結び屋百八

立花僚

第1話 結び屋百八

 新幹線の停まるくらいの駅から伸びる商店街「本町」。そのほとんどはシャッターが閉まっているか、最近入った新しいテナントだ。駅に一番近い角っこの肉屋のコロッケの匂いが出迎えてくれ、それを食べながら商店街を練り歩くのが一種の見どころとなっている。ぽつ、ぽつとあるのは婦人服や宝飾店。およそ若者が喜ぶタピオカだのは見当たらない。それでも若い人たちが多いのは、商店街の周りに住宅街が広がっているからだ。住民たちはみなこの本町商店街を抜けて駅へ向かう。そして帰り道にコロッケを買って帰る。

 一日に何百と揚げ、それでも売れ残りを出すことはそうないらしい。なんでも、終電ギリギリまで店を開けてサラリーマンたちを出迎えるそうなのだ。そして出迎えられたサラリーマンたちは残ったコロッケを全て買って帰る。勿論、割引済みだ―――


「そうやってあの店は何十年も続いてきたんですよ」

「そうかい。まるで見てきたように話すねぇ」

「そりゃあ、見てきたわけじゃあないんですが。近所のおばあさんがそう言っておられたので」

「お前さんは他人のいうことはいつも信じるんだな」

「まぁ、そういう職業ですから」


 からんからん。店のドアに掛けた鐘が鳴る。


「いらっしゃいませ」


 会釈しながら入ってきたのは老婦人。店内をぐるりと回ったのち、カウンターまでやってくる。


「一つ、お尋ねしてもよろしいですか」

「はい、なんなりと」

「こちらは革細工のお店のようですが、修理はされていますか」

「ええ、承っていますよ」


 老婦人はカバンの中から萎びた財布を取り出した。


「主人のものなのですが、この端のところがほつれてしまって」


 二つ折りの財布の内側、縫い目が切れてほつれてしまっている。


「ええ、大丈夫ですよ。20分ほどでお直しできると思います」

「あら、ほんとう。ではお願いできるかしら」

「かしこまりました。そちらの椅子、お使いくださいね」


 彼は財布を預かり、作業台につく。眼鏡をかけて、糸のほつれの場所を見定める。


「あら、猫ちゃんがいるのね。こんにちは」

「にゃぁ~ご」


 カウンターのそばに置いた革張りの椅子を占拠する白猫。来客に興味がないらしく、すぐに頭を下げて眠りについた。

 日中の商店街の人通りはそう多くない。朝夕の喧騒も、今は学校や会社に行ってしまった。時折走る自転車の音が聞こえるくらいで、店内には何の音もしなかった。やがて財布の修理が終わる。


「お待たせしました。ご確認ください」


 老婦人は財布を手にとり、目を丸くする。


「あら、何処がほつれていたかわからなくなったわ」

「たまたま同じ色の糸がありましたので、そちらを使いました。いかがでしょうか」


 老婦人は満面の笑みで答える。


「ええ、ありがとう。これなら主人も喜ぶわ」


 老婦人は立ち上がり、カウンターに向かう。ふと、彼の奥の壁にかかっている文言が目に付いたようだ。少々訝しむ様子で、老婦人は彼に尋ねる。


「あなた、祈祷師なの?」

「ええ、そちらの仕事も賜っております」

「そうなの」


 老婦人は少し考えこんだ様子だ。

 そろそろお昼時だが、今日の昼飯は何にしようか。それこそ、角っこのコロッケなんかいいんじゃないだろうか。4つ、いや一人3つで6つか。この婦人が帰ったら買いに行こう。そんなことを考えていた。


「ちょっと相談してもいいかしら」

「はい、なんでしょう」


 老婦人は再度椅子に座り、一息ついてから話し出した。


「実はね。私の主人、もう長くはないの。今日持ってきたのも、お棺に入れてほしいから恥ずかしくないようにって」


 しみじみと話す婦人は、どこか悲しみを感じさせない口調。きっと何回も何回も考えたのだ。長年連れ添った相手がこの世を去る、そのことを何度も反芻したのだ。


「あの世って、本当にあるのかはわからないのだけれど。その、向こうでも会って一緒になれたらって思ってるの。そんなことってできるのかしら」


 すぅっと、老婦人の目は彼の目を捉える。切実で、縋るような目。人はみな、何かに祈る時にはいつもこういう目をする。


「そうですね。私もあちらへ行ったことはないので、お約束はできません。ですがそういったご希望の方には、目印をお作りしております」

「目印?」

「はい。祈りを込めたお守りのようなものをお二人に持っていただき、お二人がお棺に入る時に一緒に火葬していただきます。そしてあちらへ行かれた時に、お互いが引き合わされるように、という祈りです」

