【実話】大学受験に失敗した私が見た景色

綾部まと

特別な世界

「大学受験に、失敗した」


世の中がどこか間延びした、3月の終わり。家族で静岡県浜松市にある父の実家を訪れて、居間でお茶を飲んでいた時のことだった。高校3年生だった私は、失意のうちに祖母に伝えた。祖母は「ふうん」と興味がなさそうに呟き、こう続けた。


「天狗の鼻を折られて、ちょうど良かったのよ」


祖母の毒舌、いつもながら絶好調。ただ、今回ばかりは笑えない。その場に居合わせた父も母も妹も、黙ってしまった。壁時計の針の音が、やけに大きく聴こえた。


当時の私は進学校に通い、エリート意識を持っていた。帰宅部のガリ勉で、自慢は成績のみ。模試の順位とともにプライドは高くなっていった。一定の偏差値以下の高校に通うのは「違う世界」の住民だと見下していた。それは、自分を含む一部の人のみが「特別な世界」に属すると錯覚させる、一種の呪いだった。


しかし、神様はそんな私に「いい加減にしろ」と、ツッコミを与えた。鉄拳の代わりに食らったのは、大学からの「不合格」通知。仲の良い同級生が旧帝大の法学部や国公立の医学部に次々と合格する中で、私は滑り止めの私大しか受からなかった。


「特別な世界」から突き落とされ私に「天狗の鼻を折られた」とは、まさに言い得て妙だった。でも、期待していた慰めの言葉をもらえず、「何て、嫌なババアだ」と、ひたすら腹が立った。


感情がすぐ顔に出る私を見て、母は「この話題は、これ以上しない方が良い」と判断したらしい。明るい声で、妹がテストで良い点を取った話を開始。まるで何事もなかったかのように、私の心とは裏腹に、穏やかな週末は再開していった。


しかし、祖母は正しかった。後に、そう思い知らされることになる。それは、天狗の鼻を折られることなく「特別な世界」を生きた、祖父の末路を見たからだった。


・・・


官僚の家に生まれた祖父は東京で生まれ育ち、大学卒業後は司法試験にトップの成績で合格して、裁判官となった。開業医の家系である祖母と見合いで結婚し、息子である父が産まれた。仕事の都合で約三十回の転勤を経験したが、定年直前で浜松に落ち着いた。息子に巣立たれ、定年退職後した現在も、祖母と浜松に住んでいた。


今の祖父は、ただの年金生活者だ。でも、裁判官という「特別な世界」の住民であることを、あまりに誇りに思っていた。そのため、その他大勢のジイさんになることを、すぐに受け入れられなかった。


しかし、気難しい性格のせいか、友だちはほぼいない。属しているコミュニティは、家族だけ。だから、家族から相応の扱いを受けることを望んでいた。


子どもは普段、バカなことばかり考えているくせに、特に驚くほど、大人を見透かすことがある。


私は物心ついた頃から、祖父が周りから「すごいね」と言われたがっていることに気付いていた。でも、なぜか、孫である私だけは、それをやってはいけない気がした。だから、祖母や父や母のように褒め称えることは、しなかった。


家では祖父が定めた、数々の「法律」が君臨していた。例えばテレビで観て良い番組は『笑点』のみ、食事は全て和食で、外食はしない。これに逆らって、私は「テレビが観たい」「和食は嫌だ」と騒いでは、祖父の顔を歪ませていた。別に観たい番組があったわけでも、洋食が食べたかったわけでもない。そう接するのが、孫の役割に思えたからだ。


「あんたは、もっとおじいちゃんを尊敬しなさい」


そんな心中を知らない母からは、帰りの車中で何度も叱られた。その度に3つ下の妹へ目配せしては、首をすくめていた。大人は、何も分かっていない。私は、自分が悪いとは思わなかった。


私と祖父の静かな攻防は、意外な形で決着を迎えることとなる。それは、祖父が家を出ることになったからだ。


元来患っていた祖父の不眠症は、年々ひどくなっていた。睡眠薬を使っても眠れず、夜に目覚めては祖母を起こして「水をくれ」「暑い」など訴えていた。睡眠不足のせいで朝になっても起きられず、食欲もない。輪をかけて不機嫌になっていった。


そんな祖父の世話に、祖母は音を上げた。一年ほど前から「もう、おとうさんのお守りをしたくない」と、父へ電話しては泣きついていた。そこで、老人ホームの話が持ち上がった。


