第24話

 祖母と母、そして兄が顔を見せる。その後ろから片山さんが山のように荷物を抱えて付いてきた。

「片山さんにお飲み物をお出しして」

 祖母が姉に向かって言った。

「疲れたでしょう、ばあちゃん」

 片山さんの荷物降ろしを手伝いながら、私は祖母に向かって言った。

「疲れる暇も無いほど楽しかったわ。もう最高。まるで夢のようでした。みんなありがとうね。あなた、本当に申し訳ありません」

 祖母がカウンターの中にいる祖父に向かって頭を下げた。祖父が小さく笑った。

「片山さんお座りください。コーヒーを一杯いかがですか」

 祖父が言いながら、すでにコーヒーを作る準備をしている。

「これはすみません、頂きます」

 片山さんが恐縮しながらカウンターの席についた。

「真理子と類子は先に帰ったの?」

 私は訊いた。

「うん。他のみんなは疲れ果てちゃって。ばあちゃんが一番元気だよ。真理子さんも類子さんも帰りの車で熟睡してた」

 兄が笑って答えた。

「はいコーヒー。じいちゃん特製ブレンド」

 姉が、みんなの前にコーヒーカップを置いていく。

「ああこれはうまい。さすがですね」

 片山さんが頷きながら言った。

「そういえば片山さん、お客として店に来たの初めてじゃない? つれないわよねえ」

 姉が言った。

「ハハ。お邪魔したいのは山々なのですが、真理子さんに給仕されるわけには参りませんので。いつも頂いているコーヒー豆を大事に使っております。しかしプロの味は違いますね」

 じっくり味わうようにして、片山さんがコーヒーを飲み干した。そしてみんなの制止を振り切って、あっという間に店を出て行ってしまった。

「さすが。見事な去り際」

 姉が言った。

「急に疲れてきたわ。私もようやく電池切れ。ごめんなさい、先に休ませてもらうわね」

 祖母がそう言って自分の部屋に引き上げて行った。半分以上眠っていた母も、祖母につきそうようにしてフラフラと階段を上って行く。その流れで父も勝手に自分の部屋に戻って行った。さすが。逃げるタイミングが絶妙だ。

 聞きたい話は一杯あるけれど、それはまた明日という事になった。兄が閉店の仕事と、明日の準備にさっそく取り掛かると言う。

「兄さんこそ疲れてるでしょう。いいよ、今日は私たちがやるから」

 私は言った。

「ありがとう。いやね、ディズニーの食事ですごい味があってさ。飲み物とかにも面白い工夫がしてあって。ちょっと試したい事があるんだ。味を忘れないうちに確認しておきたくて」

 兄が言った。もう仕事モードになっている。私は姉と目を見合わせて笑った。これでお役御免だ。私もさっさと自分の部屋に引き上げることにした。


 ベッドの上でぼんやりする。この三日間本当に良く働いた。昔のカンを取り戻した後は、意外に楽しく過ごせた。これからも、もう少し手伝おうかな。まあまたこういう機会もあるだろう。感慨にふけっていたら携帯が鳴った。画面を見たら真理子からだ。

「もしもし真理子?」

「佐奈ちゃん……」

 真理子が小声で話す。

「疲れてるでしょう? 眠くないの?」

 このタイミングで真理子が電話をかけてくるとは。爆睡タイムのはずなのに。

「あの。眠い事は眠いです。でも、佐奈ちゃんに、訊いて欲しい事があって」

 真理子がたどたどしく言う。

「何? なにかあったの?」

「うん……。あの、ありがとうございます。あの……みんなのおかげ。真理子は幸せです」

 眠気と、感動が入り混じったような変なテンションで真理子が話す。まるで酔っ払いみたいな感じ。

「なんだ。いいのよお礼なんて。楽しめたみたいね」

 私は笑った。

「あの……言いたかったのはお礼もあるけど、その……」

 真理子がモジモジしている。

「何? 細かい事はまたあした学校で聞くわよ」

 私は言った。

「学校じゃダメなの! あのね……健一さんが真理子に、とてもやさしくしてくれました……」

 おおお! そ、それは。

「うんうん。それでそれで?」

 私もいきなりテンションが上がる。

「健一さんが真理子に……やさしくして……くれました」

 なんだろう。ただこれだけのセリフがものすごいエロいぞ。私も急に顔が熱くなってきた。

「よかったね真理子。それは兄さんが、真理子の事を本当に好きだからだよ? それで今……どんな気持ち?」

 私は自分の心を落ち着かせながら言った。 

「そんなコト言えません!」

 嬉しそうな真理子の悲鳴に似たような声が聞こえて、突然携帯が切られてしまった。おい……。盛り上がりかけた私のテンションをどうしてくれる! ものすごい置いてきぼりを食った感じだ。怒りにも似た感情が心の底からわきあがる。携帯を持っている私の右腕はブルブルと震えた。左手で右腕をグッと抑えつける。どこにも逃しようの無いこのモヤモヤ感。ま、真理子……。私を殺す気か!


