第25話

 年が明けて、祖母がインドに帰ることになった。家族の会話の中で、そろそろ祖母もウチに落ち着いたらどうかというような話も出た。しかし。

「旅先で死ぬというのがけっこうかっこいいでしょ? 客死というの? それを目指してるのよ」

 祖母が笑った。元々ブラックジョークが好きな祖母。時々、家族がドッキリするような事を言う。ファンシーと正反対の要素のようでいて、祖母にはブラックな顔も良く似合う。

「誰が遺体を取りに行くのよ。私はもうインド行かないわよ」

 姉は元々ブラックというかクールな性格である。残酷さは実は祖母譲りだったりするのか。

「例えば今なら、ブッダガヤーでお葬式をしてもらうようにちゃんと手配してあるの。この歳になるとね、いつ何があるか分からないでしょう? 現地の名士の方にお金も預けてあるの。お祭りみたいなお葬式になるわよ。真理子さん、その時はきっといらしてね」

 祖母が真理子の手を取って言った。

「インドで葬式? マジですか。というか実際可能なの?」

 驚いて私は言った。

「可能可能。大マジよ。別に仏教にこだわっているわけじゃないけれど、何にもしないと逆に迷惑をかける人が多いのよ。ただ、あくまで予定よ。まだ何も分からないわ」

 祖母が言った。

「おばあさまはきっと長生きされます。私とたくさん旅行をします。楽しく遊びます」

 強い眼差しで真理子が言った。

「そうね。真理子さんのおかげでこの世にだいぶ未練ができてしまったわ。そんな気持ちになった途端、突然コロッと行ってしまったりしてね?」

 祖母が笑った。それを見て真理子が心配そうな顔をする。

「真理子、ばあちゃんに優しい言葉をかけるとブラックジョークで返ってくるのよ。照れ隠しなの。だから安心して」

 私は言った。

「あら、言うわね佐奈ちゃん。でもホントね、ごめんなさい。変な事を言って」

 祖母が困った顔で笑った。最悪な状況も常に頭に入っている。祖母は抜かりが無い。そんな祖母の性質を過剰に受け継いで、私は悲観的な性格になっているような気もする。一番損な物を受け継いでしまったような……。

 祖母は旅立つ時、家族の見送りを必ず断ってきた。ほんの近所に散歩に出かけるみたいに「行って来ます」と言って、いつも旅に出る。しかし今回は真理子がそれを許さなかった。絶対にお見送りに行きたいと粘る。祖母がなんとか説き伏せようとしても、ワガママ真理子の本領が発揮されて誰にも止められない状態になってしまった。それを見て結局最後に祖母が折れた。

「私に本気で逆らう人が出てくるとは。今までウチにはいなかったタイプね。それが真理子さんというのが面白いわね」

 本当に楽しそうに祖母が言った。真理子は願いが聞き届けられてニコニコしている。真理子スゲー。

「ばあちゃん、真理子は相当強いわよ。ある意味ばあちゃんの跡継ぎかもね。今のところ誰も真理子を止められないから。そうね、こっちでどうしても真理子をもてあましたら、インドへ郵送するから。よろしく」

 姉は笑って言ったが半分マジな感じだ。真理子は目の前でいろいろ凄い事を言われているのに、自分に不利な情報は耳に入ってこないご様子。とにかく自分の希望が通ったということでお嬢様は満足されているようだ。マジで強い。

 成田まで我々を送り届ける為、当然のようにまた桐原家から車が来る。運転手はもちろん片山さんだ。非常に便利である。ウチにも一応車はあるが、めちゃくちゃボロい上にあまり荷物が載らない。さらに祖父と兄しか免許を持っていない。祖父はもう何年も運転してない。私も何かの時に利用させてもらおうと思う。逆玉の恩恵。

 てっきり祖母と真理子だけで空港に行くのだと思っていたのだが、なぜか私も付き添いで行くことになってしまった。現状真理子の監督ができるのは兄と姉、そして私だけ。私以外は多忙ときている。消去法で自動的に決まってしまった。ヒドイ。

 しかし桐原家の車は快適だ。ウチのボロ車とは大違い。空中に浮いてるみたいにスイスイ道を進む。成田に向かう道は割と景色もよく、私もだんだん気分が良くなってきた。一方真理子はだんだんとしんみりしてきている。祖母がいなくなると言う事が、直接ダメージになっているのだろう。本当に我が家にはいなかったタイプだ。

