第6話
陽貴の家と俺の家は隣同士だ。
4年前、墨夜家は父さんの仕事の都合と父さんの生活力のなさが理由で海外に行ってしまったけど、持ち家は売らなかった。3年を目安に日本に帰って来られる予定だったからだ。
だから本来なら高校に上がるタイミングで日本には戻ってくる予定だったのだけど、仕事の都合で海外出張が長いびいた。俺だけは日本に戻るかを聞かれたけど、英語の習得ももう少ししたかったし、日本には戻らなかった。当時は延期は1年と言われていたのもある。
けど、その1年が経ってももう少し長引きそうで、流石に日本に戻るかと俺だけ日本に戻ることにした。半年もすれば父さんと母さん、それから妹もこっちに戻ってくるだろうけど、それまでは1人暮らしだ。将来のためにも疑似的に1人暮らしをするのは父さんたちも賛成していた。
鑓水さんたちと別れて帰宅した俺は一通りの家事を済ませて、ラフな格好に着替え闇夜に繰り出した。目的地は、まあ隣の家の陽貴ん家なんだけど。
一ノ瀬と書かれた横にあるインターフォンを押すと、上品な声がスピーカーから聞こえてきた。
「はぁーい」
「恋です」
「あ、恋くん? ちょっと待っててね」
すぐに鍵の開く音がして、ドアが開けられた。
「いらっしゃい、恋くん。寒いでしょ、入って入って」
「おじゃまします」
俺を出迎えてくれたのは陽貴のお母さんである由美子さんだ。高校生の息子を持つ親とは思えないほど若々しい。陽貴とは違ってアウトドア派なので、小学校の時は陽貴の代わりに一緒に出掛けたることもあった。
というか、俺はこういう容姿をしてるから年上の女性にかわいがられることが多いのだ。向こうでも、海外でもそれは変わらなかった。
『かわいい』は万国共通なのだ。
「陽貴は部屋でゲームしてるけど、どうする? 夕飯まではまだ時間あるけれど」
「何やってるかは知ってるんで。少し、悪戯しに行きます」
「あら、ふふ。ほどほどにしてあげてね」
「炎上しない程度にはしておきます」
陽貴の部屋は階段を登ってすぐのところにある。4年前と同じだ。
俺はノックをすることなく、耳を澄ますと声が漏れ出ている扉をそっと開けた。陽貴は置くにあるデスクの前に座っていて、独り言のように画面に向かってしゃべっていた。
「そういえば、来シーズンどうなるだろうね」
「あ、〈くうみ〉さん、スパチャありがとうございます。新学期どうですか? うーん、特に変わりないかなぁ」
「赤武器キチャー!」
「ないすー」
途切れることなく、延々と話し続け、その間にも画面の中では陽貴の動かすキャラクターが敵を殺していく。
そして、ゲーム画面が表示されている横にあるもう一つのモニターには、流れるコメントやよく分からないが必要そうなアプリが表示されていた。
そう、陽貴は動画配信サイトでゲーム配信を主として活動している。配信者としての名前はハルヤ。登録者二十万人を超える人気配信者だ。
陽貴が配信を始めたのは俺が海外に行った後、だいたい中学1年の終わり頃だったはずだ。その頃にハマっていたFPSで陽貴はプロにも劣らない実力を見せつけ、界隈では名の知れたプレイヤーになった。すると仲間を募集するためだけに使っていたSNSのアカウントに配信をして欲しいという声が多く寄せられるようになった。陽貴はお年玉の前借という形で配信に必要な機器を最低限揃え、配信を始めるようになった。
するとまだ中学生という若さやプレーの上手さと雑談の内容のギャップが話題になり、瞬く間に話題になっていった。そして今ではFPSを中心としつつも様々なジャンルのゲームを配信する人気ゲーマーとなった。
俺がそのことを知ったのは海外で出来た友人が陽貴のプレーを切り抜いたものを見ていたからだ。顔出しはしていなかったし変声期で声も変わっていたけど、話し方や話題に心当たりがあり、俺は由美子さんに確認をした。
陽貴が俺に言わないということは、きっと恥ずかしがってのことだから直接聞いても教えてくれないと思ったのだ。するとやっぱり陽貴だということがわかり、それから直接文句を言うついでにからかってやったのだ。
俺は配信に音が乗らないようにゆっくりと近づき、喉に意識を向けて言った。
「ねぇ、ハルヤくんまだ終わらないのぉ?」
俺は変声期を迎えてなお女声に聞こえる声をしているが、意識をして声音を作れば完璧に女声を作ることができる。なんなら色々な声が出せる。
