第4話 リホーム

「あのよぅ、義介」

「はい、なんでしょう」

「なんで”わえ”がここに来とると思う」

「それは私が聞きたいのですが………」


 ほんの少しだけ時間はさかのぼる。時刻は朝八時、本町商店街は学校や職場へ向かう人が駅に向かって流れている。月曜日ということがあってか、憂鬱な顔が多い。せめてもの祝福を、と心の中で祈りを捧げるのは義介の習慣になっていた。結び屋は不定休で、よほどの用事か祈祷師の仕事で店を開けられない時以外は毎日開けている。これと言って理由があるわけではなく、毎日出勤する方が生活リズムが整いやすいからだ。

 いつものように店まで来た義介は、シャッターの前に座り込む人物に思わずぎょっとする。周囲を見渡すが誰も彼を気にする者はいなかった。恐らく義介に用があって来て、義介にだけ見えるようになっているのだろう。

 声をかけまいとも思ったが、そういうわけにもいかない。シャッターの前に陣取られている以上、彼を超えなければ店を開けられないのだ。しかも見えている以上、触れられる。つまり彼にぶつかってしまう。彼に気付かないふりをしてシャッターを開けるという選択肢もここでなくなった。そうなるともう、声をかけるしかしょうがない。

 ところが、声をかけてきたのは向こうからだった。そしてこの冒頭に繋がる。


「あのよう、わえはわざわざ来たかなかったんよ。こんなとこいたら乾いちまう」

「はぁ………」

「それでもな、やむにやまれぬ事情ってもんがあったんだよなぁ」

「そうですか………」

「なんだぁ、もう少し愛想をふりまいたらかわいげがあるんだがなぁ」

「そう言われましても」


 義介はできる限り小さな声で、彼と話をする。それは義介にとってせめてもの自己防衛であった。彼が周囲に見えていないということは、義介の話し相手が周囲に見えていないということだ。義介としては確かに見えていて、声が聞こえて、話をしているのだけれど、それは周囲には認識できない。つまり、義介は今。店の前で独り言を話しているちょっと変な人として認識されている可能性が高い。結び屋の顧客にはこうやって登下校・通勤している人たちも多く含まれる。もし万が一、その顧客に見られて怪しい人扱いされてしまったとしたら。その時は義介の生活が危ぶまれる。祈祷師一本で食っていけるほど今の世の中は甘くはないのだ。


「中、入りますか?」

「そういうこと言ってんじゃあねぇのよ、な?」

「でも店の前に居られるとその―――」

「なんだぁお前、尻子玉抜くぞこの野郎」

「もう………」


 相変わらずの理不尽に義介は大きくため息をつく。せめて、今の義介が「店まで来たけど鍵を忘れたことに気付いて落胆する店主」に見えていてほしい。そう祈らずにはいられない。困っていた義介に、シャッターの向こう側から助け船が出された。