もちろん、祖父は全力で拒否。半ば強引に入ることになったから、入居前後はかなり荒れていた。怒鳴り散らすこともしょっちゅうあったらしい。それは子どもに見せられる有様ではなく、ここしばらくは、父だけが祖父の元を訪れていた。


・・・


「そろそろ行こうか。オヤジのところに」


父が、緊張を隠すように明るい声で提案した。お茶を飲み終え、話題も尽きていたため、祖父の居る老人ホームへ向かうことになった。


車中で父から、こんな説明があった。祖父は施設が合っていたらしく、祖父は人が別人のように明るくなっていった。孫や義理の娘にも会いたがっており、今日、久しぶりに引き合わせることにした、と。


私は「どうせ、嘘だろ」と思った。記憶の中で祖父はいつも不機嫌そうに黙っていて、たまに口を開く時は「あれを取ってくれ」といった頼み事くらいだった。


また、神経質で「孫の声がうるさい」と、何度か祖母へ訴えていた。そのため私と妹は近くの森へ出かけて、よく時間を潰していた。家に戻っても、祖父のいる居間から一番離れた部屋に追いやられて、持参した携帯ゲームをしたり、漫画を読んだりして過ごしていた。


その祖父が明るくなるなんて、想像がつかない。ましてや、嫌がっていた施設に入ったら、もっとひどくなるはずだ。


だから、私にとって、父は面倒だからと施設に入れた自分を正当化しているとしか思えなかった。罪悪感を払拭するかのように施設の素晴らしさを話し続ける父を、冷めた目で見ていた。母や妹や祖母も何か思うところがあったのか、車中は重い沈黙に包まれていた。


車は市街を抜け、徐々に家がまばらになる。のどかな田園風景を走ること、約三十分。突然、大きな建物が見えてきた。でかでかと書かれる、「(仮)極楽浄土」の文字。それは父から聞かされていた、祖父の入居する老人ホームの名前だった。


車で門をくぐると、建物を囲むように広大な敷地が広がっていた。庭の横を車で通ると、池では丸々と太った鯉が泳いでおり、花壇では手入れの行き届いた草花が咲き誇っていた。


駐車場の横には千坪ほどの農園があり、職員さんらしき人たちがせっせと手入れをしている。周囲には民家と畑がぽつぽつとあるくらいで、見通しも抜群だ。辺り一帯が、美しい集落のようだった。


「うわ、すご。桃源郷じゃん」


車を降りた私が言うと、妹から「入るのに、数千万円近くかかるらしい」と文字が入力された携帯電話を見せられた。要領の良い妹は、親に怒られそうな話は携帯電話で伝えてくる。


毎月の小遣いが千円だった私は、縁のない数値に目を見開いた。普通どれくらいかかるか知らないが、高級老人ホームには違いない。豪華な空間を思い描きながら、施設の中へと足を踏み入れた。


内装は意外と無機質で、肩透かしを食らった。木目調を基調として「木のぬくもり」を演出しようとしているのだろうけど、のっぺりとしていた。雑貨や絵画を始めとしたインテリアの彩りは全く無い。その様子は祖父が住んでいた家と、あまりにかけ離れていた。


祖父は美術品の収集が好きで、デパートや旅先でよく購入していた。世界一周旅行でコレクションは膨大な量になり、家にごちゃごちゃと無造作に並べられていた。センスが良いか悪いかはさておき、にぎやかな空間ではあった。


一方で施設は、木の色が一辺倒で、素っ気がない。個性も色もない空間は、だだっ広い総合病院を思わせた。


エレベーターに乗り、扉が開く。そこにはテレビや本棚や卓球台などを備えた、共有スペースが広がっていた。本来なら人と接するための場所なのだろう。だが、そこは掃除をする職員さん以外は誰も見当たらず、がらんとしていた。


「夜に来ると、絶対怖そう」

「廃墟の病院。そんなお化け屋敷あったよね」


妹と小声で話しながら、共有スペースを通って、長い廊下を抜けて、角部屋の祖父の部屋へたどり着いた。


その部屋はバルコニー付きの、日当たりの良い個室だった。上京して私が住む予定の部屋の倍くらいあって、少し嫉妬する。風呂やトイレ、冷蔵庫までついている。来客用のソファや椅子、ダイニングテーブルもあった。


