第10話
家に着く頃に日は大山の向こうへと落ち切っていて、街灯や家の灯り、それから行き交う車のライトが闇に浮かんでいる。
「おかえり2人とも」
「あれ、にちかさん」
一ノ瀬家のリビングに入ると、ソファーに座ってくつろぐにちか先輩がいた。土曜日だというのに制服姿なのは部活動があったからだろう。
「おかえり~」
「おじゃまします雛菜姉」
「もう恋くん、おかえりでいいのに~」
「姉さん、母さんは?」
「まだ帰って来てない」
リビングに由美子さんや陽貴たちのお父さん——和樹さんの姿が見えない。雛菜姉の部屋ではなくここにいたのはそういうことか。
俺は上着を脱いで、雛菜姉が温っている炬燵に足を入れた。それから突っ立ったままの陽貴に、炬燵で溶けた声でお願いする。
「陽貴、俺お茶でいいぞ」
「おい」
「私もね陽貴。あ、あとにちかが買って来たお菓子が冷蔵庫に入ってるからそれも」
「おい」
炬燵の魔力に捕らわれ者たちの言葉に陽貴は抗議の声と視線を送ってきたが、すぐに諦めたようにため息を吐いた。
「私も手伝うよ陽貴くん」
「え、いやいいですよ。にちかさんはお客さんなんですし」
「ふふ、気にしないでくれ」
「そうそう陽貴。にちかがそう言ってるんだから」
「姉さんが手伝ってくれれば済む話なんだけどね」
陽貴は恨み言を残してキッチンに向かい、にちか先輩もそれについていく。
一ノ瀬家はリビングからキッチンを見ることができるので、当然俺は2人の様子をローテーブルに顎を乗せながら眺める。横の辺にいた雛菜姉も同じようにして、いや俺よりも意地悪そうに口元を引き上げ、にやりと笑っていた。
「ねぇ恋くん」
「なに雛菜姉」
雛菜姉が陽貴たちに聞こえないように声を潜めたので、俺もそれに倣って応じた。
「恋くんはにちかの気持ち知ってるんだよね?」
「まあ、うん。もしかしてにちか先輩から何か聞いてる?」
「恋くんがあの弟に好意を寄せる女の子みんなを手助けするってことをね」
「つまり全部ね」
このタイミングで話してきたということは、俺たちが帰ってくる前にでも話していたのだろうか。
「恋くんも面白いこと考えるねぇ」
「いや、俺が面白いっていうよりかは、陽貴が面白いってだけだよ」
「あいつ、確かに私に似て顔立ちはいいけど、ただのヒョロガリなんだけどなぁ。なんであんなにモテるの? しかもかわいい女の子ばかりに」
「それはわからないけど。ラブコメ的に言ったら、最高に主人公してるよあいつ」
陽貴の言葉ににちか先輩が春の日差しのような表情を浮かべる。隣で「ぐっ」という呻き声が漏れた。
「親友が弟にデレているのを見るの、結構キツイわね……」
「あ、やっぱりそこは嫌なんだ」
雛菜姉が苦虫を噛み潰したような顔をした。
「にちか本当にいい子だし、思いは尊重してあげたいんだけどね。はぁ。でも、それと同時になぜあんないい子が陽貴に……って思うのよね。はぁ。にちか1年の時からモテモテだったのに、浮いた話がなかったからどうなるんだろって思ってたのよ。それが、よりにもよって……はぁ」
「本当に辛そうだね……」
雛菜姉は堪えられないといった様子でため息を連発した。
「ただ、それはそれとして——」
いたずらをしかけている小学生のように声を潜ませて雛菜姉は、
「面白いことに代わりはないわよねぇ」
あー、俺もこんな風に見えていたのかなぁ。いや、俺は隠す努力はしていたから。
雛菜姉は興奮を抑えきれないといったようすで続けた。
「なによこれ、最近のハーレムモノでもこんなことないわよ! ほんとにこんなことあるんだぁ! いやぁ、でも確かに、パッとしないのに一芸あるところとかそれっぽいかも陽貴!」
「雛菜姉落ち着いて……」
小さな声で話しているとはいえ、さすがに向こうまで声が届きかねない。
というか、相変わらずのオタクぶりだなぁ。そのオタクとしての性癖の1つに俺みたいなのが含まれているらしく、海外に行く前は本当に着せ替え人形にさせられた。まあ、俺もかわいい服が着られるのであれば文句はなかったので、利害は一致していたのでいい関係だったと思う。
その過程で、雛菜姉からは度々ライトノベルをオススメされることがあったので、俺もそれなりに読んでいた。
雛菜姉が呪文のように唱えた内容もしっかり理解しているし俺も同意だった。
陽貴はまさしくハーレムモノの主人公なのだ。
「そうね、思いを私たちが教えちゃったら面白くないものね」
雛菜姉はふう、と息を吐いて興奮を落ち着けた。……若干鼻息が荒い気がするけど。
「でも恋くん、気をつけてね」
「ん? なにが?」
「陽貴が刺されるようなことにならないように」
「あー……」
それは、クリスマスになんちゃらみたいな話かな?
