第2話

 県立汐見台高校はごく一般的な県立高校だ。偏差値が高いわけでも低いわけでもない。部活はほどほどに活発で、文化部は特に盛んかもしれない。

 特にこれと言った特徴はないけれど、県のほぼ中心に位置しているからか生徒の数は他よりよ若干多いかもしれない。


 廊下は冷えた空気が横たわっていたけど、2年7組の教室に着くと温かい空気が身を包んでくれた。ドアを開けた時にはふわっと中から空気が膨らんで来た。


 教室にはもう来ている生徒もいて、楽しげに談笑している生徒も何人かいた。反対に1人でスマホを弄ったり、机に突っ伏している人も。


 座席表を見て自分の席に荷物を置いて、六花ちゃんの席に椿ちゃんと私は集まった。3人の中心には六花ちゃんがいることが多いから、自然と六花ちゃんの場所に集まる。


 まだ来てない生徒の席の椅子を借りた。

 六花ちゃんが残念そうに言った。


「やっぱり席遠いね」

「私の名字だと仕方ないね。前、真ん中、後ろ、って綺麗に分かれてるから」


 椿ちゃんは廊下側の前方、六花ちゃんは教室の真ん中、私は窓側の後方が出席番号順の座席だ。


「いつまでこの席なのかなぁ?」

「担任の先生、三輪先生でしょ。あの人テキトーだから今日明日にでも言えば席替えしてくれそうだけど」

「椿ちゃん、あんまりそういうことは言わない方がいいよ」

「でも結そう思うでしょ?」

「う、うーん……」


 椿ちゃんの言葉を否定できない。三輪先生、悪い人じゃないんだけど少し抜けてるところがあるから。


「いいなぁ、椿」

「なんで?」

「だって陽貴と席近いじゃん」

「そう?」

「そーだよー。あたしと変わって欲しいもん」

「知らない人よりかはいいかもしれないね」


 そこで私はふと時間が気になった。私たちは特別早く来たわけではないので、朝礼の時間まで時間がそこまでない。実際、教室には人が増え始めほとんど揃っている。


「陽貴くん遅いね」

「一ノ瀬、家が近いからってギリギリに出てるんでしょ」

「確かにいつもそうだ」

「昨日もゲームしてたみたいだね」


 流石に新学期初日から遅刻するなんてことはないと思うけど、少し心配だな。

 そう思っていると、がらがらと扉が開いた。


「危なかったぁ」


 聞き覚えるある少し低めの声が飛び込んで来た。遅れて少し制服の乱れた陽貴くんが入って来た。


「陽貴おは——」

 

 六花ちゃんが今日一番明るい声で陽貴くんに声をかけようとした時、私でも、椿ちゃんでもない可愛らしい声が陽貴くんにかけられた。


「寒いから早く入れよ陽貴」

「痛い痛い。わかったから、ふくらはぎを蹴るなって」


 声の持ち主はまだ廊下にいるからわからないけど、凄く陽貴くんと親し気だ。

 私の知る限り、学校での陽貴くんはそこまで交友範囲が広くない。だから陽貴くんがあそこまで砕けている相手なら私たちも知っていると思うのだけど、声の持ち主に心あたりがなかった。

 六花ちゃんと椿ちゃんを見ても心当たりがなさそうで、不思議そうな顔をしている。


 急かされて入って来た陽貴くんに続いて入って来たのは、綺麗な黒い髪を背中に流している、とびきりかわいい女の子だった。陽貴くんに不満げな表情を浮かべているけど、その表情すらかわいらしさに溢れていた。


 六花ちゃんや椿ちゃんもかわいいけど、あの子は全く方向性の違うかわいさを持っていた。


 ただ、あれだけかわいいのなら校内で噂になっていると思うのだけど、聞いたことはおろか見たこともなかった。


「あ、いたいた。あはようみんな」


 陽貴くんが手を上げながら寄って来た。

 私は動揺を隠しながら言葉を返した。


「お、おはよう……」

「初日から遅刻せずに済んでよかったよ」

「そうだね。私たちも丁度話してたところだったんだ」

「うん、そうそう」「……ん」


 二人は空返事だった。代わりに陽貴くんの後ろにいる女の子に意識が向いていた。かくいう私も気になって仕方ない。近くに来てわかったけど、この子本当にかわいい。どうしたらあんなに綺麗な白い肌になるのか。スカートから伸びる脚も細いなぁ。


 私たちの視線に気が付いた陽貴くんは、横に避けると女の子の腕を軽く引いて私たちの前に立たせた。少し強引だな、と思っていると女の子もそう思ったらしく、抗議の意味を込めて手を叩き落とした。

