは医者のアドヴァイスに従うしかないだろう。逆にステージ4とかなら、さっぱりとしたものであとはどれだけ痛みを伴わずに最期を迎えるか、という事を考えざるを得ない。だいたいもう六十にもなれば、いずれ人生の最期を迎えるしかないわけで、そのおおよその人生のリミットが分かるだけである。

 ステージ4であれば、むしろ余生をどうやって痛みを少なくしながら楽しむか、という方法をみつけるしかないだろうと思った。

 問題はその中間の場合である。何度も手術した挙句、苦しんでなくなるというケースも聞く。その選択がどうやってなされたのかいろいろなケースがあるだろうけれど、よく考えねばならない。

 ガンは悪性新生物とか呼ばれるが、「生物」にしてはあまり賢い動きをしない。宿主の体の機能を低下させ死に至らしめるだけのものである。ウィルスにしても細菌にしても自らの繁殖を患者の個体を飛び越えて行うのでガンよりはよほど賢い。ガンに類推で一番似ているのは鉄の赤錆で、鉄の本来の機能を失うばかりでなく、錆は転移していく。つまり赤錆は鉄をポンコツ化する。それにたとえれば生物機能のポンコツ化がガンの本質のような気がする。そんなポンコツ化を招いたのは長年にわたる喫煙と飲酒なのであろう。それについてはぐうの音も出ない。

 とはいえ、ではそれが真実かと言えばそれは類推でしかない、と喫煙者であり飲酒者であった僕の心は囁く。喫煙者で酒飲みだってガンになっていないひとはいくらでもいるし、その逆のケースだっていくらでもある。ただ・・・そうした主張の旗は個人的には下ろさなければならない。それは仕方のないことである。ガンなのにその主張をするなら治療そのものを拒否するのが筋であろう。そうでなければ医者に失礼である。

 そして僕はがん患者としての「闘病の道」の第一歩を歩き始めたのであった。2022年1月26日のことであった。




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