「それは、その。御幾らくらいするのかしら」

「そうですね。少しお待ちくださいね」


 彼はカウンターの下から道具箱を取り出す。中には色とりどりの革が詰まっていて、牛、豚、鹿、などの品目と値段がそれぞれに描かれている。


「この中から、ピンとくるものをお選びいただくようになります」

「どれ………あら結構するのねぇ」


 老婦人が手にとったものは乳牛の年老いたものの革、乳や肉に商品価値がなくなった牛を安く引き取ったものだ。


「そうですね。そちらですと20万ほどで承ります」

「そうねぇ………」


 手にとった革を撫でながら老婦人は話さなくなる。20万という安くはない金額と、ご主人との繋がりとを天秤にかける。

 その様子を、彼は何も言うことは無く見守った。40歳手前ほどだろうか。柔らかな目じりの皺は彼が今まで浮かべてきた表情が良い物であったことを想像させる。悩む老婦人を緊張させない佇まいは、この若さにしては手に入らない仕草であろう。よほど温厚か、多くの経験をしてきたのか。彼は多くを語ろうとはしない。


 やがて。


「一度、主人と相談してもいいかしら」

「ええ、構いませんよ。いつでもいらしてください」


 老婦人から革を受け取り、代わりに彼は名刺を差し出す。


「百八義介(ひゃくはち ぎすけ)と申します。革細工と祈祷を商いにしております」


~~~


「高齢者から20万はぼったくりじゃあねえの」


 義介一人の店内に響くのは、ガラガラで野暮ったい声。


「そんなことありませんよ。あれはうちで一番安い革ですから」


 対照的な義介の声は柔らかく、どこか中性的だ。とげのない、春先の風のような暖かな声だと、むかし義介は言われたことがある。

 アンティーク調の店内に所狭しと並べられた革製品。それらの配置換えや埃落としをしながら、ガラガラ声と会話をする。


「なににそんなにかかるんだよ。手間賃か」

「まあ手間賃もですが。単純に原材料にお金がかかるんですよ」

「あんな革切れ一枚に何が」


 義介は肩を落とす。


「あれね。1頭買いなんです。皆さんよく誤解されていますけど、あの革一枚のためだけに牛を1頭買ってるんですよ」

「なんで」

「………企業秘密です」


 ガラガラ声のあくびの音。


「もったいぶらねえで教えろよ」

「私の祈りに関わってくるので、あまり人に教えられないんですよ」

「じゃあ大丈夫だ。おれ人じゃねえし」


 声の主がひょいとカウンターに乗る。背中を大きく伸ばす。真っ白な身体、その終端のしっぽの先は二つに割れている。猫又だ。


「言ってもボンさんにはわからないと思いますよ」

「じゃあどうでもいいや。飯にしようぜ。コロッケがいい」

「私もそう思っていたところです。いくつ食べますか」

「4つ」


 義介は少しだけ計算違いをしていた。40歳目前の彼とは違って、何百年と生きる猫又の食欲は計り知れない。


~~~


 コロッケを胃袋に放り込んで昼下がり。お客のいない商店街はいつもと変わらない平穏な空気が流れている。


「おい義介、暇だからなんか話せ」

「そんなこと言われても………」

「さっきの祈りの話でいいや。かいつまんで話せ」

「はぁ………」


 義介の数倍は生きている彼、彼女?はいつも横柄だ。義介が何日もかけて革を張った商品のソファーの上で丸まりながらそう注文をつける。動物嫌いの人はともかく、大体の人はボンが商品の上にいても文句は言わない。それどころか「縁起がいいから」と言って買っていく人の方が多いくらいだ。ボンが来てから、ソファーのような大物の売れ行きが増した。ボンが実は妖怪の類で、どちらかと言えば恐れられる存在なのだと知ったら、あの客たちはどんな顔をするだろう。