これでも祖父の部屋は決して上のランクでなく、狭い方らしい。施設内が静まり返っていたのも納得した。これでは、部屋から出る必要はないはずだ。


「よく来たね!」


部屋の入り口でまじまじと中を眺めていると、すぐ横の扉から出てきた、笑顔の老人。トイレが流れる音が聴こえるので、用を足していたらしい。


それは紺色の寝間着に身を包んだ、にこにこした祖父の姿だった。始めてみる上機嫌な祖父に戸惑い、フリーズする私たち。


「そこに座って!」


そして、ハイテンションで冷蔵庫横のソファを指差す祖父。なんだか怖くなって、黙って言う通りにしたのだった。


・・・


父と話す祖父は始終ご機嫌で、大きな声でハキハキと応えていた。どうやら、本当に性格が明るくなったらしい。これには心から驚いた。家にいた頃からは、考えられない姿だった。さすがは高級老人ホーム。こうして、祖父は幸せになりました。めでたし、めでたし。


―――では、なかった。

会話するうちに、ある違和感を抱いていった。


それは「同じ話しかしない」ことだ。裁判官だった話か、勲章をもらった話の、どちらか。父がどんな話題を振っても、このいずれかの話を始める。だから、全く会話にならない。


私は仕事よりも、家族や祖父自身の話を聴きたかった。幼かった父のトホホなエピソードとか、徴兵された祖父が戦争で感じたこと、とか。それらは質問されてもスルーされて、裁判官か勲章の話を聞かされるのだった。


「お昼の時間です。2階、共有スペースに集まって下さい」


何度目か分からない祖父の話を一方的に聞いていると、館内放送で、音楽とともにアナウンスが流れてきた。飽き飽きしていた私は、これ幸いと父に話しかける。


「私もお腹空いた。もう帰る?」

「いや、まだ帰らない」


間髪入れず、怖い顔で却下された。脇をつつかれ、妹から「お姉ちゃん、帰りたいオーラ出しすぎ。パパ機嫌悪くなるから、抑えて」と携帯電話を見せられた。軽く舌打ちする。部屋で待っていても仕方ないので、私たちも祖父の食事に付き合わされることになった。


廊下に出ると、部屋からぞろぞろと老人が出てきて、さっきまで静まり返っていた施設が騒がしくなっていた。こんなに人がいたことに驚いた。唯一、人が住んでいることを再認識する時間かもしれない。


中には食事の介助が必要な老人もいて、職員さんに食べさせてもらっていた。まるで、大きい赤ん坊のようだ。「介護」という単語を知りつつも馴染みがなかった私は、ぞっとしてしまった。どうやら喫茶店や図書館で見かける老人は元気な部類で、老いの種類は他にもあるらしい。


「おとうさんの好きな、お魚じゃない」と祖母が、「美味そうだな。良かったな」と父が、もそもそとゆっくり咀嚼する祖父に話しかけている。母は愛想笑いを浮かべて、突っ立っていた。


私と妹は少し離れて立ち、見渡しながら「ゾンビが紛れているとしたら、どれが一番近いか」ゲームをしていた。それもすぐ飽きて、ぼんやりと食事の様子を眺めていたら、妹に耳打ちされた。


「昔は偉かった人も、この中に居るんだって」


どこからか情報を仕入れてきたのか知らないが、高級老人ホームに入るくらいだから、確かなのだろう。彼らも昔は「特別な世界」にいたのかもしれない。ただ、そんな面影を残す人は、誰もいなかった。だぼだぼの服を来て、同じ食器で同じものを食べて、よろよろと部屋へ戻っていく。その姿は、みんな同じに見えた


祖父の食べるスピードは、遅い。私は次第にいらついてきた。読みたい漫画や、やりたいゲームなど、代わりにしたいことがたくさん思い浮かんできた。


「ここで老いぼれの相手してる暇、ないんだけど」と妹に言うと、

「まあまあ、そう言わずに」と、おっとりとした声で返された。


しかし、胸のむかつきを抑えられない。父に「自販機でジュースを買ってくる」と言い残して、小銭をせしめて、一人で外へ逃げ出した。妹の「裏切り者」とでも言いたげな顔を尻目に、エレベーターが来るのも待てず、階段を駆け下りた。


