第5話 天恵・前編
「本当に、ありがとうございました。おかげで主人も安心して逝くことができたと思います」
そう頭を下げるのは、以前財布の修理を依頼された老婦人だ。ご主人とあちら側でもう一度会えるように祈りを込めた護符を作り、渡した相手。義介の記憶にも新しいお客だ。
「そうですか。ご主人の分のお守りは棺に入れて焼いていただけましたか?」
「ええ、言われた通りにしましたわ。私の分はこうして持ち歩いております」
あれから2か月ほど。きっと老婦人は肌身離さず持ち歩いていたに違いない。かつて濃いベージュだった革はしっかりと使い込まれた色の濃い革に変貌している。よほど、よほどなのだろう。
「ではそちらはこれからもお持ちくださいね。それと、最期の時はご主人と同じように棺に入れて焼いてください」
「ええ。わかっています。娘にそう言いつけてありますわ」
「それは何よりです」
「娘は祈祷師なんて信じないって言うの。最近の若い子はみんなそうなのかしらね」
老婦人はやや心配そうな表情を浮かべる。それは義介の家業を心配してか、自身の祈りの効果を心配してか。
「そうですね。やはりそういう若い方は増えてきているように思います」
「あら、そうですか。それは残念ですね」
祈祷、陰陽、霊媒、場合によっては神父・シスターも含まれる。いわゆるオカルトを扱う業界の歴史は古い。世界各地には原初の時代、神に祈り雨を乞う雨乞いの痕跡が至るところに残っている。それを扱ったのは呪術師・シャーマンと言われる存在だ。彼らの役割は時代を経るごとに細分化されていき、祈祷、陰陽、霊媒、仏教、神道など様々な名前に別れていった。それらを科学的に再分析、再認識し学問にしようとする流れが魔術である。
それらの知識・技術・職業は常に時代とともにあった。大戦時には歴史上で天才軍師と呼ばれた竹中半兵衛や黒田官兵衛を霊媒師が降ろし、戦争に参加させる研究があったと聞く。他にも、雨乞いを気象兵器として用いる研究やいわゆる死霊術までが行われたそうだ。市民も本気で雨乞いに参加していたらしい。大きな成果は得られなかったそうだが、少なくとも当時は科学されていた。現代ではオカルトに分類されている職業は今よりももっと社会的に認知されていたのだ。
それでも近代化するうちに少しづつ、オカルトな要素は科学的な要素に取って代わるようになっていった。雨が降らないならそもそも水が少なくても育つ品種に改良する。それでも足りないなら輸入すればいい。ある意味、人類の進化によって必要とされなくなった技術になっているのかもしれない。
そういった意味で、義介はいつもこの話題になると返事は決めている。
「いいえ。ある意味では良いことなのかもしれませんよ」
「そうですか?私にはよくわからないのだけれど」
「祈らなくても生活できるくらい良い生活ができているんだと思いますよ。昔はもっと生活のために祈りに来る方も多かったと聞いていますから。」
「そうかもしれないわね………きっとそうだと思うわ。それはとても良いことだと思うわ」
「ええ。私もそう思います」
「ありがとう、百八さん。良いお話が聞けましたわ。また来ますね」
「ええ、お待ちしております」
からんからん。ドアにかかるベルが鳴り、大柄な若いスーツ姿の男性が入ってくる。短髪に、柔らかな表情。ガタイの良さは元野球部か、柔道部か、ラグビー部だろうか。大きな体にピッタリと合ったスーツを着ていることからも、身だしなみが仕事の内容に影響するのだろう。大きさ自体に驚くものの、彼から受ける印象は温和な好印象そのものだ。
「どうぞ」
太いが、男性にしてはやや高めの声。ドアを開け、老婦人を促す。
「あら、ご親切にありがとう」
老婦人が外へ出たのち、彼はゆっくりと音が立たないように丁寧にドアを閉めた。所作からも、彼が優秀なビジネスマンであろうことが伺える。
「いらっしゃいませ。どうぞご自由にご覧になってください」
「ええ。ありがとうございます。お伺いしたいことがあるのですが、祈祷師の方でいらっしゃいますか?」
そっちのお客だったのか。まだ若い、恐らく20代後半くらいなのに珍しい。それも男性。
「ええ、祈祷師を営んでおります。百八義介と申します」
「ああ、良かったです。私は大谷智弘と申します」
差し出された名刺には名前と”営業”の文字、そして―――大手の家電メーカーの名前が入っている。
「もしかして、プリンターで有名な会社ですか?」
「はい。プリンターの製造販売を中心に事業を行っております。私はその法人向けの営業を担当しております。実はその、営業が上手くいかずに悩んでおりまして………」
なるほど。そういうお客様か。
学業、スポーツ、仕事。人間の生活には様々な「成績」が絡んでくる。多くの人間はその成績が伸び悩むことに頭を抱えて四苦八苦する。義介のところにも時折、成績が良くなるような祈りを作ってほしいと依頼が来ることがある。恐らく大谷さんもそうだろう。そうであれば「循環の祈り」が役に立つだろう―――というところまで義介は考えた。
「実は、毎週毎週営業部内でトップの成績を上げてしまっていて周りから妬まれているんです。なんとか、成績を下げることはできないでしょうか」
うん?
