第9話

『今週の土曜日、昼くらいから陽貴と出かけるけど来れる人いる?』


 にちか先輩と顔を合わせた日の夜、メッセージアプリのグループにそう書き込んだ。既読はあっという間についたけど反応は二分した。


『バイトだぁ』

『無理』

『部活だから』


 六花、椿、にちか先輩は簡単にそう返信してきた。無機質なはずの文字から滲んでいた妙な圧力は、あの返信の速さのせいだろうか。


『行けるよ!』


 対して結だけはそう反応していて、他のメンバーから(特に六花から)嫉妬と応援の言葉が浴びせられていた。

 それから結だけならということで個人間部屋に移動して、俺は土曜日のことを結に説明して当日が来た。


「こんにちは」


 待ち合わせ場所の駅前で1人で立っていると結が来た。約束の時間10分前だ。


「いいね結。気合入ってるね」

「あはは、なんだかんだ陽貴くんとお出かけするのって久しぶりだから」


 頬を指で掻いて照れを誤魔化す結の服装は、全体的に落ち着いた雰囲気だった。

 柔らかい生地で作られた首元にレースが飾られた白いシャツに、春らしく薄い黄色のカーディガンを重ね、下は緑地に褪せたピンクの花柄をあしらったロングスカート。足元はこげ茶色のショートブーツがスカートの裾に見え隠れしている。

 他にも化粧は服装に合わせてはいるが学校にいる時よりも明るい物を入れているし、耳元で揺れるイヤリングがかわいらしかった。

 結本人の人柄も相まって、本当によく似合っていた。


「お、おかしなところないかな?」

「あ、寝癖」

「嘘!?」

「嘘だよ。似合ってる」

「びっくりしたぁ。ありがとう。でもなんで嘘つくの?」

「そんなに緊張しなくていいから。あのさ、陽貴だぞ。こんなことを言うのは少しあれだけど、多分細かいところまで見ないから。なんとなくかわいいって思わせられれば御の字だよ」

「た、確かに? でもそれって少し複雑な気がする」

「まあ、見てほしかったら言葉にするのが一番だな」

「さすがに恥ずかしくて言えないよ」


 そうか? 俺なんてしょっちゅう陽貴に「これ似合ってるだろ」って自慢しに行ってたけどな。ああ、俺の場合は陽貴に限らず自慢していたか。


「恋くんは、パンツでもやっぱり女の子にしか見えないね」


 結の指摘した通り今日の俺はパンツコーデだ。黒のスキニージーンズに靴はスニーカー。上は薄ピンクのオーバーサイズのマウンテンパーカーを羽織っている。全体的にスポーティーな格好だ。髪も1つに結っているいるし、黒のキャップも被っている。


「その程度で男に見られるような容姿はしていないさ」

「だよね。凄い似合ってるよ」

「あたりまえさ」

「その自信がわたしも欲しいよ……」


 結は花が萎れていくように表所を曇らせた。

 そんなことを言われても、俺がかわいいのはあたりまえだからなぁ。白は白としか言いようがないように、かわいいものはかわいいとしか言えないだろう。あるのは言い回しくらいだ。


「ほら、陽貴もそろそろ来ると思うしそんな暗い表所するなって。笑顔が一番のおしゃれだぞ」

「……そうだね。うん、ありがとう」


 俺の言葉で結は笑顔を取り戻した。


 陽貴は少し遅れて来る。家が隣なのになんで一緒に来なかったのかというと、先に来てこうして結と話がしたかったからだ。それに出かけるまえに昼飯を作るのも面倒くさかったから、早く来て先に昼食を済ませてしまいたかった。


 それでも、陽貴もそろそろ来るはずだが。

 と、そんなことを考えていると、人の流れの向こう側に陽貴が見えた。向こうも気が付いたみたいで、流れを横切ってこちらに来た。


「お待たせ、2人とも」

「ううん、わたしは今来たところだから」

「遅いぞ陽貴」

「恋も結みたいに様式美を尊重してくれていいんだぞ」

「気を遣う相手を選ぶんだ」

「というか、別時間に遅れてないんだけど」

「男なら30分前に来とけ」


 陽貴にそう言い捨てると、陽貴は「理不尽な」とつぶやく。


「まあ、そういうのは置いておいて、ほら」

「ん?」

「ん?……じゃなくて、言うことがあるだろ」


 俺は視線だけで陽貴に促した。陽貴は「あぁ」と零すと、照れくさそうに頭をガシガシと触った。結の方へ改まって視線を向けると、錆びついてしまったようにぎこちない様子で言葉を絞り出した。


