第7話 放課後の図書館、自己紹介

 ようやく放課後になった。孝也が話す気がないとわかったのかクラスメイトからの質問攻めは落ち着いていた。そもそも放課後になると部活などで大半の人は教室から姿を消す。いつまでも残っているやつなどいないのだ。

 だいぶ人も少なくなり、壁掛け時計を見ると4時10分を少し過ぎたあたりだった。

 「そろそろ行くか」

 荷物を持って席を立った。教室にはそれでも少数の人が残っていたので誰にも気づかれないように存在感を消して教室から出て図書館へと向かう。心の中でこういう時友達が少なくてよかったと心の中で思っていた。

 他の教室はとっくに空になっていて廊下は静寂に包まれていた。静かすぎる校舎内とは別に校庭の方からの部活をやっている連中の叫び声がよく聞こえた。

 言われた時間の5分前に到着した。図書館のドアを開けると既に星乃は机に座って勉強をしながら待っていた。ドアを閉めて孝也はまっすぐ彼女が座っている席の前まで歩いて行く。

 「早かったですね」

 彼女は孝也に気がつくと勉強の手を止めて顔を上げる。

 「5分前には目的地に着いてないと落ち着かない性分だからな」

 背負っていた鞄を机の上に置き、椅子に座りながら答える。意外ですね、と星乃は孝也が聞こえない声で呟いた。

 「それでわざわざ10分休みに教室に来た理由は?」

 少しくだらない話をしてすぐに本題を聞くのと同時に星乃がノートを無言で差し出してきたから軽い笑いを漏らした。ノートを受け取り、椅子と一緒に体を後ろに下げ、机と体の間隔を開け足を組んでから解答が合っているか確認しながら会話を続ける。

 「放課後、一緒に勉強をしてくれるのをお願いするために行きました」

 話し始めてからも星乃は姿勢を崩さずに背筋を伸ばして座っている。

 「まだ諦めてなかったんだな」

 「もちろんです」

 視線を一瞬だけ彼女の方へ向けると、その表情には強い意志が感じられた。これは首を縦に振るまで諦めてくれなそうだ。少々面倒な性格だなと心の中で思った。

 「しかしそんなことでわざわざ教室まで来たのか?」

 呆れた顔をするがノートに視線を向けたまま答え合わせの手は止めない。

 「はい。私はあなたの連絡先を持っていないので。直接言いに行くしか方法がなかったんです。でも大変でした。あなたのクラスも名前もわからなかったですから1組から回ってきたんです。まさか隣の4組だったとは思いませんでした」