「じゃあ、かいつまんで話をしますよ」

「おう」


 義介はまだ素材のままの革の整理をしながら話始める。

「私の祈りは、要はつながりを強くするものです。今回の場合は同じ牛の革を使った二つの製品を二人に持っていただきます。同じデザインの護符に同じ呪文を入れて持ち歩くんです」

「お守りってことか」

「かみ砕いていうとそういうことです」


 ボンがあくびを一つ。そして。


「それが何で牛一頭買わないとだめなんだ?」

「同じ牛の革、というのが一つの鍵になります。二人の橋渡しを牛の魂にお願いするんです。一頭の牛からいくつもの護符を作ってしまうと絡まってしまってうまく会えない可能性があるんですよ。勿論それを防止するためにデザインや呪文でつながりを強化はするんですが」

「絡まる、ねぇ」

「もちろん確かめたわけではないんですけどね。せっかく祈るわけですから、できるだけ可能性が高い方法を取りたいんです」

「おれからしちゃあ、祈るなんて不安定なもんに縋る理由がようわからんけどなぁ」


 呆れた様子のボンを尻目に、義介は革の整理を続ける。未使用の革は終わったから、次は使用済みの革だ。つまり、既につながりを維持するために使った革の切れ端の整理だ。カウンターの奥の作業台、その更に奥には備え付けの大きな棚があり、その最下段の金庫、ダイヤルロックと物理キーの二重のセキュリティを開ける。ぎゅうぎゅうに押し込まれた封筒たちを取り出し、作業台に並べた。


「いっつも思うんだけどよ。なんでそんな金庫に入れる必要があるんだよ。もう使ったもんだろ」


 のんびりしているように見えて、ボンはしっかりと見ていたようだ。その視野の広さは人間ではなく猫由来のものなのか、はたまた猫又由来か、長年生きた経験からくるものか。


「もし、護符と同じ革で作られた呪いがあるとしたらどうなると思いますか?」

「そりゃあ、革に宿る魂が護符と呪いを引き寄せちまうんじゃねえの」

「その通りです。悪用できるんです。だから金庫で保管するんです」


 封筒の、一枚一枚を選別する。日付と名前、そして祈りの内容が書かれた封筒をきっかけに記憶を紐解く。20枚ほどあった封筒は、結局すべて自宅へ持ち帰ることに決めた。店に置いておいてもしばらくは使わないと判断したからだ。時折、祈りを追加したいというお客が現れる。勿論その反対も。そういったときに同じ革があるとつながりが辿りやすい、という理由から、義介はほとんどの革を保管している。祈りが昇華されたとき、または破棄された時にはじめてそれらは処分される。


