第3話

 私は昨日以上の衝撃があるとは思っていなかった。激動だった去年でも、ここまでのことはなかった。


「ふぁ~、おはようみんな」


 赤くなった目の下に隈を作って、眠そうに登校してきた陽貴くん。それだけなら、陽貴くんはよく徹夜明けで登校してくるから珍しくない。


 問題は、やっぱり当たりまえのように陽貴くんの隣にいる墨夜さんだ。墨夜さんは化粧で誤魔化しているのか隈はないけど、目は赤くなっている。そして眠たそうに大きなあくびまでしている。


 一緒にいた六花ちゃんと椿ちゃんも動揺していた。

 だって、私だって健全な女子高生で、そういうことは得意じゃないけど、想像できるくらいの知識はあるわけで。


 朝の憂鬱とした眠気が吹き飛ぶには過剰だった。


「おはよう、陽貴くん、墨夜さんも。2人とも眠そうだね」

「おはよう鑓水さん。昨日は陽貴の部屋に泊まったんだけど、寝かせてくれなくて」

「ッン!!」


 ね、寝かせてくれなくて!? それって。


「朝までやっちゃったよな、陽貴」

「朝まで!?」

「でも楽しかったろ?」

「は、陽貴! あ、朝から何言ってるの! 墨夜さんも!」


 六花ちゃんは意外と初心だから俯いちゃってるし、椿ちゃんは耳だけ赤くしてそっぽ向いてる。突っ込めるのは私しかいなかった。


「何って——」

「えー? ただ久しぶりにゲームしちゃっただけなんだけど……。鑓水さんは何を想像したの?」


 墨夜さんはニヤッ、とした笑みを浮かべた。こ、この子わざと私たちが勘違いするような言い回しをして! 


「鑓水さんのえっちー」

「そ、それは……っ!」


 な、何も言えない。言ったら、え、えっちな子だって陽貴くんに思われちゃうかもしれないし。

 それも踏まえた上で揶揄って来てるんだ。


「ま、冗談冗談。ごめんね、鑓水さん。仲良くなるには冗談も必要かと思って。陽貴の友達らしいから遠慮がなさすぎたよ」

「ううん。大丈夫だよ」

「恋はすぐ人をおちょくるからなぁ」

「ん?」

「なんでもないです……」


 墨夜さんに睨まれて怯む陽貴くん。

 そして、六花ちゃんと椿ちゃんもようやく再起したようで、援軍に来てくれた。


「2人は本当に仲がいいんだねー」

「まあ、親友だからな」

「お前、そんなことよく正面切って言えるな……。こっぱずかしくないのか?」

「本当のことだろ!」

「だからそういうところが……」


 墨夜さんは陽貴くんに飽きれた様子でため息を吐いた。……正直その気持ちはわかる。陽貴くんは真っ直ぐに気持ちを伝えて来るから、こっちにその準備ができていないと受け止めきれないことがある。


「でも墨夜さん、よく親が陽貴の家に泊まるの許してくれたね」

「家が隣だしね」

「そうなんだ?」


 家まで隣なんだ。本当に、色々な面で陽貴くんと墨夜さんは近いんだな。私たちが1年かけて近づけてきた距離を軽々と越していった。


 墨夜さんは教室の前に掛けてあった時計にちらりと目を向けると、陽貴くんに言った。


「陽貴、チャイムなる前にトイレ行こうぜ」

「うん」

「「「え」」」


 トイレに一緒に? 


「ちょ、ちょっと待って!」

「ん? どうした結」

「どうしたも何も、一緒にトイレに行くって」

「いや、トイレくらい一緒に行くだろ」

「同性ならね!?」


 異性と一緒には行かないよね? 


「同性……?」


 陽貴くんは何故か首を傾げた。そんな、まるで初めて聞いた言葉みたいな反応してどうしたの?

