第18話 5日目 2022年5月18日 (水)
昨日の就寝は10時。0時過ぎと2時半に目が覚め、起床は4時半。目覚める回数は多かったが睡眠時間としてはまあまあ。だが依然として寝起きには苦労する。立っている時はさほど感じないが横になろうとすると左腹の奥と右腹の脇が痛む。右腹は立っている時に触っても感覚がない感じがするだけだが、横になる時にはかなり痛む。病院で使っていたベッドが真剣に羨ましくて保険金が出たら買おうかなと、思う。病院で使っていたのはパラマウントベッドで特に頭の角度を0°から75°まで動かせるのが良かった。それにベッドは一度座ってから横になれるのが良い。今はマットレスを床に直置きにしているため一度座ってから体を伸ばさなければならないがその作業が辛いのだ。その点電動ベッドは地面に座るという作業もないし、背もたれを角度を立てておいて横から椅子に座るようにして、その後角度をゆっくりと下げていくと苦痛が少ない。そんなことは今までは考えずに寝ていたのだけど年をとって病気になるという事はそういうものなのだ。
もう4時半になると外は明るい。
暫くしてカーテンを開けてみると雨は降っていない。曇っていたがやがて日が出た。やはり晴れの天気と言うのは気持ちの良いものだ。
朝の体温36.1°血圧146/66 脈拍72。血圧が高い。安定しない血圧と言うのは不安を覚えさせる。
食事は昨日のご飯の残りを「ゆかり」という紫蘇のふりかけで食べる。この紫蘇のふりかけは入院中に買ったもので、御粥によく合う。それが大きな美点である。
ご飯によく合う、かつおふりかけや「のりたま」は御粥では実力を発揮できない。ごま塩が一番合うのではと思ったがちょっとその組み合わせは塩分があり過ぎで看護師に見つかっては具合が悪そうだったので「ゆかり」の方を購入した。その残りを病院から持って帰って来たのだ。この紫蘇の味と言うのはあまり海外では味わうことのできないもので、以前ロンドンに住んでいた時聞いた話だが(本当はいけないことなのだろうが)紫蘇の種を持ってきて植えてみた人がいたのだけど、育つには育つがちっとも紫蘇の香りがしなかったそうだ。水と土の違いなのだろうが詳しい理由は分からない。
今日は昨日に比べて暑くなるらしいので、念のため腸瘻で水を100ccほど入れておく。水の摂取は経口で2000cc取れば問題ないらしい。といっても食事に含まれている水分なども含めてだから目安として水分として飲むものは1000cc。腸瘻が取れるまでは最前紹介した「ソルティライチ」や「熱中対策水(日向夏)」の500ccペットボトルを買って1日一本、それにトマトジュース、オレンジジュースなどを含め1000ccを確保することにしている。
環境のことを考えればあまりペットボトル飲料は買わないのが望ましいのだろうけど、最大3週間のことだ。許してもらおう。
朝の4時間は相変わらず腸瘻のために外出できないので音楽を聴く。今日は昨日の流れでリヒャルトシュトラウスの「家庭交響曲」を聴いてみた。この曲は特に好きと言うわけではなく、演奏も一種類しか持っていないのだが、久しぶりに聞いたら立派なオーケストレーションを備えた曲であった。リヒャルトシュトラウスは本当にオーケストレーションがうまい作曲家である。にしてもSinfonia domesticaというのは本当に「家庭交響曲」という意味なのか、どうも「家庭」と「交響曲」というのは収まりの悪い組合わせのような気がしてライナーノーツを読んでみたら、どうやら「家庭」は正しいらしい。リヒャルトシュトラウスは"My next tone poem will represent a day in my family"(次の交響詩の題材は私の家族の一日だ)と言ったそうで、「あ、そうなんだ」と感心した。しかしまあ、普通家庭は室内楽曲くらいで収まるんじゃないの?とは思うがリヒャルトシュトラウスの家庭はそんなものでは収まらないのだろう。立派な交響曲(というか交響詩)である。