脱出に成功し、池のそばのベンチで漫画を読んでいた。それは高校が舞台の野球漫画で、試合の勝ち負けで泣いたり、部員とマネージャー同士で恋に落ちたりする、よくある少年漫画だった。同じ高校生なのに、スポーツも恋愛も縁のなかった私にとって、それは異世界で、少しうらやましかった。


すると、隣におばあさんが腰掛けてきた。一人で歩けるくらいだから、施設では元気な方なのかもしれない。春なのに赤い毛糸の帽子を被っているのが珍しく、まじまじと見たら、ぎょっとしてしまった。


帽子から、芋虫がにょきにょきと出てきたのだ。


おばあさんはそれに気付く様子もなく、私に見られていることも気にならないようだ。池の鯉を無表情に、ぼおっと眺めている。それを良いことに、芋虫は帽子の上をゆうゆうと歩き回っている。


そして、もう一匹、芋虫が帽子から出てきた。なんだか、見てはいけないものを目撃した気がしてならない。漫画どころではなくなり、慌ててその場を去った。


「これが、人間なのか……」


自分もいつか、こうなってしまうのだ。私は、強烈な無常観に襲われていた。池から少し離れた花壇のそばで立ち尽くし、しばらく動けなかった。


食事の時間に感じたストレスの原因。それは「お前の行き着く先は、これだ」と、現実を突きつけられたからだ。良い大学に入って、地位の高い職業に就いたとしても、老いは避けられない。場を離れたのは、現実と向き合いたくなかったから。でも、やっぱり逃れられない現実に、がっちりとつかまれてしまった。


ホールへ戻ると祖父は既に食事を終えており、部屋へ戻ったようだ。他に行く宛もないし、また何に遭遇するか分からない。そんな消去法によって大人しく部屋へ戻り、しぶしぶ会話に加わった。


会話をするうちに分かったのだが、祖父は、私と母と妹の区別が付いていないようだった。これは認知症の現れだと、何かで読んだことがある。


「おとうさん、最近でも何度かカバンを持って、法廷に出かけようとしてたのよね。その度に、職員さんに止められてたけど」


ソファの隣に座る祖母が話す。私はなんだか哀しくなってきた。義理の娘や孫の区別もつかず、最期に残ったのは「裁判官」のみ。それは、今まで「特別な世界」に住ましてくれた、あまりに大切なものだったのだろうけど。そんな人生って、なんだかむなしい


「あ、そうか」


昔の私が、どうして祖父に「すごいね」と言えなかったか、やっと分かった気がした。


祖父はそれまでの転勤を繰り返した人生では、行く先々で「裁判官」として「すごいですね」と言われ続けていた。しかし、「すごいですね」とは「あなたは、私と違いますね」を意味する。「尊敬」と引き換えに、得るものは「孤独」だった。


孫から「すごいね」と言われると、祖父は本当に孤独になってしまう。それは、家族からも「あなたと私は、住む世界が違います」と付き放されてしまうから。


幼い私は、無意識のうちに、こう感じていた。だから、「すごいね」と言わずに手を伸ばして、祖父の腕をつかんで「違う世界」へ戻そうとしていた。祖父はそんな手をはねのけ、「特別な世界」から離れようとしなかった。


こうして祖父は、引き返せないところまで来た。接触してくる「違う世界」の住民はいなくなり、尊敬を集めた結果、本当の孤独になった。それに気付かないふりをしながら、「特別な世界」を生き続けた。


でも、やっぱり、寂しかった。だから、美術品を購入していた。僅かな時間だけど、店員さんと会話をすると、孤独を癒せる。しかも高価な買い物だと、話してくれる時間も長い。


家にあるコレクションの節操や統一性のなさは、「本当に美術が好き」な人のそれとは、違って見えた。家で飾られる美術品は、数こそたくさんあるけれど、丁寧に扱われていない。タンスの奥にしまいこまれているものも多かった。


けれど、今の祖父に残されたのは、裁判官の頃の自分と、勲章をもらった記憶だけ。幸せな記憶に囲まれて、思い通りになる世界で、やっと楽しく暮らせるようになった。


孤独と戦っていた思い出は、引き出しの中に隠れている。もう、「違う世界」へ堕ちる恐怖と戦わなくても良い。なぜなら、腕をつかんでくる孫も、全て忘れてしまったから。


こうして、祖父は明るくなった。今は「特別な世界」で、誰にも邪魔されずに生きているからだ。



それは、かつての「尊敬の代償の孤独」と違い。

自分の世界に生きる「幸せな孤独」だった。


・・・


日は傾き、父は名残おしそうにしていたものの、さすがに帰ることになった。父は、私なんかよりずっと、祖父の苦悩を見てきたのだろう。どうであれ幸せそうな祖父を見て、嬉しそうだった。