 陽貴くんは女の子に謝りつつ私たちに紹介してくれた。


「こいつは墨夜恋すみやれんって言って、今学期に転入して来たんだ」

「初めまして、墨夜恋です」


 墨夜さんは丁寧に腰を折った。さらりと髪が揺れる。


「あたしは鶴海六花!」

「依田椿」

「はじめまして、鑓水結です」


 挨拶はしたけど、どうして転入先が陽貴くんと一緒に? と思っていると、六花ちゃんが素直に聞いてくれた。


「えっと、転入生と陽貴くんが一緒に?」

「転入生と言っても別に今日初めて会ったわけじゃなくてさ」


 陽貴くんはあっけらかんと言った。


「恋は小学生の頃からの幼馴染なんだ」

「幼馴染!?」


 六花ちゃんが驚いた様子でまじまじと墨夜さんのことを見た。声には出さなかったけど、わたしも同じくらい驚いた。


 色々と聞きたいことがあったけど、そこでチャイムが鳴った。


 私と椿ちゃんは受けた衝撃に揺れながらそれぞれの席に戻った。

 右斜め前、六花ちゃんの近くの席にいる墨夜さんの後ろ姿はとても綺麗だ。


 幼馴染。思わぬ強敵の出現に頭を悩ませることになった。全校集会もホームルームも、墨夜さんのことが気になって、ずっと心ここにあらずの状態だった。


 私が知る限りで陽貴くんのことが好きな女の子は、私を含めて4人だけだった。私、六花ちゃん、椿ちゃん、それから3年生の渡会にちか先輩だ。

 この4人はそれぞれが互いに陽貴くんのことが好きだということを知っていている。それに加えて、誰が陽貴くんと付き合うことになっても恨みっこなしという協定まで結んでいるし、陽貴くんのことで話しているうちに仲良くなってしまった。

 部活に入っていない私は他学年と関わることがないから、先輩、それもあのにちか先輩と仲良くなれるなんて思ってもみなかった。


 そういうことで今の私の心情は、突然横から叩かれたみたいな衝撃を受けて混乱しているといった感じだ。六花ちゃんも椿ちゃんも同じようだった。


 放課後、色々と気になって話を聞こうとしたら、陽貴くんは墨夜さんと用事があるとかですぐに帰ってしまった。


 残された私たちはすぐに決めた。これは緊急会議が必要だと。


「というわけなんです、にちか先輩。急に連絡してすいません」


 最寄り駅の近くにあるファミレスに4人が集まっていた。つまり、陽貴くんのことが好きな4人だ。

 この中で1人クラスどころか学年が違う先輩に、今日あった出来事とどうして呼び出したのかを説明した。


 先輩は綺麗な顔を神妙にさせていた。


「大丈夫。午後は入学式があるから部活も休みだったし、確かに重要なことのようだしね」

「本当にそうですよね! 陽貴に幼馴染がいたなんて」

「うん。聞いたことなかったかびっくりした」

「私もだね」


 やはりにちか先輩も知らなかったらしい。

 そして椿ちゃんが大事なことを言う。


「それに凄くかわいかった」

「その、墨夜さんという子は、そんなにかわいかったかい? 君たちも凄くかわいいけれど」

「あはは、ありがとうございます。そうですね、私たちとはタイプが違うというのもあるんですが」

「芸能人みたいだったよね。空気が違うっていうかさ」

「あと口調が男の子っぽいんだけど、それがギャップっていうか」

「そこまでなんだね」


 にちか先輩の言葉に私たち3人は頷いた。

 名前通り夜のように黒い髪。二重瞼の大きな目。桜色の唇。それぞれのパーツが黄金比で並んでいて、でも作り物のような印象は受けない。文字通りの美少女だった。


「あと、これが一番大事だと思うんだけどね」


 にちか先輩は一呼吸置いて言う。


「墨夜さんは、陽貴君のことが好きそうだったかい?」

「うーん、どうなんだろう」

「距離感は近かったよね。六花ちゃんよりも近かったかも」


 私たちの中では六花ちゃんが1番距離感が近い。それは六花ちゃんの性格が理由だ。けど墨夜さんは性格が理由ではなさそうだった。

 なによりも、六花ちゃんが自分から縮めているのに対して、墨夜さんはどちらかというと陽貴くんが詰めているように見えた。心を揺らしている、というか。


「でも、好きって感じはしなかった」


 私と六花ちゃんが黙り込むと、椿ちゃんが冷静に言った。


「確かに」

「でもでも、陽貴くんはどう思ってるのかな!?」

「それこそ何も考えてないでしょ。考えてたら私たちはこんなに苦労してない」


 納得の理由だった。椿ちゃんの言葉に、にちか先輩まで激しく頷いているし。


「じゃあまとめると、恋愛的な関係ではなさそうだけど、厄介なライバルと言った感じなのかな?」

「あ、ですです。そんな感じかもです」

「うん。要注意だね」

「ん」


 話がまとまったところで私は考えた。

 今、陽貴くんは墨夜さんと何をしているのかなぁ、と。



 ***



「お前、なんか面白いことになってるな」

「え、急にどうしたんだよ、恋」


 の言葉に陽貴が訝しげな表情を浮かべた。


 転入初日。今日はなかなか面白い物が見れた。昔から陽貴は面白いことになっていたが、高校ではこんなことになっているとは。

 俺が海外に行っている間、陽貴はどうやらラブコメのハーレム主人公になっていたようだ。どうしたらこんな状況になるのか。一番面白い時期を見逃してしまったらしい。


 鑓水と鶴海と依田だったっけ? あの3人、俺が陽貴と一緒に登校してきた時と言い、幼馴染って言った時と言い、言い反応するよな。あれ、俺が女子だって勘違いしたままだろ。

 本当は男だって言うつもりだったけど、何やら面白いことになっているし、結果的にはよかったのかもしれない。


 まあ、流石に明日には言わなくちゃいけないけど。というか、生理的な問題で自然とバレるのだけど。


「恋、何企んでるんだ?」

「は? 何が」

「悪い顔をしてるから」

「そうか?」


 こいつ以外にそういうことを指摘されることはないんだが。流石幼馴染で親友なのだろうか。


「まあ、明日のお楽しみだよ」

「……明日は休もうかな」

「何言ってんだよ。陽貴がいないとつまんないだろ!」


 主役がいないで物語が始まると思うなよ、このハーレム野郎。

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