*Richard Strauss "Sinfonia domestica" Berliner Philharmoniker
Dirigent: Herbert von Karajan EMI CDM 7 69571 2
お昼はテーブルマークの冷凍讃岐うどんを買ってきたものをお湯で湯がいて、昨日の残りの豚肉とピーマンを使って焼うどんを作る。昔はカトキチというブランドのものだったが買収されたらしい。この冷凍うどんは硬さが好みで普通なら冷やしうどんで食べる。焼うどんにはちょっともったいないが、仕方あるまい。湯がいたうどんをざるに揚げ、豚肉とピーマンの乱切りを油で炒めニンベンのつゆの素で味付けをしてうどんを入れて味が回ったら皿に移す。
歯ごたえはいいのだが、焼うどんにあうのは業務スーパーで19円で売っていたきしめんが一番合う。昨日久しぶりに店に行ったら20円に値上がりしていたが、まあ安いい。きしめんは幅が広いので味が乗りやすいし硬さと言うか柔らかさもちょうどいいのだ。
蛍光灯が切れたので大井町の電機量販店にでも出かけようかなと思ったが、まだ体の調子がそこまで戻っていないので、髪を切りに行った。以前は目黒大橋の近くにある床屋に行っていたのだが、最近は五反田のQBハウスで済ませている。そんなに上等ではないがとにかくさっさと済ませられるところがいい。1200円という値段は安いのか高いのかは分からない。10分程度で終わってしまうので時給に直せは7200円、以前の床屋は終わるまでに一時間とまではいかないが40分ほどかけて3000円だから時給にすれば割安ともいえる。
ヒゲとかも当たってくれるし長くなった眉毛も切ってくれる、そう考えればどっちもどっちなのだが、まあまだコロナの蔓延中の世の中であるので接触時間は短い方がいいのだろう。依然行っていた床屋は一度、理由も告げずに暫く休業していたのだが、もしかしたら患者が出たのかもしれない。
帰宅すると病院からの請求書が来ていた。保険とかで本来なら100万円を超える治療費のはずが15万円ほどになっている、ありがたいことである。がんの保険には少額ながら入っていたので、治療費とベッドの購入費用やその他諸経費を除いた額は病院の寄付にあてようと思っている。まあ、治療費減額は病院ではなく国の制度としてあるわけだが、こういう医療機関は独自に財政を切り回せる自由度を持っていた方が何かと良いし、結局は国の負担を減らすことにもなるだろう。
以前にも書いた通り一部の看護士には多大な不満があるが、全体としては良い病院であった。できればもっと良い病院にしてほしいものだ。
優勝までの間Geroges Brassansのシャンソン曲集を聴く。大学ではフランス語を第2外国語に選択して、たぶんその時にNHKの語学講座で最初に彼の曲を聴いた記憶がある。Les Lilasという曲はこの曲集にも入っていてこれとほぼ同じ曲の納められたレコードを買って聞いていた。Oncle ArchiboldやJe me suis fait tout petit, Au bois de mon coeur全ての曲が懐かしい。私にとってのシャンソンはエディット ピアフやジルベール ベコー、イブ モンタンではなくジョルジュ ブラッサンスともう一人挙げるとすればジャック ブレルである。
ジョルジュブラッサンスは男の自分が聞いても色っぽい男の魅力に溢れた声質を持っていて、その人が囁くような歌声で
「僕は今まで人の前で帽子を脱いだことなんぞない。でも今は彼女がすすを鳴らせばいい子になってはいつくばるのさ」
なんて歌うわけで・・・なんかいいなぁ。
*Paroles et musiques: Georges Brassans Chanson pour l'Auvergnat
Philips 818 963-2
歩いた歩数は10,298。頑張った方かなぁ。夜の体温は36.0℃、血圧は116/70で脈拍は79だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます