【巻二一 嵆康】干寶疏謬
「干宝クソ雑!」
時又有譙郡嵇康,文辭壯麗,好言老、莊,而尚奇任俠。至景元中,坐事誅。
世語曰:毌丘儉反,康有力,且欲起兵應之,以問山濤,濤曰:「不可。」儉亦已敗。
臣松之案
本傳云康以景元中坐事誅,而干寶、孫盛、習鑿齒諸書,皆云正元二年,司馬文王反自樂嘉,殺嵇康、呂安。蓋緣世語云康欲舉兵應毌丘儉,故謂破儉便應殺康也。其實不然。山濤為選官,欲舉康自代,康書告絕,事之明審者也。案濤行狀,濤始以景元二年除吏部郎耳。景元與正元相較七八年,以濤行狀檢之,如本傳為審。又鍾會傳亦云會作司隸校尉時誅康;會作司隸,景元中也。干寶云呂安兄巽善於鍾會,巽為相國掾,俱有寵於司馬文王,故遂抵安罪。尋文王以景元四年鍾、鄧平蜀後,始授相國位;若巽為相國掾時陷安,焉得以破毌丘儉年殺嵇、呂?此又干寶疏謬,自相違伐也。
(漢籍電子文献資料庫三國志 605頁 ちくま3-407 罵詈雑言)
○解説
竹林七賢のひとり、
干宝は言っている。嵆康と一緒に殺害された、友人の
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