 そして視線を墨夜さんに移動させると、「あっ……」という言葉を漏らした。


 陽貴くんは何か言いたげに頭を掻くと、錘をつけられたかのようにゆっくり口を開いた。


「そう言えば、恋について大事なことを言ってなかったか〜。2日続けて寝不足で頭が回ってなかった」

「間抜けだなぁ陽貴」

「恋が自己紹介の時に言ってくれればよかっただけだろ。絶対わざと黙ってただろ……」

「俺の鉄板ネタだからな」


 陽貴くんと墨夜さんは2人で通じ合っているようで、私たちを置いてけぼりにして進めていた。


「もう! 2人だけで話さないで、あたしたちにも分かるように話してよ!」

「あ、すまん」


 陽貴くんが「どうする?」と墨夜さんに問いかけると、墨夜さんは「ん」とだけ返した。陽貴くんはそれにため息を吐くと、私たちに向き直って改まった様子で口を開いた。


「ここにいる墨夜恋。僕にとっては普通なんだけど、なんかほとんどの人にはそうじゃないみたいでさ」

「普通じゃない?」


 確かに普通ではないかわいさだけど、そういうことを言いたいわけじゃなさそう。


「実はさ、男なんだよね」


 おおよそ、普通に生活を送っていたら聞かない言葉に私たちは揃ってフリーズした。

 私は口先だけがかろうじて動かせた。


「……誰が?」

「恋が」

「レンガ?」

「墨夜恋」

「……?」


 私はこんがらがった頭のままに、すっと、墨夜さんの方に目を動かした。


 黒く長い艶やかな髪と可愛らしい顔。女子用制服に身を包んだ細く、薄い体。

 どこからどう見ても国宝級とか、100年に1人とか、そういう冠詞が付くレベルの美少女にしか見えない。


 墨夜さんをまじまじと見ていると、引き込まれそうな黒い瞳と視線が重なった。

 墨夜さんはにこりと微笑んだ。


 やっぱり、とても男の子には見えない。


「陽貴くん、嘘は良くないよ」

「嘘じゃないけど!?」

「えー、こんな可愛い男の子いないよ」

「うん。陽貴、早くホントのこと言って」


 2人も私と同じような反応をしていた。2人だけじゃない。教室にいる他のクラスメイトも、ちらちらとこちらを見ているが似たような様子だ。


 そんな周囲を察したのか陽貴くんは弁明をした。


「確かに、見た目は女子にしか見えないかもしれないけど! 恋は間違いなく男子だって!」

「そこまで言うなら何か証拠はないの、陽貴くん」

「ここで上だけでも脱いでもらうのが手っ取り早いんだけど……」

「そ、そんなのダメに決まってるよ!」

「わ、わかってるって。流石にそれはしないって。僕もそこまで腐ってないから」


 なんてことを言い出すのか、この人は。

 ただ、陽貴くんがそんなことまで言うということは、墨夜さんは本当に男の子なのかな? 


 陽貴くんは必死そうな表情で墨夜さんに寄った。


「おい、恋。何かないのか証拠になりそうなものは」

「頑張れー陽貴」

「そんな状況じゃないって! 僕がヤバいやつみたいな感じになっちゃうから!」

「んー。とりあえず楽しめたけど……。貸し1な」

「元は恋のせいでっ」

「ん?」

「わかった。わかったって。貸し1でいいから頼むよ」

「りょーかい」


 陽貴くんと墨夜さんの間で交渉が成立したようで、墨夜さんは満足そうな笑みを浮かべた。


 墨夜さんは自分の席に行くと、鞄の中から財布を取り出して、そこから何かを取り出した。そしてそれを持ってくると、私たちに見せた。


「保険証?」

「そう。ほらここ見て」


 墨夜さんが指で指した項目を見た。小さい物なので、六花ちゃんと椿ちゃんの顔が自然と近くなった。

 息を呑む音が左右から聞こえた。私もそうだった。


「お、男?」


 氏名・墨夜恋と記載された保険証の性別の項目。そこには確かに【男】と記されていた。


 ばっ、と視線を墨夜さんに向けた。

 どこから、どう見ても、美少女で。

 たださっきまでと違うのが、そのかわいい顔に浮かべている表情で。


 イタズラ成功という声が聞こえて来そうな、にやりとした小悪魔のような顔だった。ああ、されでもかわいいと思ってしまう。


「嘘!? ほんとに男の子なのー!?」

「……」


 六花ちゃんは墨夜さんと保険証を交互に見て比べて、椿ちゃんは唖然と言った様子で墨夜さんのことを見つめていた。クラスメイトのみんなも、ざわざわと驚愕の色に染め上げられていた。


「どうだ? これで俺は男だって納得してくれた?」


 渦中の人間である墨夜さん、もとい墨夜くんはなんでもなさそうに言った。

 ただ、私はまだ思考がショートしていて、その言葉に上手く返せない。言いたいことが多すぎて、喉の奥で言葉が氾濫しているみたい。


 墨夜くんは「あ」と言うと、保険証をスカートのポケットに入れて、廊下の方に歩いていく。


「あ、早く行かないと。チャイムが鳴っちゃう」

「あ、おい恋! この状況でトイレ行くのか?」

「俺の膀胱は待ってくれないんだよ!」


 スカートを揺らして走って行く墨夜くんの背中を呆然と見送った。教室には話したいような、しかし何を話せばいいのか、そんな微妙な空気に包まれて静かだった。


「きゃあきゃあ!?」「うおっ!?」「はあああ!?」


 廊下から悲鳴やどよめきやらが聞こえて来た。阿鼻叫喚だ。何事かと思ったけど、その疑問はすぐに解けた。


「ここは男子トイレだぞ!?」


 男子の叫び声だった。……墨夜くんの向かった方だった。

 墨夜くん、多分というか間違いなくあの姿で男子トイレに入っていったんだ。男子の慌てた様子も、その他のざわつきも納得だった。


 きっと、廊下にいる人達に対する感情はクラスのみんなで一致しているろ思う。


 ——自分たちと同じ目にあったんだなぁ……。


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