これはまたトリッキーなお客が来たなぁ。義介はそう思った。
~~~
窓際の椅子に掛けた彼は、やはり先ほどの老婦人と比べても随分と大きい。背丈は義介が背伸びしても届かないくらいだし、幅も義介の1.5人分くらいはあるだろうか。それでいて恐怖を感じさせない佇まいはやはりその表情ゆえのようだ。
温和。その一言に尽きる優しそうな目。微かに緩んだ口元。太く柔らかい高い声。彼の温厚さを率直に感じさせる訴求力は、天が彼に与えたものと言っても過言ではないかもしれない。
しかし、彼の悩みはどうやら深刻なようだった。
「私の仕事はプリンターを使ってもらえる企業の新規開拓を中心に営業回りをすることです。プリンターを買っていただくことだけではなく、本体をレンタルしてトナー代のみ頂戴したりといろいろと形態はあるのですが、とにかくそれほど利益が出る部門ではありません。法人向けのプリンター事業は主に今の顧客を維持することに力を入れております」
今のご時世、パソコンを使用しない業種など無きに等しい。第三次産業と呼ばれるサービス業等はもちろんのこと、第一次産業の農業や漁業だってパソコンを使う。なんなら祈祷師や霊媒師などのオカルト業界の人間だって使うのだ。なぜなら確定申告するのにパソコンは大変便利だからである。他にも顧客管理や通販など、パソコンを使わない日はない。そうなれば昨今ペーパーレスが叫ばれてはいるがプリンターは必須の周辺機器だ。
「新規開拓、というのは今はなかなか難しく、ほとんど挨拶回りに近いような役目のはずなんです」
プリンターの製造販売を行う企業にとって、中小企業に自社のプリンターを使ってもらうというのは大きな利益につながるはずだ。だからこそ積極的に売り込みを行うし、既にある顧客を囲い込もうとするのは当然のことだ。
「なんですが。私は入社してから既に何十社も新規開拓に成功していまして………前代未聞の騒ぎだと言われています」
「はい………。はい。それはよろしいのではないでしょうか」
大谷はゆっくりと首を振った。
「この国は出る杭は打たれます。頭一つ出ていると何かと周囲からのやっかみも多いのです。もう、正直疲れてしまいまして」
義介と目が合う。
「どうか。私の業績を下げていただけないでしょうか?」
~~~
「よう義介。どうした?ついに客が来なくなったか」
大谷が帰ってすぐに、ボンがカウンターに現れる。大谷には依頼にお応えできるか考えたいので少し時間が欲しい、ということで一旦帰ってもらった。明日もう一度来てくれる予定になっている。
「いや、ね。ちょっと変わったお客さんが来られたので。どうしようかと」
「ほーん。ちょっと聞かせろ」
義介は事のあらましを説明する。
「なんでぇ。そんなん聞いたことないぞ」
「ですよねぇ………はぁ………」
義介はカウンターに突っ伏して、一応思考をめぐらしてみる。
問題となっているのは義介の扱う祈りの本質的な部分にある。祈りとは本来、人間が物事をプラス方向に働かせたいというポジティブな考えから端を発する概念である。成績を上げたいという具体的なものから、あちらの世界へメッセージを送りたいといった抽象的な願いまで、その形は様々あるものの、そのどれもがポジティブな要素を多く含んでいる。
その点、大谷の「自らの業績を下げたい」という祈りは具体的な祈りに分類される。そして”彼にとって”業績が下がることはポジティブな事であることは間違いがない。しかし”下がる”という点を見ればネガティブな要素なのだ。
古来よりどちらかというと”上げる”ことを目的としてきた祈祷師にとって、やや矛盾をはらんだアンビバレントな依頼なのだ。
「それどっちかというと呪術じゃねえの」
「やっぱりボンさんもそう思います?」
「おう、それ祈祷師の本分じゃねえだろ」
全くその通りだ。義介は頭を抱える。
祈祷師が”上げる”ことを目的にしてきたと定義するならば、”下げる”こと、ネガティブな要素を目的としてきたのが呪術であり呪術師だ。祈祷師と呪術師の違いはその手法ではなく本質であり、呪術はネガティブなオカルトと捉えられる。”呪”の文字は「まじない」と読むこともできるが「のろい」と読むこともできる。こちらも大戦時には相手国の参謀本部を呪い殺すだとか戦意を下げるだとかの研究がなされたらしい。しかもこちらはそれなりに成果が上がったらしい。相手を呪うことを宣言した戦線では他の戦線に比べて敵兵の戦意が下がったとか何とか。眉唾ものだがそう簡単に否定できない。祈りにしろ呪術にしろ人間の”思い込み”というのは多分に影響してくるものだし、それが悪意ならなおさらだからだ。
「呪術師に紹介すれば」