「おう、”ながれ”じゃねえか」

「その声はボンだな。どっから話してやがる」

「店の中だよ。さっさと入ってこい」

「おう、そうだな。久々にてめぇの顔を拝むのも悪かねぇや」


 彼はようやく立ち上がり、早く開けろと露骨にジェスチャーする。シャッターを開け、鍵を開けると彼はがちゃん、と豪快に扉を開けて中に入っていった。

 残されたのは義介。それと三本指に水かきの足跡。

 ながれと呼ばれた彼、漢字で書くと「流」の一文字になるらしい。正体は河童。日本に古来から存在する妖怪の類である。

 久々も何も、彼がここに来たのはつい一週間前だ。義介はもう一度深々とため息をつく。もう通勤ラッシュの視線など、気にも留まらなかった。


~~~


 あれやこれやと脱線しながら話を聞いたところ、どうやらながれの住んでいる川に工事が入るとのことだった。

 本町商店街のほとりを流れる佳津ノ葉川(かつのはがわ)は車2台を横に並べた程度の小さな川だった。流量はそれほどないのだが、商店街や住宅街がある関係で橋が多かったり、曲がりくねっていたりで水の流れが妨げられ、大雨になると氾濫しかかることがよくあった。先日の雨でも橋に交通規制がかかり、通れなくなっていた。”観測史上類を見ない”大雨が毎年観測される昨今、この佳津ノ葉川流域の住民もピリピリしているというのは数年前から噂になっていたのだ。

 そしてついに、行政による治水工事が入ることになった。それが通知されたのがおよそ2か月前―――2か月間準備する時間はあったのに、と義介は思っている。要は、ながれは行政の工事による立ち退きを強いられたのだ。


「大体先に住んでいたのはわえだぞ」

「そうだよなぁ、人間の横暴ってもんだよなぁ」

「おい義介、わえは散々お前に言い聞かせてきただろう。あの川を守っていたのはわえだえ」

「それは重々承知しているのですが―――」


 ”佳津ノ葉川”という名前の由来はこのながれに起因する。「かっぱのかわ」というのがどうなったのかはわからないが、現代には「かつのはがわ」という風に伝わっているのだ。ながれいわく、昔は人間と妖怪の交流もそれなりにあったらしい。人間がながれに貢物を捧げる、その代わりにながれは佳津ノ葉川が氾濫しないように管理をする。という風習があったらしい。

 本町神社で聞いたところ、その風習は確かにあったらしく戦前までは河童祭りというネーミングで貢物を捧げる祭りが行われていたらしい。しかし空襲でそういった資料は失われ、次第に妖怪という存在が物語だけのものだと考える人間の方が多くなってきた。ほんの百年もしないうちに忘れられた佳津ノ葉川の守り神、それがながれである。


「本町神社には行きましたか?」

「あいつらはぼんくらだからな。ながれのこと見えてねぇんじゃねえの」

「ボンの言うとおりだ。あいつらは役に立たん。先々代まではちゃんとした神職だったんだがなぁ」


 本町商店街の外れにある小さな神社。本町神社。表向きは神様を祀る神社だが、裏向きではオカルト全般を扱う公務員のような役割を担っている。

 本町神社の神職たちは佳津ノ葉川がながれの住む川であり、ながれのおかげで”記録的大雨”にも耐えてきたことを、義介同様に知っている。佳津ノ葉川流域のオカルト界隈の住人たちは皆そのことを知っているのだ。一部の高齢者の口伝にもそれは残っている。

 が、それは世間という大きな目で見るとあまりにマイノリティに過ぎる。もうあと50cmで氾濫するという河川を目の前にして、「この川には我々を守ってくれる河童が住んでいます。だから大丈夫です」と説いたところでながれ本人が表に出てこないのだから説得力がない。

 工事が決まった2か月前、ながれは今日のように義介のもとにやって来た。ながれと一緒に本町神社に行ったのだが現宮司はそれほど今の職に興味がないらしい。「住民さんの声がある以上、私たちもとめることはできませんから」とのことだった。


 人と妖怪の橋渡しをするのも神社組織の努めであった。本来であれば本町神社から市に工事差し止めの請求をして、理由を説明するのが筋である。が、そのエネルギーは宮司にはない上に、それ以上に住民たちの恐怖があったようだ。今更住民の意見を反故にして工事を止めることはできない。という結論が出たのが先週の話だ。


「おい義介。祈祷師様だろ。お前市役所まで行って直談判してこい」

「そうだぞ義介。わえを怒らせたらどうなるかわからんわけねぇだろ?」

「そうはいっても一市民なんですが………」


 尻子玉を抜かれる。というのは河童のよく言われるエピソードだ。あまりにポピュラーな妖怪ゆえに起源やその行動、呼び名も様々あり数えきれないほどになる。その中でも尻子玉を抜かれる、というのは要は腑抜けになるということらしい。これも諸説あり、水死体の有様からそう表現されるようになったとの説もあるから笑える話ではない。

 他にも人を川に引きずり込むとかなんとか、とかく水死に関する伝承が多いことからも、目の前の妖怪が人間にとって脅威であることは事実だ。河童と言えばキャッチ―な妖怪を思い浮かべるかもしれないがその実態は川一つを統べる大妖怪、ボンのような猫又が比にならないレベルの妖怪なのだ。とても義介の手に負える相手ではない。第一線レベルの陰陽師が複数かかってようやく同等、という話だと聞く。

 これは余談だが、かつてとある河川の工事で揉めたことがある。河童との共存による治水を主張する神社側に対して行政は聞く耳を持たず工事を強行した。その結果、治水工事をしたにも関わらず年に何回も洪水を起こす川になり、その川だけでなく支流や流れ込むんだ先の本流でも洪水や水死事故が多発したという。その時は宮司たちが方々の河童の元へ足を運んで嘆願し、なんとか収めたという。


「義介。お前わかってるだろ。河童を怒らすとおれの比じゃねぇぞ」

「そうだぞ。河童様だぞ」

「だからわかってますって。考えますから時間ください」


 義介はカウンターで頭を抱える。商品のソファーがながれのおかげでびしょびしょになっていることはもう考えないようにしている。


「だいたい茶も出んのかここは」

「ながれさん。お茶飲むんですか」

「飲まん」

「じゃあどうしろと………」

「野菜だ野菜。パクチーがいい」

「パクチー………?」


 河童と言えばきゅうりと相場は決まっている。はずなのだが。


「ありゃあ香りが独特でうめぇ。ねえなら買ってこい」

「ながれ、パクチーなんか食うのかすげえな」

「おうよ。わえほどの河童になれば大体の野菜は食えんだよ」

「おれはパクチー食う気にはならんなぁ」

「………じゃあちょっと行ってきますから。ゆっくりしててください」


 義介は店を出てCLOSEDの看板を掛ける。そして八百屋に向かいながら途方に暮れる。本町神社が動かない以上、義介には工事を止める術はない。故に代替策を考えなければならないが、相手は曲者だ。だいたい、なんだパクチーって。河童はきゅうりが常識だろう。

 ため息をつきながら商店街を歩く。既に通勤通学の喧騒は過ぎ去っており、買い物のおばちゃんくらいしか人通りはなかった。昔は定年後で時間を持て余した高齢の男性たちがうろうろしていたものだが、今は定年の引き上げや再雇用やあまり見なくなった。義介が淡々と革を触っている間にも、時間は過ぎていく。


 八百屋に着く。が、パクチーは見当たらない。小さな八百屋にパクチーがある方が、むしろ不自然かもしれない。

「なかった」と言ってしまうのは簡単だが、それで納得する彼らではない。彼らは義介を捻りつぶすくらいのことは造作もなくやってのける。妖怪だから人を殺せるのではない。人を殺し続けたから妖怪なのだ。スーパーへ行く方が懸命だろう。パクチーと、ボイルのベビー帆立も買っておこう。あと自分の昼ごはんと。ついでにトイレットペーパーとかも買い込んでしまおう。急ぎでないものもついでに買っておこう。

 

 だって帰りたくないもの。