 真理子が変わった。学校では今までと全く同じ、ワガママでかわいい真理子だ。私は部活を終えて、ちょうど夕食タイムに店に戻った。エプロンをつけ、いつものように真理子が店で働いている。何かが違う。

 姉と私の目論見通り、父が遊び半分だけど店の手伝いをしている。父に習って母も遊び半分で働いている。父は働いていても、みんなの邪魔になるぐらいのレベルだが、母は十分戦力になる。私たちがインド旅行をしていた間、なんとか店がもっていたのは実は母のおかげだ。お嬢様出身だが、一旦ヤルと決めたらしっかりとやるタイプ。そこらへんは真理子と非常に似ている。

 そんなわけで店の手は十分足りていた。しかし私は真理子の変化を見極めたいと思い、夜の後半部分だけ店を手伝う事にした。

 何が特に変わったという事はない。これは私の思い込みが大きいかもしれない。でもやっぱり違う。雰囲気が変わった。

 真理子が安心しているように見える。そして兄も、いつも以上に落ち着いている。二人の安定感が以前よりずっと増した。モジモジ成分が減って、その分ラブラブ成分は上乗せされた感じ。恋愛が次のステージに移行したのだろうか。何の経験も無いくせに詳細な分析をしている私がむなしい。しかし、分析は必ずしも経験を必要としない。想像力とフィーリングが重要。これは数少ない私の得意分野だ。

 祖母が店内で常連さん達と旧交を温めている。私はそばに行ってそっと話しかけた。

「働いてる真理子の姿、どう?」

「予想以上にサマになってるわね。健ちゃんとの呼吸もピッタリで。愛のある夫婦ねぇ。その事が、お店の雰囲気をとても良くしているみたい。正直驚いたわ」

 祖母が目を細めて言った。

「ばあちゃん。ここまで持ってくるのは大変だったのですよ? 主に姉さんと私。そしてじいちゃんも。兄さんと真理子の距離を縮めようと必死でがんばりました。そして、予想以上の成果が出たんだけど。婚約まで発展しちゃったのはやっぱり兄さんの実力だよね。けっこう疲れました。でもその甲斐はあったよ」

 私は涙ながらに語った。

「本当にご苦労様です。アレでしょ? 私がインドから帰国するまでに、結果を出そうと思ってがんばってくれたんでしょう?」

 祖母が微笑んだ。

「その通りでございます。私はそれほどでもなかったけど、姉さんがスパイみたいに動き回ってさ。私も片棒担がされたけど、まさか夫婦になるとはねぇ……」

 くるくる動き回って働く真理子を見詰めて私は言った。母と真理子がにこやかにティーカップを受け渡したりしている。あれが親子になるのか。ファンシー親子。

「お父さんまで働いちゃって。にぎやかね」

 祖母が言った。

「父さんのヤル気はいつまで続くかわからないけどね。ばあちゃんからもプレッシャーかけておいてよ。私来年受験だし、姉さんはもっと大学が忙しくなるみたいだし。父さんと母さんを、なんとか店に縛り付けておきたいのよ。真理子の存在もうまく使ってさ」

 私は祖母の耳にささやいた。 

「わかったわ。任せて。加奈ちゃんと佐奈ちゃんががんばった分、ちゃんと私がフィードバックするわ。期待していて」

 祖母が笑ってウィンクした。これは期待できる。祖母は私以上に父の操縦法を心得ている。心得ていながら全く操縦しないので、父は遊び放題になっていたのだが。

 祖母が本気を出したら父はひとたまりもないはず。少し離れた所でお客さんの相手をして、馬鹿笑いをしている父が少しかわいそうに見えてきた。しかし、今度ばかりは少し働いてもらわなければ。

「どうしたの佐奈ちゃん。何か面白いことあって?」

 いきなり後ろから真理子に声をかけられた。いつの間に。

「いや、店が活気付いてるねってばあちゃんと話してた所。どう真理子? 父さんと母さんと上手くやれそう?」

 私は訊いた。

「ええ。お父様ともお話したんですけれど、ウチの店をディズニーみたいに楽しい所にしましょうって。お母様も賛成されました。真理子もがんばります」

 鼻息荒いぞ。真理子ががんばりすぎるとちょっと怖いけど。まあ水を差さないほうがいいだろう。それと真理子が「ウチの店」と言ったのが印象的だった。

「それでさ……真理子。この前の電話の続きなんだけど……」

 私は真理子を店の端っこに引き寄せて、小声で訊いた。

「なになに? 電話? なにかありました?」

 こいつ……忘れてやがる。

「電話で! ほら、健一さんがやさしくしてくれたってやつよ」

 私が言うと、急に真理子の耳が真っ赤になった。

「知りません!」

 思いっきり私は肩を殴られた。超痛い。そして幾分スキップ気味に真理子が業務に戻って行った。ダメか。少しだけでも聞きたいんだけどなあ。真理子に今度、酒でも飲ませてみようか……。

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