 それ聞いた時、流石に驚いて手を止め星乃の顔を見る。

 「なんで近いところから行かなかったんだ……」

 呆然とした表情の孝也を見て彼女は自嘲気味に笑った。

 「本当にその通りですよね。どうして1組から行ったんでしょう?」

 少女は眉間に皺を寄せて悩んでいた。そこまで真剣に考えることでもないと思う。

 可愛い人っていうのはどんな表情になってもその可愛さは変わらないんだな。っと何を考えているんだ。孝也は自分の頭の中をリセットするために頭を軽く振る。

 「悩んでるところ悪いが、これ返す」

 急に頭を振り出した孝也を見てキョトンとしていた星乃は突然話しかけられて驚いた。

 「あ、ありがとうございます」

 孝也から渡されたノートの中を確認して間違っていたところをすぐに復習を始めた。その様子を見ていた孝也はぼそっとつぶやいた。

 「勤勉だな。どうしてそこまで勉強ができるんだ?」

 何気なく発した言葉だったがどうやら星乃には聞こえていたらしい。

 「勉強ができるのはあなたの方ですよ。よくこの問題解けますよね。なかなか難しいって先生も言ってましたよ」

 「そうなのか。……って、そういう意味で言ったんじゃないんだが」

 「じゃあ、一体どういう意味で……?」

 首を傾げる彼女の頭の上に、はてなマークが浮かんでいるのが見えてくるようだ。

 「よくそこまで勉強をやれるよなって意味だ」

 そう言うと星乃は頬を少し赤らめながら納得したような顔をした。

 「そういう意味でしたか。理由はともかく、私は頑張らなくちゃいけないので……」

 表情が少し暗くなって声がどんどんと小さくなっていった。多分彼女にも悩みがあるのだろう。相談されたところで他人の悩みなんてよく理解できないからそっとしておこう。

 することがなくなった孝也は窓越しに曇り始めてきた空を眺めていた。しばらく続いていた沈黙をほ星乃が破った。

 「確かあなたは勉強が嫌いなんでしたっけ? 嫌いなのにできるってちょっと嫉妬します」

 「そう言われてもな……」

 孝也は困ったように頭を掻きながらながら呟く。

 「ま、俺より頭がいいやつなんかいくらでもいるだろ。俺だって学年で2位だし。俺に教わるよりも1位のやつを探して聴くほうがいいんじゃないか?」

 この言葉に関しては孝也の本音が入っていた。

 彼は毎回、テストでは色々と調整して学年2位を取り続けていた。理由は単純。一番は有名になるが二番は大して人からの注目を浴びることはないからだ。

 孝也の言葉を聞いてから星乃は顔を俯いてしまった。どうしたのだろうと思いしばらく眺めていると声が聞こえてきた。それは星乃の声だった。

 「あの、とても言いづらいんですけど……私がその学年で1位なんです」

 彼女の言葉を聞いて少し申し訳なく思った。孝也は知らずに学年一位に勉強を教えていたらしい。

 「そう、だったのか。なんかすまない」

 頭を下げると耐えられなくなった星乃が余計に小さくなっていく。栗色のミディアムストレートヘアから覗く耳が真っ赤になっていた。

 「謝られると余計に虚しくなるんです…… そうだ。あなたの名前と連絡先を教えてください」

 少し間を開けてから誤魔化すように顔を上げ、唐突にふざけたことを言ってきた。

 「急に何を言ってるんだ? 話題を変えるにしても無理やりすぎるだろ」

 眉間に皺を寄せて軽く星乃を睨む。

 「それは確かにそうですが、でも一旦私の話を聞いてください」

 疑問を持っている孝也を見て星乃は諭すように話し始める。

 「私たち出会ってから一度も名前を教え合っていないじゃないですか? 私、あなたのことなんて呼べばいいかわからないですし、連絡先がわかれば今日みたいに私が教室にわざわざ出向く必要がないんですよ?」

 その提案を聞いて孝也は思った。これ頷かない限りずっと教室に来るっていうことなんだ、と。ある意味脅迫に近い条件だということを。

 しばらく考えたが、ここまでやられると流石に手の打ちようがない孝也は拒むのをやめた。スマホをズボンのポケットから取り出して連絡先を画面に表示させて星乃に見せる。

 「はあ…… わかったよ。俺は三河孝也だ。それとこれ俺のラインのID。これでいいか?」

 少女は孝也の返事と目の前に出されたスマホの画面を見て、真剣そのものだった顔が緩んで口角が少し上がる。

 「ありがとうございます。私は星乃雫です。三河さんこれからもよろしくお願いしますね」

 表情自体はさほど変わらなかったが嬉しそうに目を輝かせながら孝也の顔を見て星乃は名前を言い、孝也のスマホの画面を見ながら手際よくIDの交換を済ませる。ラインの友達リストには星乃雫という項目が増えていた。これでラインの友人は3人目になった。

 「ああ……よろしくな星乃」

 色々と嵌められた気もしている孝也だったが目の前に満面の笑みを浮かべている幼い少女のような星乃を見ていたら考えることがどうでもよくなった。

 こうして孝也と星乃の2人だけの静寂の図書館で孝也と星乃が初めて、互いを呼び合った日になった。

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