~~~


「わかりました!」

「おう、なんだぁ」

「でかい声だすなよ、まったく」


 気持ちのいい陽気の昼下がり、買い物から帰ってきて最初にシャッターを閉めた。もう今日は仕事にならないだろう。各々昼飯を食べ、一息ついているときに義介はひらめいた。


「リフォームですよ」

「あ?」

「―――はは、それは傑作だぞ。義介」


 笑いながらひざ?を叩くボンと、きょとんとしているながれ。その差は人間文化への理解度だ。住宅街を住処としてきた猫又のボンに対して、川を住処としてきた河童のながれでは人間の言葉の語彙力が違う。というか河童たちが「リフォーム」のことを話している姿など想像できない。想像できないし、なんか嫌だ。

 そもそもなんで猫又やら河童やらがぺらぺらと日本語を話しているのか、それは考えない方がいい。迷宮入りだ。


「なんだその、りほーむとやらは」

「住処を改善することです。よりよく、より住みやすくするために」

「おう。それがなんでぇ」

「だから、佳津ノ葉川もリフォームの工事に入るんです。今日から」

「だからなんでぇ、そのりほーむってのは」


 伝わっていない。どうしたものかと義介は頭を抱える。正直もうこれ以外に思いつく手はないのだ。二時間くらいかけて―――1週間先送りにしていたというのもあるが―――捻りだしたのが「リフォーム」なのだ。これをどうにか通すしかない。眉間にしわを寄せる義介、その横にしゅるり、とボンが現れ耳元でこう囁いた。