「似合ってる」

「え?」

「似合ってる」

「え、あ、ありがとう」


 陽貴の言葉は少しぶっきらぼうになってしまっていたが、結には十分なようだった。陽貴は少し気持ち悪い照れ方だし、結は結で照れすぎだ。


「君たち、こっちが恥ずかしくなるんだが」

「だ、男子にはハードルが高いんだよ」

「慣れてなくて……」

「陽貴は普段から意識しろって言っておくけど、結は意外だな」


 俺の感想に陽貴が苦虫を潰したような表情を浮かべた一方で、結が不思議そうな様子で反応した。


「意外、ですか?」

「結ってかなりかわいいから慣れてるかと思ってったってこと」

「そんなことないよ。……それに自分で言うのも憚られるだけど、少し前までその、芋っぽかったし」

「そうなんだ」

「うん」

「まあ今はもうかわいいんだし、これからは言われる機会も増えるから覚悟しておきなよ」

「え、えぇ~」


 情けない声を上げる結。でも、本当のことだ。これから陽貴には結を、もっと言えば陽貴のことが好きな女の子たちにかわいいって言わせる予定なんだから。


「そろそろ行かないか恋」


 待ちかねた陽貴が催促した。


「だな。じゃあ行くか」



 ***



「今日は恋の家の日用品を買うんだよな」

「ああ。日本に戻ってきたのって本当に最近で、正直そこまで物が揃ってないんだよ」

「確かに、うちから少し借りて行ってるもんな」


 駅の周辺には三つの商業施設があるが、今は1番新しい屋内型の施設をぶらついていた。駅に直結していることもあり、買い物客は多い。俺がいた頃はまだオープン直前で、実はここに来るのは初めてだったりするのだ。


 陽貴が疑問を口にした。


「なら結はなんできたんだ? 俺は、まあ非力だけど荷物持ちってことなのはわかるんだけど」

「えっと……」


 口篭る結の代わりに答えた。


「転校してきてできた友達を呼ぶのは当たり前だろ? 他にも声はかけたけど、来れたのが結だけだったってことだ」

「そ、そうなの! わたしも恋くんとは仲良くなりたかったから」

「そうなのか? 確かに、まだ会って数日なのによく話してるし気が合ってるのかもな」


 陽貴が納得したことに結が肩を撫で下ろした。この調子で大丈夫か?

 恋愛絡みという裏事情は陽貴には伏せておかないといけないかもしれないけど、全部伏せるのなんて無理な話だ。だったら明かせる部分は明かしてしまう方が気が楽というものだ。


 隣を歩いていた陽貴が確認してくる。


「で、具体的には何を買うんだ?」

「うーん。今日はとりあえず水回りのものかな」

「水回り?」

「お風呂で使うものとか、トイレに置いておくものとか。うちが海外に行ってる間は親戚の叔母さんに管理を頼んでたから家電とかは意外と大丈夫だったんだけど、水回りは駄目でな。というか、消耗品の類は当然なくなってたからそれも買わないといけないし」

