第8話

 中山が轢かれて死んだのを見て依頼者はその場に泣き崩れてしまった。私がもっとも怖れていた状況が起こってしまったのだ。そう、私は彼女に最初に会ったときから分かっていたのだ、彼女がまだ中山を愛していたことを。彼女が依頼をMAXでお願いしたときに震えた声で言っていたのはおそらく私がどこまでやるか分からなかったからだろう。だが、きっと彼女はその後の私の「懲らしめてやる」という発言で安心したのだ。これは推測の域を出ないが、もしかしたら彼女が貯めていたお金を私達に全て委ねたのはもし仮に男が彼女をまだ愛していれば、お金が無くてもきっともう一度自分を選んでくれる、そんな淡い期待を込めていたのかもしれない。だが、私は男の命を守ってやれなかった。私は彼女の幸せを奪ってしまった。

 事件の後、神谷恵は逮捕され、依頼者は私達の前から姿をくらました。もちろん私が連絡を取ろうと思えばとれるが、私は依頼を一通り終えたあとはその成否に関わらず私からは何も言わないというルールで動いている。それに今更彼女に合わせる顔もない。これでこの件は終わり、そう思っていた。だが、数日後依頼者が再び私達の事務所を訪ねてきたと部下から連絡が来た。

(支払ったお金を返してと言いに来たのかな。)

などと考えながら私は急いで事務所に向かった。事務所に着くと依頼者の女性は私の方を向いて頭を下げた。

「先日はどうもありがとうございました。」

彼女は私にそう伝えた。おそらく皮肉なのだろうと思ったが、私には謝罪の言葉をかける以外に出来ることは無かった。

「すみませんでした。私はあなたの大切なものを守れませんでした。」

「何を言っているんですか?私はあなたに感謝を伝えているのですよ。これは成功報酬です。1000万あります。」

何を言っているのかと聞きたいのはこっちの方だった。「そんなの受け取れませんよ今回私はあなたの依頼を達成することが出来なかった。」

「いえいえ、私は今とても幸せです。確かにあの時の私はまだあの人を愛していたのでしょう。でも、私はあなたに依頼して良かったと思っています。あなたのおかげで私はあの人にとらわれずに済んだ。私の側にはとてもすてきな人がいたことを気付かせてくれたのはあなたです。本当にありがとうございました。それでは失礼します。」

言い終えると彼女はその場を去った。どうやら、彼女は今は大手企業の社員と出会い、結婚を前提に交際しているらしい。成功報酬の1000万も用意できたのは彼のおかげのようだ。彼女の交際相手がいうには自分たちを巡り合わせてくれたのだから1000万くらい払って当然だろうと。彼にとって彼女との出会いはそれほど価値のあるものだったのだろう。今回、私は自分の思ったとおりに事を運ぶことが出来なかった。だが、依頼者は今幸せであり、私達にそうとうな額のお金を支払ってくれた。今回の事件について思い出しながら物思いに耽っていると、1本の電話がかかってきた。私は依頼者を幸せに出来て良かったという感情と、依頼者が幸せならいいと妥協している自分に対しての怒りとが入り交じった感情を抱えながら受話器を取った。「ボス、依頼です。すぐにこちらに来てください。」部下からそう伝えられた私はすぐに用意して事務所に向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る