「今時いませんよ呪術師なんて」
そのネガティブな側面から―――他者を呪うことを生業とする性質から―――呪術師は神社庁が中心となって、いわば国家を挙げて摘発された。いつ誰に呪われるかわからないという環境は、治安の悪化につながるからだ。
「それに、呪術師だってこんなのできませんよ」
「なんでだ」
「だって本人の要望で本人を呪うってことですよ。しかもポジティブに。矛盾してるにもほどがあるじゃないですか」
「まあ、なんだな。なにいってんだこいつって気持ちにはなるわな」
「でしょう?ほんと、変な人が来ちゃったなぁ」
第一印象ではこれほどまでに面倒な―――祈祷師の本質とぶつかるような―――客だとは思ってもみなかった。
「じゃあ、なんで断らなかったんだよ」
ボンの言うことももっともである。祈祷師の領分でない以上断るのは当然ともいえる。
「前、子どもの霊を降ろしてトラブルになった夫婦がいたでしょう」
「あぁ、いたな」
「あんな風に、ネットで出会った呪術師とかに引っかかりそうだなって思ったんです」
「引っかかるだろうな」
「それはなんか嫌だなって」
「お人好しだねぇ」
ボンはそう言い残して、輪郭を歪めて消えていった。
一人残された店内には、あの日の光景と後悔が残る。あの夫婦を無理やりに引き留めてでも、強引に説得して灰の祈りをさせていれば―――あの子は苦しまなかったのかもしれない。そう思わずにはいられない。
『私たちは霊を降ろすときに大きな代償はないけれど、あちら側でも同じだと言い切れる?』
そう問いかけるのはかつて聞いた女性の声。その質問は義介の、義介の仕事への姿勢の根幹を揺るがすものだった。
私の、私たち祈祷師の仕事は、人間の領分を超えてはいないだろうか。それは祈祷師に限ったことではない。陰陽師や霊媒師、魔術師などこのオカルト業界すべての知識・技術が、人間の行っていい事の範疇に収まっているだろうか?
窓際の椅子で泣く夫婦の姿が今も目に焼き付いている。あの子の霊をこちらから絞りだした感覚は今も残っている。あの日、降霊術のリスクを適切に説明していれば、あの子を苦しませることは無かったのかもしれない。
いや、あの子は苦しんだのだろうか。もう一度両親に会えて、両親にとって苦痛な時間ではあったにしろ共に過ごせたのは良かったことなのではないか。あちらとこちらの境界を無理やりにでも超える価値があの子にはあったのではないだろうか。
考えることはキリがない。ああすれば、こうすればは人生のいつ何時にでも伴うことは中年と言われる齢になってようやくわかってきた。だがそれでも考えずにはいられない。
今できることは、自分の領分の範囲内で仕事をすることだと思っている。人間の理というのが存在するのかどうかは魔術師たちの研究成果を待つしかないにしろ、自ら進んで理から外れるつもりはない。
義介は祈祷師としての役割を再認識する。依頼主の祈りを可能な限り成就させること。可能な限り、依頼主の意志を尊重すること。それに他ならない。故に、あの夫婦のことは諦めるしかないと自答する。あの夫婦は―――なんとしてでも我が子に会いたかったのだから。
~~~
「こんばんは」
「ああ、義介かい。久しぶりだね」
「ええ、お久しぶりです。渡辺さん」
本町商店街の、駅から一番遠い端。渡辺薬局に義介は来ていた。店内は狭く、最低限の市販薬と精力剤や青汁やらの健康食品、栄養ドリンクに湿布薬も置かれている。
一見して儲かりそうにない店構えだが、この店の本質は市販品の販売ではない―――オカルト業界で用いられる薬草の卸売りだ。
義介が子どもの時には、既に女将さんはおばちゃんだった。義介が大人になるにつれて、おばちゃんからおばあちゃんになった。眼鏡をかけた白髪の老婆、この辺りでは一番の薬草問屋である。
「今日はどうしたんだい。わざわざ来るなんて」
「実はちょっと困ったお客さんが来まして」
「あんたが困るのも珍しいね。ちょいと聞かせてくれるかい」
義介はあらましを説明する。
「世の中には奇特な人がおるもんだね」
「ええ、まあ………」
「ほんで、あんたどうするんだい」
「呪術師が絡んできても厄介ですし、とりあえずうちで何とかしようかと」
「ちょいと待ちなよ」
渡辺さんは立ち上がり、店の奥に引っ込む。そして片手で持てるほどの辞典を持って戻ってきた。題名は「花言葉全集」。
「ほら、何でも言いな」
「助かります。えっとまずは―――」
義介の祈りは渡辺なくしては行えない。もう長い付き合いになる、義介の数少ない頼れる相手であった。
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