第8話

 翌日、件の先輩とは食堂の端っこで話すことになった。その先輩はこのあとも部活があるらしいのだ。

 放課後の食堂には人がほとんどいない。これなら話すのもできそうだ。


 結たちと一緒に食堂の隅っこの席で先輩を待っていると、六花がこちらに向かって歩いてくる生徒に手を振った。


「にちか先輩、こっちこっち!」


 静かな食堂に六花の溌剌とした声がよく響いた。反射してやまびこみたいになってるし。

 件の先輩——にちか先輩は恥ずかしそうに周囲を見回すと、小走りでこちらに来た。

 それにしても、身長高いな。170くらいありそうだ。モデルになれそうなほどスタイルがいいな。


 にちか先輩はほんのりと顔を赤くしていた。


「六花ちゃん、恥ずかしいでしょ」

「あはは、すみません。でもにちか先輩の反応かわいいっ」

「もう、からかわないの」

「ごめなさーい」


 にちか先輩は六花とのやり取りを終えると、俺に向き直って「ごほんっ」と咳払いをした。


「はじめまして。私は3年の渡会わたらいにちか。きみが陽貴くんの幼馴染だっていう墨夜恋くんね」

「恋でいいですよ。にちか先輩」

「ありがと。……それにしても、本当に女の子にしか見えないわね」


 先輩はぼそりと呟くと俺のことを正面からまじまじと観察した。


「あ、ごめんなさい。あまり見ない方がよかったかしら」

「いえ、慣れてますし特に気にしたことないんで大丈夫ですよ」

「そ、そう?」

「あ、ならあたしもいい? 恋の髪、凄い綺麗だと思ってたから触らせて!」

「わたしも少しだけ」

「はぁ」


 六花に続いて、結や椿まで俺観察会に参加した。


「近くで見ても男子に見えないね」

「うわ、髪あたしよりも綺麗だ」

「肌白いなぁ」

「手綺麗」


 にちか先輩は全体を、六花は髪を、結は顔を、椿は手を。それぞれじっくりと近くで見ている。流石にこんなに間近で見られることは少ないから少し照れるな。

 髪に手を伸ばそうとしていた六花が「あっ」と声を上げた。


「恋、昨日の陽貴のやつに出て来たのって恋でしょ!」

「あー、陽貴のことってここにいる全員知ってるってことでいいのか?」

「うん、私も椿も、にちか先輩も知ってるよ」


 結の答えに椿とにちか先輩が頷いた。それなら少し声を抑えて話せば大丈夫か。

 俺は髪の先の方を手櫛している六花に答えた。


「六花の言う通り、昨日のは俺だよ」

「やっぱり!」

「昨日のって、陽貴くんの配信に乱入した幼馴染だよね。わたしも切り抜きで見たよ」

「そう! 声は全然恋じゃなかったんだけど、恋しかいないと思ってたんだ」

「元の声も中性的だけど、そうか、あれが恋くんだったんだね」

「恋、喉の使い方が上手いんだね」

「あー、まあ、ほとんど練習はしてないんだけどね。可愛い声でおねだりすると大抵の人が優しくしてくれてお得だったからさ」


 俺の言葉に女性陣が揃えて「えぇ……」と声を漏らした。

 おっと、俺の好感度が下がってる気がするから、ここで一つ陽貴の話でもして好感度を稼いでおくか。


「女性を使うえるようになったのは海外に行ってからだったんだけど。初めて女声で陽貴に電話をした時は英語で話しかけたことも相まって、あいつ凄い慌てふためいてたよ」

「昨日みたいに?」

「昨日よりももっとだよ」

「あはは。陽貴って反応面白いからね!」

「六花とは気が合いそうだな」


 なかなか目の付け所がいいじゃないか。

 1人で感心していると、椿が落ちついた声で聞いてきた。


「恋、女性って昨日みたいな甘い声しか出せないの?」

「いや、他にも色々出せるよ。例えば——」


 俺は喉の調子を整えて女声を披露した。


「『こんな風に、お姉さんみたいな感じとか』」

「「おお」」

「『溌剌した感じ』。あとは『ろりろりしたかんじとか』」

