第123話 食いちぎる
槍の刃先を構える金属鎧の戦士。相当に重い篭手を付けているのだが、その腕はぶれることが無い。まっすぐに刃は湖に向けられる。
湖の上には赤い女。赤い巻き毛を揺らし、その下からルビーの様な瞳がこちらを見つめる。
美しい。顔の造形だけ見れば美女と呼んで差し支えない。胸は大きくドレスの前面を押し上げ、腰は締まり、長く伸びた白い足がスカートから覗く。
だが。
見惚れるには……身にまとう雰囲気がが恐ろしすぎた。
水上に浮いているだけでは無い。昏い湖に女一人でいるというのに、怖れる様子もない。唇は三日月の様に吊り上がり、牙のように鋭い犬歯が見えていた。
ロンガスの配下の男はつい声を出す。出さずにはいられなかった。
「お、女、降参しろ。
これでもロンガス様は歴戦の勇士だぞ。
お前の敵う相手ではない」
本当は男はロンガスの実力をそれほど知らない。最近徴兵され、同じ班に回された結果付き人の様になっただけ。ではあるが、屈強のロンガス、と言えば他の兵士は知っていたし。持つ
戦で手柄をあげ、貴族から贈られたと聞いた。ならば相当な実力の持ち主の筈。
女がどんな相手であっても……勝てる…………勝てる筈だ。
男の言葉を聞いてロンガス様がニヤリと笑ったような気がする。
「ぐきゃきゃきゃきゃ。
人間か、ワレが寝ているウチにスリーブドナードを好きに歩き回ったようダナ。
小賢しいことにワレのテリトリーは避け、湖に近づいてこない。
来たら八つ裂きにしてクレル、と思っていたのにナァ」
その言葉を発したのは水上に立つ女だった。
男の言葉をまるで聞いていない。自ら話す言葉も、男に向けられていない。ほとんど独り言のように言っている。
ギャギャァとけたたましい癇に障る声が聞こえる。いつの間にか上空には黒い鳥が群れていた。
「ロ、ロンガス様、
「バカモノ!
この女から目を離すな。
おそらくこの女に比べれば、
気にすべきはこの女だけと思え」
「そうカ、仲間を殺されて悔しいノカ。
ぎゃはぁ。
安心するがよい。
殺された魔物どもよ。この山に巣くっていた多数の
オヌシらの黒い
ほとんどあまさずこの身に吸収した。
オノレらはこのワレとともに生きるのだ」
男の目に一瞬黒い霞が見えた。赤い女の体から黒い霧の様なものが湧き出る。そんな風に見えてしまった。
男が目をこすり、再度見るとその霧は消えていたが…………
ロンガス様が「むっ!」と口からこぼした。とするとただの見間違いではあるまい。
「だがなァアアアア!
湯気を立てる臓物がカラダからずぶずぶと流れ出るのをこの爪で感じたいではナイカ!
グギャハハハハッハギャァ!
そう思っていたら、人間がヤッテキタゾ!
ワレの想いに応え、首を差し出しにヤッテクルとは!
ギャハァッ、褒めてツカワスぞ!!!」
男はへたりこんでいた。女の言葉も恐ろしい。それ以上にその肉体から放出されたモノ。鬼気。
それだけで立っていられなかった。
「ぐはっ!
おのれおのれ、自分がこんなことで…………
女、おんなぁああっ
ロンガス様はキサマなどに怯えはせん」
ロンガス様、すげぇ。一瞬で自分は腰が抜けて、しょんべんさえ漏らしそうになっている。なのに、この人はあの女の鬼気に抗っている。
この人ならば…………あの怪しい女にも負けない。
「食らえぇえええええっ」
ロンガスが槍を構えたまま、突っ込んでいく。湖の上に立つ女に槍を届かせるには岸辺では足りない。
水の中に鉄の脛当てで踏み入れ、全身で気合と共に槍を突き出す。
槍の刃先が女を捉えた。その肉体を鉄の刃が切り裂く。男はそう思ったし、一瞬やったと完全に思った。
勘違いでしかなかった。
「ぐきゃきゃきゃきゃ。
鉄か!
全ての母を捕らえた忌まわしき物体。ヒトがこの様な物を操るとは…………」
刃を女の手が受け止めていた。白い掌。鉄の刃を受け止められる筈も無い。
なのに。
ロンガス様の槍はピタリと止まっていて。
「なっ?!
うっ、ぐぅうううっ!」
白い手を振りほどこうとロンガス様は槍を左右に振っている様子なのに、ピタリと止まり微動だにしない。
「……あってはナラヌことだぁああああああっ!!!!」
女が叫ぶ。と同時に鉄の刃先が千切れ飛んでいた。女が手のひらを握り、刃を握りしめたのだ。
在り得ない現象であった。人間の女性がどう手で扱おうとも金属の刃を砕くことは不可能。
だが、男の脳にはもはやそんな思考をする力は残されていなかった。
ただ、目の前の光景を見つめる。
砕けた槍を見つめ、呆けたようになっているロンガス様に女が近づく。
口が開いた。女の口が信じられないほど大きく開き、ロンガス様の首元に嚙みついていた。
「がっ、あがぐがぁ、ぎいいひゅいいいいい」
ロンガス様から悲鳴の様な音が漏れる。首を塞がれているせいか、その音はただの風の音のようになった。
「ぎゃひいいい。
ナカナカ鍛えた体をしているな。
硬い筋肉は噛み応えがあってわらわは大好きだ。
ぎゃはぁっ!
くくくくく、姉妹たちよ。
そちらの男はそなたたちが食ろうても良いぞ」
そちらの男とは誰のことか……男の脳は痺れたようになっており、すでに判断が出来ない。
ひょっとして…………自分のことを指している……その結論に至る前に。
黒い鳥が男に群がっていた。
「やめろ、やめて。
ひいぃいいいいっ。
がはっ…………」
助けを呼ぼうにも口の中に黒い鴉が入ってくる。喉の肉を引き裂かれた感触。振り払おうと上げた手を
俺の腕が、右腕が裂かれた。胴体と切り離された腕が……細かく刻まれ無数の鴉の口の中へと納まっていく。
やめてくれ! こんな光景は見たくない!
その願いは叶えられた。男の目玉が鴉の爪で引き裂かれていた。
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