「あんなんでも弟だからね」
「大丈夫だよ。俺は大いに煽りはするけど、あいつは屑じゃないから」
「ま、屑だったら切り落としてしまえばいいと思うけどね」
「一応聞くけど、何を?」
「ちょっと、やだ、恋くん。私オタクの沼に浸かってはいるけど、これでもれっきとした花の女子高生よ? そんな恥ずかしこと……」
雛菜姉は顔を赤らめて、
「い〇もつに決まってるじゃない」
「雛菜姉が変わってなくて懐かしくなっちゃったよ」
この人本当に生徒会長できてるの?
「お待たせ」
「恋くんも来るかと思ってたからね、恋くんの分もあるよ」
「ありがとうございます、にちか先輩」
陽貴がお盆に乗せて来たものをテーブルの上に並べた。
俺の正面にはにちか先輩が、隣の辺には陽貴が座った。
にちか先輩の買ってきてくれたクッキーを頬張っていると、陽貴が話しかけて来た。
「それで、恋たちは何の話をしてたんだ?」
「うん? 恋とにちか先輩がキッチンに並んでいるのが新婚さんみたいだって話」
「ぶふぉっ」
「にちかさん!?」
にちか先輩が口に含んでいたお茶を吹きかけて、それを堪えるようとして変なところに入ってしまったのかむせていた。
心配する陽貴を、涙目のにちか先輩が手で制した。
「けほっ、ごほっ、だ、大丈夫」
「恋、急に変なこと言うなよ。にちか先輩がびっくりしてむせちゃっただろ」
「変なこともなにも、そういう風に見えるっていうただの感想だろ? というか、聞いてきたのは陽貴じゃねえか」
「陽貴のお嫁さんにはもったいないけど、にちかが義妹になるのは……悪くないわね」
「雛菜!? な、なに言ってるの!?」
雛菜姉の言葉ににちか先輩が狼狽する。
ああ、この人クールな見た目していじるのが面白すぎて止められない。雛菜姉も性格的に相性がよかったんだろうけど、こういうところを気に入っての可能性が高いな。
俺と雛菜姉のやんのやんのに、陽貴が声を上げた。
「2人とも、にちかさんが困ってるだろ」
「いや、陽貴くん私は大丈夫」
「いいえにちかさん。この2人には少しくらい強気に出ないと」
「陽貴くん」
「それに、俺がにちかさんと新婚扱いされるなんてありえませんよ。釣り合いません」
「陽貴くん……」
陽貴の言葉に、その場に製氷機のなかのような空気が広がった。
にちか先輩、さっきとは違う意味で涙目になってるんだが。
陽貴もその異変に気がつき、慌てて言葉を付け足す。
「いや、にちかさんが悪いんじゃなくて、俺がありえないくらい釣り合わないってことですからね!」
陽貴はそう言って自分の言葉に足りていなかった部分を補おうとするが、そうじゃない。根本的に間違ってるよお前。
「陽貴、あんたそれはないわ」
雛菜姉は心底ドン引きした目と声で陽貴を罵った。
「お前、ほんとにすごいな」
続けた俺の言葉も、言葉通りの意味が含まれていないことは明らかだった。
「なにわけわかんないこと言ってるんだよ!」
陽貴は俺と雛菜姉の言葉を一蹴し、にちか先輩のフォローに従事した。これは、陽貴とたくさん話せてラッキーなのか、それとも事故的なことが起きてアンラッキーなのか、よくわからないことになったな。
「雛菜姉」
「なに、恋くん」
「俺、陽貴が刺されない自信がなくなってきたよ」
「……刺されても陽貴の自業自得ね」
ハーレム主人公陽貴を中心に、お茶会は良くも悪くも盛り上がり、お開きとなった。
***
にちか先輩への配慮と罪滅ぼし的な意味を含めて、陽貴にはにちか先輩を駅まで送るように言った。
にちか先輩を見送った後、お茶会の後片付けをした後、俺はスマホにメッセージが届いていることに気が付いた。雛菜姉には家に戻ることを伝えて、自分の部屋で確認した。
相手は六花だった。
『今日はどうだった?』
どうやら、気になって仕方がないらしい。
結のことはもちろん、にちか先輩は来たことも含めて返信した。六花は『いいなぁー!』とかその都度に反応して、俺が一通り答えると『それなら』と送ってきた。
『なら、明日は陽貴くんを連れ出せない? バイト変わってもらえたんだ』
『大丈夫だと思うけど』
『なら明日も駅の周辺でいい? 午前から少しぶらついて、午後に少し見せたいものがあるんだ!』
見せたいもの。これ、書き方的に俺か陽貴かわからないけど、俺も含まれているのだろうか。
まあ、別にどっちでも大丈夫なのでその旨を返信した。
『なら、明日は服を見るのでもいい? せっかくなら恋くんがどういう感じ服を着るのか見てみたいし!』
『いいよ。陽貴は適当な理由でもつけて連れて来るから』
『ありがとう! 明日楽しみにしてるね!』
俺は、座っていた椅子の背もたれに寄りかかって息を吐いた。
「さて、どうしますかね」
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