「真理子さん……またインドへ遊びにいらして? 待ってるから。そんなに悲しそうな顔をされたら私、心配で飛行機に乗れないわ。ねぇ?」

 祖母が必死で真理子を慰める。しかしこうなってしまった真理子を立て直すのは非常に難しい。

「じゃあさ真理子。また今年の夏とかに、ばあちゃんに会いに行けば? 兄さんと二人で旅行するのもいいじゃない? そう決めてしまえば心も晴れるでしょう」

 見かねて、つい私は提案してしまった。あまりにも真理子が悲しそうにしていたから。

「本当に? おばあさまに会いに行ってもいいですか? 健一さんと? 二人で?」

 真理子の顔がパッと明るくなった。その瞬間、私はしまったと思った。適当に言ったつもりだったが、真理子はそうは受け取らない。罠にはまってしまったようなものだ。

「えーと……。まあ、兄さんとも相談してね。店の都合もあるし」

 私はモゴモゴと言った。

「嬉しい! おばあさま、私すぐに会いに行きますからね?」

 なんともかわいらしい笑顔で真理子が微笑む。この笑顔、誰にも止められない。祖母も真理子の顔を見てうっとりとしている。

「本当に楽しみねぇ。飛行機落ちないといいけど……」

 祖母がまた変な事を言う。喜びの裏返しだ。本来祖母のブラックは滅多に出ないんだけど、真理子の前だと勢いに押されてしまうらしい。

「インドでおばあさまをピックアップして、そのあとヨーロッパを旅行するのもいいわ。おばあさま、パリのディズニーリゾートへ行かれたことありまして?」

 真理子が話を飛躍させる。私は車の窓に額を押し付けて眠ったフリをする。頭痛くなってきたぞ。

「パリ! 真理子さんと? いいわねぇ。最高。楽しみねぇ」

 祖母が乗っかった。もう知らない。私に責任は無い。誰も私を責められないはず。この二人には誰も勝てない。車の前のミラーを見たら片山さんと目が合った。私のしょぼくれた顔を見て、片山さんが目だけで笑っている。


 空港に着いた。片山さんが例によって荷物を運んでくれる。祖母自身の荷物は大して多くないのだが、インドにいる人へのおみやげがけっこうあるのだ。現地のインド人向けはもちろんのこと、お友達の日本人、外人、その他もろもろ。ブッダガヤー及びインドでは調達できる物資が非常に限られている。祖母が日本に里帰りするついでに、いろいろ頼まれてしまったらしい。その為の大規模な買出しにも私は付き合わされて、さんざんこき使われた。まあいいんだけど。

 出国ゲートの前で祖母と真理子がヒシと抱き合う。こんな親密な抱擁を私はいまだかつて見た事が無い。心と心を通わせるように、二人とも気合を入れて抱きしめあっている。

「おばあさま……真理子悲しい……」

 ボロボロと真理子が涙をこぼしている。なんて熱い……。別れってそんなに悲しいものだったのか。不覚にも私も引きずられて涙が出てきてしまった。

「真理子さん……。あなたは私に新しい命を吹き込んでくれたわ。ありがとう。本当にお別れが悲しい。だから約束するわ。次にあなたに会うまで私は、絶対に元気でいる。私自身の為に」

 祖母が珍しく涙をこぼしながら、しかし毅然として言った。

「心配いらないと思うけど元気でね」

 私も真理子にならって祖母と抱き合った。少し気恥ずかしいが悪くないものだと思った。祖母が私の顔を見て言う。

「佐奈ちゃん。今回はいろいろ大変だったわね。本当にご苦労様。家族の為に、あなたは縁の下の力持ちよ。これからも心配をかけてしまうけれど、無理をしないようにね。これ、少ないけどご褒美。加奈ちゃんにも渡してあるから、これはあなただけの分」

 笑顔の祖母から封筒を貰った。か、金か? やったー。ここで素直に喜んだ顔を出さない所が私のひねくれた所だ。

「本当なら私も家にいて、おばあちゃんとしての役割を果たさなければならないんだけど。ダメなのよ。旅人というか遊び人だから。その分お父さんには言い聞かせて置いたから。当分は大丈夫のはずよ」

じゃあね、と言って祖母が出国ゲートに入っていった。真理子が柵から身を乗り出して必死に手を振っている。

「……行っちゃったね」

 私は言った。

「でもまたすぐに会えます。真理子はもう悲しくありません」

 そう言いながら嗚咽を上げながらまだ泣いている真理子。なんて心がきれいなんでしょう。一方私は祖母に貰った封筒の中身が気になって仕方ない。なんて心が貧しいんだろう。

 とりあえずトイレに行って、封筒の中身を確認したら二十万円も入っていた。思いっきりガッツポーズしてしまう。今までの苦労が報われた……金の力で……。ばあちゃんも私の喜ぶポイントをよくわかってくれているなあ。おかげでこの先にまた苦労があるとしても、当分は耐えられそうな気がする。

「なんだか佐奈ちゃん、清々しいお顔」

 トイレを出た後で、真っ赤に目を泣きはらした真理子に指摘される。マズイ、顔に出ていたか。このシチュエーションでまさか二十万貰ったからと言う訳にもいかない。私は大きく息を吸い込んだ。

「真理子がね、ばあちゃんと仲良くなってくれてとても嬉しいのよ。ばあちゃん、真理子のおかげで確実に寿命が延びたと思うよ。やりたい事がたくさん増えたって言ってた。ウチの家族って割とクールだから、信頼関係はあっても中々それを確かめる機会がないのよね。でも真理子が家族になってくれたおかげで、とても調和が取れてきた気がする。ありがとうね、真理子」

 口から出まかせで名ゼリフが出るのは私の悪い癖だ。真理子がまたボロボロと涙を流して私に抱きついてきた。ワー後ろめたい。片山さんが後ろでしんみりしているのがまた超後ろめたい。

「嬉しい。佐奈ちゃん、わたしこそ本当にありがとう。これからもよろしくお願いします」

 泣きながら私の顔を見上げる真理子。その笑顔がまたとんでもなく美しいのだ。守ってあげたい。守らなくてもこの人は、またワガママを押し通してガンガン進んでいくのは分かっているけれど。

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