彼女の日常

 男はニヤニヤと下卑た笑いを浮かべていた。男の表情を見て、この後に起こることが、恐らく三歳児並みの知能しかない山下やました沙奈さなですら想像できた。

 もちろんその想像は正しい。しかし彼女は素直に従う。

 それを見た網螺あみら春喜はるきは、

「いやいや、やっぱガキってのはちゃんと躾けないと駄目だな。躾ができてればこんなに楽だもんな」

 と下衆い笑顔でそう言った。だが、この卑劣漢は根本的に勘違いしている。こんなものは<躾>などではない。躾とは、子供を大人にとって都合よく操る為に行うものではない。それをこいつは全く理解していないのであった。


 山下沙奈は、他者が自分に対して優しくするということを理解できなかった。いや、優しい人間がいるということが理解できないと言った方がいいだろうか。他者は常に暴力的で横暴で支配的で理不尽なものであるというのが、彼女の認識だった。

 だから、自分に対して何も要求せず命令せずただ与えてくれるという行為を受け入れることができないのだ。そこには何か別の意図があり、うっかりそれを受け入れたりすればもっと酷い目に遭わされるに違いないと、明確な思考ではなく動物的な感覚として警戒していたのである。

 その為、保護されて入院している間も、施設にいる間も、出された食事には殆ど手を着けようとしなかった。それは、人間に虐待された犬が人間を警戒して懐こうとしない様子に酷似していた。

 その一方で、生きるのに最低限必要な分程度は看護師や施設の職員の目を盗むようにして口にしていた故に命は繋げた。とは言え、保護された時に比べ多少はマシになり見るだけで命の危険まで感じるほどのものではなくなりつつも、痩せ細った枯れ枝のような体は劇的には改善されなかった。

 なのに、藍繪らんかい汐治せきじに引き取られて、彼の要求に応えた報酬として与えられたコンビニ弁当のような食事については、好き嫌いを見せることなく全部食べた。皮肉なことに、要求に応じた見返りとして食事を与えるという手順が彼女にとっては必要だということがそれで判明した。過酷過ぎる状況に過剰適応した結果なのだろう。しかしそのことが彼女の回復に一役買ったというのも事実だという外ない。

 ただ、彼女の為の食事としてコンビニ弁当を買ってきたりしていた藍繪汐治に比べて、網螺春喜の方は、気分が良ければ総菜パンなどを買ってきてくれることもあったが、基本的には自分の食べ残しの残飯を彼女に与えるだけだった。そのくせ、彼女に対する行為の様子をビデオカメラで録画しては、その手の動画を買い取ってくれる業者に売って金に換えるということを繰り返していたのだった。


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