「オヤジは元気だ。顔色も健康そうだ。長生きするだろう」


部屋から出て廊下を歩いていると、父は自分に言い聞かせるように何度も呟いていた。それは感想を呟くというよりも、祈りに近い行為に見えた。


入り口を出て駐車場へ向かうと、横の農園が賑やかになっていた。行きに見かけた職員さんに加えて、老若男女、メンバーが増えている。ボランティアか、地域の人なのかもしれない。祖父と同じくらいの老人もいる。


西日を浴びた彼らは水をあげたり、雑草を抜いたりしている。子供たちはふざけていて、全員が楽しそうに笑いながら、手を動かしていた。


「良かった。生きてる人間も、ちゃんといるんだ」


老人ばかりがいて、同じ話を聞かされて、息が詰まる場所。そんな時が止まったような空間で、その光景は安心をくれた。


しかし、ふと、我に返った。

彼らは「違う世界」の住民じゃないのか。


偏差値の高い大学に入って、社会的地位の高い仕事に就く。これが「特別な世界」に住む条件だった。だとしたら、おそらくだけど、彼らは「違う世界」に住む人たちのはずだ。


でも、どうしてこんなに、幸せに見えて。

こんなに、うらやましくなるんだろう。


言い様のない敗北感を感じて、同時に祖母の言葉が蘇る。


「天狗の鼻を折られて、ちょうど良かったのよ」


祖母は、正しかった。私は、あのまま生きていたら、祖父のようになっていた。もし有名大学に入り、法曹界に行っていたら、「特別な世界」から振り落とされる恐怖と戦い続ける日々を送っていただろう。解放された日には「幸せな孤独」の世界へ入る、そんな生涯になっていた。


今までの人生を振り返っても、勉強しかしてこなかった。周りには愛情を注いでくれる家族がいて、誘ってくれる小中学校の同級生がいた。そんな彼らが手をのばしてくれても、私は跳ね除けていた。「特別な存在」で居続けるために、良い成績を取り続けなくてはならなかったから。生きる世界が違うと、思い込んでいたから。でも、結局、全部がうまくいかなかった。


「なーんだ。もっと、かわいく生きれば良かったな」


帰宅部でガリ勉だった高校生時代が、もったいなく思えてきた。部活で汗と涙を流して、恋に焦がれて眠れない夜を過ごすのは、漫画だけじゃなくて、実際にできたはずだ。今になって気付いても、時間は戻ってこない。


大学受験の失敗で「特別な世界」から脱落した。これは、良いチャンスだ。「違う世界」への、扉は開かれている。ほんの少し、一歩踏み出せば、まだ、間に合うはず―――


「こ、こんにちは!」


祖父に負けないくらい大きな声で、農園の人たちに挨拶をした。彼らは手を止めてくれて、にこやかに返事をくれた。その中に、幼稚園くらいの女の子と、その子をおんぶするおじいさんが見えた。


その姿に、かつての自分と、昔の祖父を重ねてみる。もしも二人が「違う世界」を生きていたら、あんな風に笑い合えていたんだろうか。それは決して叶わなかった幻想で、愚かな追憶だった。


「……ばかばかしい。やめよ」


考えたところで、仕方がない。失ったモノは大きいし、上京まで残された時間は少ししかない。けれど、大丈夫。まだ、取り返せる。


「特別な世界」なんて考えは、捨てた方がいい。生きる中でも、行き着く先も、孤独が待っている。そんなメッセージを祖父は「幸せな孤独」という姿を見せて、教えてくれた。


私を「特別な世界」から解放してくれた土地、それが浜松だった。大都市と違い、ゆったりとした空気が流れる此処は、呪われた私も祖父も、やさしく包み込んでくれていた。


駐車場で、車に乗ろうとした瞬間。突風が吹き、背中を押してくれた。春一番、温かな追い風。かすかに、花の香りが漂う。「違う世界」は、私を歓迎してくれている。そんな気がした。


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【実話】大学受験に失敗した私が見た景色 綾部まと @izumiaya

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