「「おおお!」」

「声音だけじゃなくて、喋り方とか雰囲気を変えればもっと出せるよ」

「……ほんとに喉の使い方が上手い」

「声優さんみたいだったね」

「俺の108ある特技のうちの1つ」


 俺の演技にみんな驚いたようで、特に椿はなにやらぶつぶつと呟いている。

 ただ、時間も無限ではないし早く用件に入るとしよう。


「じゃあ、そろそろ本題に入ろう」


 全員俺の言葉にはっとして、ぞろぞろと椅子に座った。すこしひんやりとしている。


「まあ、そうは言ったものを、実はにちか先輩と顔を合わせること以外には、もう1つしか言うことないんだけどね」

「それが大事だからこうして集まったんでしょう」

「その通り。で、その大事なことって言うのは、俺がいつ陽貴を遊びに誘うかってことでさ。これだけ多いと、正直全員の予定を合わせるのは大変だと思うんだよ」

「わたしは部活だし、最後の大会も控えているしね」

「にちか先輩だけじゃないですよ。わたしも六花ちゃんもバイトがあるし、椿ちゃんも似たようなものだし」

「うんうん。そうですよにちか先輩」

「だね」


 にちか先輩は「ありがとう」とだけ言って話の続きを求めた。


「で、今みたいにやっぱり全員それなりに予定があるわけだ。だから俺が陽貴を誘って、その予定に合う人が来れる形式にしようと思ってるんだけど、どうだ?」

「その方が不公平じゃなくていっか」

「恋、それはいつ事前に教えてもらえるの?」

「なるべく早く教えるつもりだし、陽貴を誘う前にこの日に誘うかもっていうのは確実に伝えられるよ。ただまあ、急に出かけることになることもあるかもだけどな」

「わたしはそれでいいと思うけど」

「私も問題ないよ」


 結とにちか先輩が同意の意志を見せると、六花と椿も同意してくれた。


「他に聞きたいことはある?」

「あ、逆に希望を出すことはできるの?」

「いいけど、確約はできないよ。俺も忙しいから」

「おっけー。あ、別に陽貴を自分で誘うのは禁止じゃないよねみんな」

「それはいいんじゃないかな」

「あー、俺のことを気にしてね。いいよ別に。俺のことは便利な装置くらいに思ってくれて。というか、最終的にはそれが目標なわけだし」

「それもそうだね!」


 六花は納得したようで、というか確実に陽貴のことを誘うつもりだろう。成功するかはさておき、他の3人も意識せざるを得ないだろうな。

 本人にはそのつもりはなさそうだけど。


 少し間を置いてみたが、あとは大丈夫そうか。


「あとは聞きたいことがあれば、いつでも聞きてくれていいから」

「うん。ありがとう恋くん」

「で、逆に俺の方が聞きたいことがあるんだけど」

「どうしたの?」

「いや、陽貴のことが好きな子って、もう他にはいないのか?」


 俺の質問に空気が静まり返る。ただ、それは怖い物ではなくて単純に心当たりがなかったからだった。


「わたしはないけど、みんなは?」

「ないよ」

「ない」

「ないね」

「うん。りょーかい。ありがとう」


 もう1人くらいいそうなんだけど、まあいいか。


「あと1つだけ、というかにちか先輩って一ノ瀬雛菜は知ってますか? 一応生徒会長らしいんですけど」

「知ってるというか、友達だからね。でもどうして?」

「え、あー。ただ知り合いだったら気が合いそうだなって思っただけです」

「確かに、雛菜とは1年生の頃から仲がいいよ」

「そんな気はしました」


 昨夜抱いた考えは合っていたし、実際に会ってみて雛菜姉が気に入りそうな人だともっと思った。にちか先輩、結構反応がかわいい感じの人っぽいし、雛菜姉の大好物だ。


「すまないけどそろそろいいかな? 部活に行かなくちゃいけないから」

「あ、余計な質問で長引かせてすいません」

「いいや、楽しかった。またみんなでおしゃべよう」