「おれが取り成してやろうか」

「できるんですか」

「生の帆立」

「うっ………」

 

 痛い所を突いてくる。ボンの説得でながれが納得してくれるならありがたい。が、生の帆立はちょっぴり高いのだ。買える範囲なのだけれど、決して安くはないライン。海が近くはないこの辺りでは、活けの海産物はそれなりに値段がする。しかもボンは安物では許してくれないし、これ幸いと成人男性が満腹になるくらいの量を要求してくるだろう。

 だがもう義介には手の打ちようがない。生の帆立代で川の守り神の機嫌が買えるのだ。今は猫の手も借りよう。


「ボンさんに委ねます」

「おう」


 ボンは輪郭を歪め、ソファに座るながれの隣に移る。


「あのな、ながれ」

「おう」

「今日から行政様がお前の家を掃除してくれる」

「ほん」

「その掃除が済むとな、あらびっくり。洪水が起きなくなるんだ」


 ボンの言葉に、ながれの緑色の頭がさながらプチトマトのように赤くなる。


「ええか?わえがおるからあの川は氾濫せずにすんどんや。おめぇそれがわからんわけなかろうが」


 怒髪天を衝く………皿を衝く?

 とにかく、怒りを露わにしたながれはボンを睨みつける。一方ボンは涼しい顔でいる。妖怪としては格の違う二人ではあるが、その違いを感じさせないボンはさらりと言い放つ。


「大変だろ。治水も。人間様が手伝ってくれんだよ」

「なに?」

「川が荒れるからお前の仕事が増えるんだよ。そもそも荒れないようにして、お前の仕事を減らそうっていう人間の粋な計らいだよ」

「ほう」


 赤くなりかけのプチトマトくらいに緑が混ざってきた。もう一押しだ。


「だがおめぇ、それはよう。わえを見くびってねえかい」

「毎回毎回雨が降るたびに出てきてもらうのも申し訳ないんだよ。ここはひとつ、受け取っとこうぜ」


 ながれの顔が、元の?河童のあるべき色に戻った。どうやら納得してもらえたらしい。


「ん。わかった。そういうことなら人間に甘えるのも悪かねぇ」

「そうだろ。工事してもどうにもならん時は、そん時はながれの出番だ」

「おう。わえの拾いさらに免じて許しちゃる」


 そう言うとながれは立ち上がり、ドアの方へ向かう。


「助かったぞ、義介。次は3年後くらいに会おうぜ」


 そう言うとながれもまた、輪郭を歪めて消えていく。

 店内と商品をびちょびちょにして―――一日の売り上げを犠牲にして―――義介は、川の守り神の怒りから本町を守ったのであった。


「あれ、先週も言ってたよな」

「ええ、言ってましたね」


 義介は雑巾とバケツを手に、店内の水分を拭き取りにかかる。いつもバケツが半分になるくらいには店内を濡らして帰るのだ。これがただの水なのか、はたまたながれの体液なのか。川の守り神なのだから体液イコール水なのか。これもまた迷宮入りしている謎の一つである。


「あいつ来ると疲れるんだよなぁ」

「まあそう言わずに。帆立買いますから」


 今回に限らず、ながれはいつも何かしらの不満があると義介の元へ来るのだ。本来はそういった、妖怪からの困りごと相談みたいなことを請け負うのも神社の仕事なのだが、ながれの場合はながれの方から本町神社を見限っている。他に手近なオカルト屋というと、義介なのだった。

 妖怪でありながら人間の近くに住んでいる猫又であるボンは、ながれ以上に人間界の事情に詳しい。建前とか、忖度とかそういうのは割と妖怪には理解がしにくいことらしいのだ。ボンは人間と妖怪の立場を両方理解しながら、なるべくながれが損しないように事を収めてくれる。そういう意味では、この結び屋は祈祷師と猫又のやっているよろず相談的な側面があるのかもしれない。


「おれ、賭けてもいいぜ」

「何がですか?」


 ボンは呆れ顔で、あくびをする。


「あいつ、絶対また来る。工事の音がうるさいって」


 義介の脳内でながれの声でそのセリフが再生されてしまった以上、それはもう必然のように思えた。

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