【巻一三 鍾毓】蓋何足稱耳

「は? 賞賛する価値ある?」



正元中,毌丘儉、文欽反,毓持節至揚、豫州班行赦令,告諭士民,還為尚書。諸葛誕反,大將軍司馬文王議自詣壽春討誕。會吳大將孫壹率眾降,或以為「吳新有釁,必不能復出軍。東兵已多,可須後問」。毓以為「夫論事料敵,當以己度人。今誕舉淮南之地以與吳國,孫壹所率,口不至千,兵不過三百。吳之所失,蓋為無幾。若壽春之圍未解,而吳國之內轉安,未可必其不出也。」大將軍曰:「善。」遂將毓行。


臣松之以為

諸葛誕舉淮南以與吳,孫壹率三百人以歸魏,謂吳有釁,本非有理之言。毓之此議,


(漢籍電子文献資料庫三國志 391頁 ちくま2-469 罵詈雑言)



○解説

 鍾毓しょういくはみんなのアイドル、しょくを滅亡させたそばから謀反を起こして滅ぼされたあの鐘会しょうかいくんの兄上。世説新語せせつしんごでもわりと鐘会くんのコンパチ扱いです。まぁ兄貴は鐘会くん滅亡後も引き続き魏で立身していて、鐘会くんがどういう扱いだったのかをなんとはなしにほのめかしてくれているんですけどね。

 諸葛亮しょかつりょうの親戚、諸葛誕しょかつたん。彼はに仕えていましたが、司馬しば氏の専権を嫌って謀反を起こし、軍と手を組みました。司馬昭しばしょうは鍾毓を引き連れ、討伐に向かいます。すると呉軍から孫壱そんいつと言う将が千人弱を引き連れ、投降。あるものは「どうやら仲間割れをおこしているようだから、このまま放っておけば瓦解するのではないでしょうか?」と言い出しましたが、鍾毓は「千人弱の投降なぞ、反乱軍全体からしたら微々たるものでしかない。これで事態が収束に向かうとは思えない、このまま動いて討伐すべきだ」と提言。司馬昭も鍾毓の提言を採用しました。そうして諸葛誕の乱を鎮圧、鍾毓は昇進します。

 裴松之はいしょうし先生、ん? と首をかしげます。

 いやそもそも論としてたった千人弱の投降で内輪もめを想定する方がおかしくない? そんな無茶な話棄却する以外ないし、? とのことです。

 いや記録してあるだけで讃えちゃないだろ。

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