 にちか先輩はそう言って部活に向かった。俺はその背中を見て、そう言えばと思った。


「にちか先輩って何部なんだ?」

「弓道部だよ」


 結が答えてくれた。

 弓道部か。袴を着て、静寂の中ゆっくりと美しい動作で弓を引くにちか先輩を想像すると。


「似合うな」

「だよねー。ていうか、にちか先輩の部活もだけど、あたしたち恋に何も紹介してなくない?」

「確かに」

「それはまた明日にしよう」

「あれ、恋くんこのあと用事?」

「いいや。時間はあるけど」

「それならにちか先輩はいないけど、わたしたちだけでも話せるけど」


 結が不思議そうにしているので、俺は訳知り顔で話す。


「陽貴がいる時に話せば、陽貴がどう思ってらのかも聞けるだろ? だから明日の昼にでもしよう」

「なるほど! 恋くん凄いね」

「うん。恋愛マスターって感じ」

「よせやい。ただ他よりも小賢しいだけだい」

「急になにそのキャラは」

「ま、ふざけてるのは置いておいて、そういう訳だからさ」

「うん。明日にしようか」

「時間もあるし、何話すか考えてまとめておくといいぞ」


 と、それだけアドバイスして俺は立ち上がる。


「というわけで、俺も帰るよ。急ぎじゃないけど、引っ越しの荷解きを進めなきゃだからさ」


 そう言って俺は食堂を後にした。

 地下にある食堂から1階に上がると、運動部の掛け声や吹奏楽部の演奏がごっちゃになって聞こえて来た。放課後の学校に満ちるこの音たちは、どれもそれぞれが勝手している音にも関わらず、なぜか不協和音にならない。タイトル・学校という名のBGMだ。


 ……結たちにはああ言ったけど、家に帰る前に図書室に寄るか。

 俺は近くにいた生徒に図書室の場所を聞いた。図書室はグラウンドを一望できる4階の角部屋にあった。


 図書室にはほとんど生徒がいなかった。いるのは貸し借りの受付をするのであろうカウンターにいる女性とだけだ。図書委員だろうか。

 俺は小説を適当に見繕ってカウンターに向かった。こういう時は直観が大事なのだ。


「これ、貸出をお願いしたいんですけど」

「はい。えっと、まだ貸出カードはないよね、墨夜くん」

「ん? 俺のこと知ってるの?」

「同じクラスの花渕栞里はなぶちしおりです」

「同じクラスだったのか。ごめんね、まだ名前と顔を全然覚えられていなくて」

「ううん。仕方ないよ、大丈夫」


 図書委員——花渕さんはうつむきがちに対応してくれた。確かに、教室で見たことのある顔かもしれない。少し伸び気味の前髪に下にあるくりんとした丸い目が、不安げに揺れている。


 ただ、その様子とは裏腹に花渕さんは会話を続けてくれた。


「一ノ瀬君と幼馴染なんですよね」

「ああ、うん。あれだけ教室で話してたらそりゃ筒抜けか」

「あ、はい」


 花渕さんに渡されたカードに自身の名前を書き込んで渡した。花淵さんはそれにタイトル名を書き込むと、文庫本を手渡してくれた。


「貸出期間は2週間です。それを過ぎると1ヶ月貸出禁止になるので気をつけてください。カードは返却の時にお渡ししますので」

「ありがとう、花淵さん」

「いえ、仕事ですから」


 うーん、花淵さん目を合わせてくれないな。人と話すのが苦手なのだろうか。それにしては話しかけてきてくるんだけど。


「どうかしましたか?」

「ああ、いや。なんでもない。じゃあ仕事頑張ってね」

「はい、ありがとうございます」


 花淵さんはそう言うと、手元に置いていた本を開いて目を落とした。文字の引力で声をかけてももう顔を上げることはなさそうだ。


 それにしても、


「花渕栞里、栞里……、どっかで聞いた気がすんだけどな」










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