「あれだよなぁ。随分原始的だよなぁ」

「ええ、まあ。祈祷師ですから」

「魔術師とかいうのはもっと、なんだ。魔法みたいな事やってのけてたぞ」

「会ったことがあるんですか」


 ボンは背筋をスンと伸ばし自慢気な表情をする。


「あれ、陰陽師って言ってたっけか。あいつら妖怪狩りとかしてるからな」

「狩られる対象でしたか」

「まあ逃げ切ったけどな」


 自慢話に満足したのか、ボンはまたくるりと丸くなった。


「彼らは祈りを研ぎ澄ましていますからね。私のように弱い概念じゃなく、もっと強い概念をもって祈りますから」

「祈り、ねぇ。ようわからん」


 商店街の昼は何事もなく過ぎていく。


~~~


 夕暮れ時。義介は本業の革細工―――祈祷師も本業ではあるが―――、長財布を作っていた。今のご時世、祈祷だけで食っていくことは難しい。勿論いないわけではない。信者がいて寄付を貰っている人もいるし、義介よりも高い料金で仕事を請け負うことで生活を成り立たせている人もいる。だがどちらも義介の性分には合わなかった。

 彼に言わせれば「祈りはもっと庶民的で普遍的なもの」であった。祈りの歴史は人類の歴史とも言い換えることができ、形や内容はどうあれ、きっかけはすべて人々の「願望」である、と。彼は魔術をこと嫌っているわけではないが、人々の祈りと向き合おうとしたときには少々無機質で具体的で現実的なのだ。彼はより人々の願望の近くにあって、可能な限り祈りを昇華させたい。月日を重ねるにつれそう考えるようになった。


 からんからん。ドアの鐘が鳴る。入ってきたのは午前中に来店した老婦人だ。


「こんにちは、百八さん」

「こんにちは。またいらしていただいてありがとうございます」

「にゃぁ~ご」


 ボンの出迎えに、老婦人の顔が綻びを見せる。


「あら、出迎えありがとう。素敵な猫さんね」


 まんざらでもない表情をしたボンを、義介は見逃さなかった。


「あのね、主人のところに行ってきたの。ぜひお願いしたいって」


 老婦人の浮かべた笑顔は陽だまりの中の少女のような、暖かく柔らかで、どこかあどけない。欲しいものを買ってもらえた時の子どものような、いや、欲しいものが好きな相手と一緒だった時の少女のような。親愛と恋心が混じったような表情に、ご主人との関係の深さが感じられる。


「わかりました。ではおかけください」


 義介は先ほどの牛の革を持って老婦人の元へ向かい、革を手渡した。


「この革の元の持ち主、つまりとある牛が、あなたとご主人を結んでくれます。私がこの革でお守り袋を作ります」


 次に、義介は一枚の紙を取り出した。はがきサイズのコピー用紙に、縦に一本線が入っている。


「この紙は私がまじないをかけたものです。横半分に折っていただいて、2枚に切り分けてください。必ず、ご主人とお二人でいるときにしてくださいね。そうしましたら、できた2枚に同じ言葉を書いてください。一文字でも文章でも構いませんよ」


 真剣な表情で頷く老婦人を、どこか冷めた目で見るボン。数百年と生きた猫又には人間の祈りというものが理解しがたいらしかった。


「書けましたらその紙をもってもう一度いらしてください。私がそこにまじないをかけて、祈りは終了です。後は最期まで、お守りを持ち歩いてください」

「そう。思っていたより簡単なのね」

「ご主人のところにもう一度行っていただかないといけないので、そこが少し手間かもしれませんが」

「主人に会うのは楽しいですから。手間には感じませんわ」

「にゃぁ~ご」


 ボンの大あくび。そして「やってらんない」とばかりにそっぽを向いて丸くなった。


「ところで、牛以外にはありませんの?豚とか、鹿とか?」

「ええ、ございますよ。でも、私は牛をおすすめします」

「どうしてかしら」

「愛する人にはなるべく長生きしてほしいと思うからです。牛歩、って言いますでしょう?」

「………そうね。主人の気持ちはそうかもしれないわね」


 老婦人は紙をカバンに入れて店を出ていった。その背中はやはり、親愛と恋心の混じった少女のようで、足取りは重くとも跳ねる仕草があった。


「牛歩ってなんだ」


 顔も上げないガラガラ声はぶっきらぼうに義介に問う。


「牛の歩みはゆっくりですから。ご主人を追いかけるように亡くなってしまったら困るでしょう?ゆっくりと生きて、それから会いに行けるようにという願掛けです」

「それだと向こうでもなかなか会えないんじゃないのか」

「向こうはきっと時間は無限にありますから」

「それは都合が良すぎないかい」


 ボンの言葉に、義介は思わず笑ってしまう。


「人間の祈りなんてそんなもんでしょう」


 金庫から封筒を取り出しカバンに詰め込む。レジの鍵を閉め、電気を消す。今日はもう店仕舞いして護符づくりに取り掛からなければならない。


「なんでぇ、もう帰んのか」

「これから忙しくなりますから」

「そうかい、じゃあな」


 革張りのソファの上、ボンの輪郭がゆらゆら揺れて滲んでいく。幾たびかの瞬きの後には、そこには何もいなかった。

 義介は荷物を肩にかけ、店を出る。ドアに鍵をかけて、長い棒で引っ掛けてシャッターを下ろす。もう喧騒が帰ってくる頃、シャッター音はそう響かない。棒を片付けて義介は人混みに紛れ帰路に就いた。



 新幹線が停まるくらいの駅から延びる商店街、本町。その片隅にある革細工店の名は「結び屋百八」。革製品を求める多数と、祈りを求める少数が訪れる小さな店である。

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