萌え声配信者にでもなれそうな、とびっきり甘い声で甘えるようにハルヤと呼ぶも陽貴は反応しない。イヤホンをしていて外の音が聞こえないのだ。
しかし、マイクは確実に音を拾っている。
コメント欄が加速し始めた。
『え。女の声!?』
『すごいかわいかったぞ!?』
『ハルヤの彼女か!?』等々。
「なんかコメント欄が早くなって——はい?」
陽貴がピタッと停止した。
ぎぎぎっ、と音しそうなほどぎこちなく振り返り、表情筋を引き攣らせた陽貴が目を白黒させる。
「え、なんで!? れ——って名前出したらダメだ。いや、え? なんでいるの!?」
「えー、今日はハルヤん家でご飯食べる約束だったじゃーん。少し早かったけど、寂しかったから来ちゃった。てへ?」
「あーなるほどね! じゃなくて、その声やめ。あーほら! 見てる人が誤解して!」
椅子が倒れそうな勢いで立ち上がった陽貴は、その場でなぜか足踏みをして慌てている。
『誤解じゃなくて草』
『家族公認の彼女さんとか』
『ハルヤさんは僕たちの味方だの思ってたのに』
おー、見事にコメントが盛り上がっていますなー。
「違うからねみんな! って、ほら、早く誤解を解いて!」
「誤解だなんて酷いなぁ。私たち、大切な関係なのに」
「大切……なのは否定しづらいけど、幼馴染! 親友ってことだろ!?」
「そんな、友達止まりってこと?」
『かわいそー』
『もっと優しくしてあげなよ』
『ハルヤの本性か』
『偏向報道するまでもなくて草』
『切り抜きっ、切り抜きっ』
「最近ただでさえ偏向気味なのに! みんな、今喋ってるのほんとうに彼女とかじゃないからね。そもそも男だから! ふざけてだけ!」
『この声が男は流石に無理があるくね?』
『こんなかわいい声の男いるわけない』
『は? 女の子に決まってるが』
意識的に女声を作るのは久しぶりだったけど、コメント欄の反応を見る限り衰えていなかったかようだ。まあ、さして苦労して手に入れたものでもないからいつでもできるとは思うけど。この声を使えると、個人経営のお店とかだと少し安くしてくれるんだよな。
呑気に考えていると陽貴がマイクに向かって指を指して来た。早く誤解を解けってことね。
まあ、もう十分楽しんだしいいか。由美子さんにも炎上しない程度にって言ったし。
俺はマイクの近くに顔を寄せて声がしっかりと入るようにして、いつもの調子で喋った。
「あはは、ハルヤのリスナーのみなさん、安心してください。さっき喋ってたのは俺で、声を作ってドッキリをしてみただけですから。俺は本当にただの幼馴染です」
「ほらね。みんなわかってくれた?」
加速していたコメント欄はやや緩やかになったが、
『中性的な声だけど……』
『普通にかわいい』
『声優やってる?』
うーん、やっぱり俺のかわいさって声からでもにじみ出てしまうものなのか。
あ、そんなに睨むなって陽貴。
「ほら、ハルヤが時々小学校の時の幼馴染の話してたじゃないですか。俺はその幼馴染なんですよ。最近に日本に帰ってきたんです」
俺がハルヤが陽貴だと確信したのが、配信で何度か話していた幼馴染とのエピソードだ。陽貴なんじゃないかと思った段階で俺はハルヤの切り抜きを漁り、幼馴染の話をいくつか見た。それがまんま俺と陽貴だったのだ。
幼馴染についてはハルヤのリスナーも認知しているはずで、今見ているほとんどの人がわかっているだろう。そしてその幼馴染が男だということも。
『あー、幼馴染くん!』
『幻の……!』
『ハルヤなんも言ってなかったけど』
よし、この方向性でなんとかなりそうだな。
「俺も……、幼馴染が帰っていたのを知ったの昨日なんだよ」
「せっかくだからびっくりさせたくてな」
「だから配信で帰って来たのを話していいか聞いてからみんなには話そうと思ってたんだけど」
「これまで散々話してたんだからいまさらだろ」
「それもそうか」
そうして陽貴と話していればコメント欄も自然と治まっていった。
陽貴は隣で深いため息を吐き、椅子に染みこんでしまいそうなほどだらしなくへたれこんだ。
「じゃ、ひとまず楽しんだことだし俺は下に行ってるよ。お前も飯の時間になったら降りてこいよ」
「あ、うん。あとで」
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