【巻六 董卓】誣罔不通之甚
「こんなデタラメ、
通じねーにもほどがあんぞこら!」
謝承後漢書曰:蔡邕在王允坐,聞卓死,有歎惜之音。允責邕曰:「卓,國之大賊,殺主殘臣,天地所不祐,人神所同疾。君為王臣,世受漢恩,國主危難,曾不倒戈,卓受天誅,而更嗟痛乎?」便使收付廷尉。邕謝允曰:「雖以不忠,猶識大義,古今安危,耳所厭聞,口所常玩,豈當背國而向卓也?狂瞽之詞,謬出患入,願黥首為刑以繼漢史。」公卿惜邕才,咸共諫允。允曰:「昔武帝不殺司馬遷,使作謗書,流於後世。方今國祚中衰,戎馬在郊,不可令佞臣執筆在幼主左右,後令吾徒並受謗議。」遂殺邕。
臣松之以為
蔡邕雖為卓所親任,情必不黨。寧不知卓之姦凶,為天下所毒,聞其死亡,理無歎惜。縱復令然,不應反言于王允之坐。斯殆謝承之妄記也。史遷紀傳,博有奇功于世,而云王允謂孝武應早殺遷,此非識者之言。但遷為不隱孝武之失,直書其事耳,何謗之有乎?王允之忠正,可謂內省不疚者矣,既無懼于謗,且欲殺邕,當論邕應死與不,豈可慮其謗己而枉戮善人哉!此皆誣罔不通之甚者。
(漢籍電子文献資料庫三國志 179頁 ちくま1-429 罵詈雑言)
○解説:波間丿乀斎
ここのエピソードは
董卓の死に対して後漢の大文人、
これに対し
は? なんで蔡邕ほどの人が董卓の死を嘆くねん。妄想もいい加減にしろ。
それに史記の価値は測り知れない。武帝批判にせよ直言のたぐいであり、誹謗とは言えないだろうに。更に言えば王允は忠義の徒。誹謗を恐れて蔡邕を殺すはずなどない。謝承の言葉こそ道理のまるで通らない誹謗中傷だろうが!
ほんとこの人謝承さんのこと好きね、懇切丁寧に……。
○解説:帳慢様
裴松之は史記の価値を認め、王允の「謗書」呼ばわりは不適当だと評しているけれど
「司馬遷の書は、彼自身の思想をなしている。刑をうけてしまったから、微文刺譏し、当世を毀損した。正しい人物ではない」
という内容の詔があったことが記されています。
王允が史記を「謗書」呼ばわりしたこと自体は実は当時の通底した認識だったのかもしれません。
『蔡中郎集』には蔡邕が董卓政権のもと、
「
蔡邕は董卓の信任を利用して「ぼくの考えた最強の漢王朝」を実現させようとしていたわけで、王允の董卓謀殺はこの理想のジャマをした格好です。
そんな理想にトガりまくってた蔡邕に歴史を書かせたら何を言われるわかったもんじゃないですし、「足切りの刑にして歴史を書かせる」なんてのは司馬遷ポイントがさらに貯まるのでもってのほかでしょうな……。
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