「なるほど」


 母さんには連絡していて、買う許可も得ている。そのあたりは信頼を獲得しておいてよかったというものだ。


「じゃあ、1階のお店に行こう。2階以上はアパレルが多いから」

「そっか。ありがとう結」


 結の案内で店を回る。正直、陽貴だけだとこいつもあまりこの施設に何が入っているのか分かっていなさそうだったから助かった。

 ただ、それにしても、


「結って、こういう買い物に慣れてる?」


 結が案内してくれるのは女子高生が頻繁にくるようなお店ではなかった。実際、大人の人が多いし。

 結は俺の疑問に対して、少しだけ言葉につまったけど答えてくれた。


「うん。まあ、普通の女子高生よりは慣れてるかな。母子家庭だから、家事することが多くって」

「あー」

「……恋くん、陽貴くんと同じ反応するんだね」

「え?」


 結の言葉に思わず陽貴のことを見上げた。さっきから黙っているなと思っていたけど、陽貴は知っていたわけか。


「陽貴くんも、私が今のことを明かした時同じ反応してね。普通の人だと、なんか気まずい雰囲気になっちゃうんだけど」

「あー、なるほどね」


 センシティブな話題ではあるし、反応に困るものか。俺もそこは変わらないけど。


「俺が話してるのは母子家庭の鑓水結じゃないし。だったら、俺には関係ないし」

「……そこまで陽貴くんと一緒だ」


 俺は陽貴をキッと睨み上げ、


「パクるんじゃない陽貴」

「どちらかと言うと恋がパクッテるけど!?」

「ふふ、ありがとう恋くん」

「特に何をしたわけでもないけどな」


 そこから先を押して図るのは傲慢というものだから、結の反応の背景にあるものには思考を巡らせないようにする。話してくれたら聞くけど、そこに踏み込むのは俺の役目じゃないし。


「ああ、そうだ。店の中を適当に見てくるから、陽貴は結を相手しておいてくれ。荷物持ちが必要になったら呼ぶから」

「うん、わかった」

「へっ? 恋くん!?」


 そうやって適当な理由をつけて陽貴と結を2人にした。結には話していなかったけど、元々もこうする予定だった。その方が結にとっていいし、俺にとっても気兼ねなく買うものを選ぶことができる。

 何を話していたのかは後で結に聞けばいいだろう。



 ***



 必要な物を買いそろえた時には結の緊張も解けていた。代わりに非力な陽貴が辛そうな表情をしている。


「だ、大丈夫陽貴くん?」

「大丈夫、だ、多分。家までは自転車に乗っけるし」

「リュックにも背負えよ」

「少しは恋が持ってくれてもいんだけど。恋のだし」

「馬鹿野郎、俺はお前以上の非力だぞ」


 だから陽貴を呼んだんだ。

 俺と陽貴のやり取りを見ていた結は「あはは」と軽く笑いながら、スマホで時計を見た。


「あ、じゃあ電車の時間だからそろそろ行くね」

「今日はありがとう、結。恋が突然誘ったんだろ?」

「ううん、気にしないで。わたしも来たかっただけだから」

「そうなの? まあ、気をつけてね」

「ありがとう陽貴くん。荷物持ち家まで頑張ってね。恋くんもまた月曜日」

「おう、今日はサンキュー」


 構内に消えていく結を見送って、俺たちも家路についた。

 太陽は大山に消えかかっており、オレンジが宙に線を伸ばしていた。その眩しさに目を細めながら、俺と陽貴は自転車を漕いでいた。


「割らないように気をつけろよ~」

「わかってるよ。それで、何を企んでるんだ?」

「唐突だな。といいうか、企んでるってなんだよ」

「急に俺を誘ったり、それに結がついてきたり、おかしいから。仲良くなりたいっていうのは噓じゃないかもだけど、それだけじゃないだろ」

「ま、それは確かにそうだけどさ」


 こいつ、十年来の親友を疑い過ぎだろう。


「でも、陽貴には言えないな。これは俺の楽しみなんだ」

「はあ?」

「陽貴に言ったら無意味になるってこと。まあ、陽貴は普通に過ごせばいいよ」

「……変なことはしないでくれよ?」

「善処する」


 怖いなぁ、と遠くを見つめる陽貴は、「でも」と続ける。


「恋のことは信じてるから大丈夫か」

「……」


 雲一つない、まさにこの夕焼けいたいな言葉に俺は腹がむずがゆくなった。


「お前、よく恥ずかし気もなくそういうことを言えるな」


 このあたりが陽貴がハーレムを作った原因の一つなのだろと思う。その明け透けさには、かつて俺も救われた記憶があるからなおさら。

 まあ、本人はきっと自覚していないところなんだろうけど。


 センチメンタルな気分に入りかけると、スマホに通知が入った。陽貴に一声かけて止まってから確認すると、にちか先輩からのメッセージだった。


『今、雛菜の部屋に遊びに来ているんだが、いつ頃帰宅するのかな?』


 にやり、と音が付くだろう笑みを浮かべ、俺は陽貴に呼び掛けた。


「早く帰るぞ陽貴!」

「は? おい、待てって!」


 今日はまさかの面白いこと2本立てだ!



 





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