第20話
真理子の誕生日パーティ当日。午後三時過ぎ。兄がまだ支度もせずに夜の分の仕込みをしている。姉はもう準備を終えて、カウンターでコーヒーを飲みながらくつろいでいる。化粧をバッチリして服装も派手だ。足を組んでコーヒーを飲んでいる姿は、どう見てもカタギじゃない。
「兄さんもういいから。そろそろ行かないと」
私は兄の背中を小突いて言った。兄が時計に視線を走らす。
「ほんとだ。すぐ準備してくる」
慌てて兄が自分の部屋に引っ込んで行った。
「まったく。主賓の自覚が無いわね……」
姉が偉そうに頬杖付いて言う。
「ちょっと派手すぎない? ケバケバしいよ」
私は姉を全体的に見て言った。
「私が着飾ると自然にケバケバしくなるのよ。悪かったわね。あんただってほとんど同じようになるわよ。サイズ同じでしょ。顔も外人みたいだし」
姉に言われたくない。
「兄さんスーツ持ってたっけ?」
私は言った。
「自分のは無いけど、父さんのがたくさんあるでしょ。ブランド好きだし。健ちゃんと対照的」
姉が言った。父はオシャレだ。母の服も自分で選ぶくらい服装に気を使う。もっと別のことに気をつかえればいいのに。
「お待たせ」
少しして、兄が奥から出てきた。ツルツル光る青いスーツに、背の高い帽子。妖しい手品師みたいな格好になっている。
「センスは悪くないわよ。アートとしては評価できるわ」
姉が大笑いして言った。
「……おかしいかな。正式なパーティっていうから、フォーマルな感じをイメージしたんだけど……」
兄が少し恥かしそうにして言った。私は姉の肩をつっつく。
「むむ。いや、よく見てみたらこれも面白いか。このまま行って見よう」
姉が立ち上がって言った。確かにもう着替えている時間も無い。ド派手な姉に珍妙な兄。二人並ぶとかなり迫力がある。子供受けはよさそうだ。
「かっこいいわよ兄さん。がんばってね」
私は言った。何をがんばるのか、いまいち不明だけれど。
「うん。がんばってくるよ」
兄が笑顔でさわやかに答えた。がんばっちゃうんだな……。私は祈るような気持ちになる。
パーティは一流ホテルの宴会場で開かれる。お酒も飲むだろうということで、二人は電車で出かけることになった。この格好で商店街を歩いて、バスや電車に乗るのか。今回は私、留守番でよかったかも。二人の背中を見送りながら、私はだんだん落ち着かない気持ちになって来た。どうかみんなの幸せの為に、上手く行きますように。
日曜日なのにその日は店が混んで、祖父と私は予定通り大忙しになった。体はキツイけれど私にはこの方がよい。下手に余裕があると、兄や真理子の心配で頭がいっぱいになってしまいそうだ。考えるヒマも無く忙しいのはむしろありがたかった。
忙しい日というのは徹底的に忙しい。人員が足りない時に限って客が多く来る。印象だけじゃないと思う。狙ったようにめんどくさい客がやってくる。むしろこちらがパーティタイム。祖父は厨房で、私は給仕に踊る。足を止める暇も無く、楽しい? 時間は過ぎていく。いや、実際に忙しすぎると本当に楽しい感じになってくるのだ。ランナーズハイみたいな奴だ。
閉店間際に酔っ払いの客までやってきた。パーティを終わらせたくないのだろう。私はもう疲れてノリノリなので、必要以上に丁寧にご案内する。いきなりお水のお代わりを注文されるが、にこやかにコップに注いであげる。普段ならムスッとして「コーヒー頼めよ」と陰で愚痴るところだが。
九時半を過ぎても酔っ払いたちは粘っているので、カウンターに祖父を座らせて私はお皿を洗う。なかなか充実した一日だった。
「今日は大変だったね。佐奈ちゃん、がんばってくれたね」
珍しく祖父が慰労の言葉を私にかけてくれた。祖父は厳しいというわけではないが、かなり無口な人だ。むやみに嬉しい。
「忙しくてよかったよ。心配の種が多いから」
私は笑った。
「加奈ちゃんが上手くやってくれるさ。健一も、覚悟を決めたようだし」
そう言って祖父が、自分のカップにコーヒーを注いだ。
「え、何? 覚悟って」
「それは……結果が出てからのお楽しみだ」
祖父が笑った。
「じいちゃんまで姉さんに乗せられてるんでしょう。怖いなあ。一か八かみたいなのはイヤだよ?」
私はため息をついた。
十時ぐらいになってようやく酔客が帰って行った。私が終始丁寧に応対したので、チップまで貰ってしまった。ここは喫茶店だ。もちろん私は遠慮したのだが、祖父が「貰っとけ」と目で合図したので貰っておいた。五千円。スーパー嬉しい。
後片付けも終わって、居間で祖父とテレビを見ている。私はテレビを見ているけど見ていない。もう気が気じゃない。姉はメール一つよこさない。パーティはとっくに終わっていると思うのだが。
「ただいまぁ」
勝手口から姉が、酔っ払った顔を覗かせた。姉を支えるようにして、兄も一緒に入ってきた。兄はニコニコしている。とりあえず悲劇的な事は起きなかったのだな。安心した。
「なんでそんなに酔っ払ってるのよ……」
私は兄の手から、酒臭い姉の体を引き受けた。かなり酔っている。押し込むように椅子に座らせた。
「飲まないとやってられないわよ。まったく」
姉がだらしなく笑う。
「何かあったの?」
私はドキドキして訊く。
「あったわよ。健ちゃんは婚約しました!」
えっ。
「誰と?」
「真理子に決まってるじゃない」
「えぇー!」
確かに私は、兄がプラチナの指輪を買った時点で、その可能性を少しだけ想像した。しかし、あくまでもほんの少しだけだ。万が一のレベルの話だ。
「あれ? 佐奈は分かってたのではなくて?」
兄が笑いながら、意外という表情をする。
「そんな……。知らないわよ。えー? 婚約? 兄さん、真理子と結婚するの?」
駄目押しで訊いてしまう。婚約だから、その先にあるのは結婚だ。そんなこと分かってるけど。
「あちらのご両親とも話がまとまっていたから……。そうだな、よく考えると婚約というのは早すぎる感じもするな。加奈に上手く乗せられたか」
兄が少し真顔になって言った。
「ざまあみろよ」
姉が得意げに言う。
「ちょっと説明しなさいよ!」
私は姉をゆさぶって言った。姉の頭がぐらんぐらんに揺れる。
「うっ。気持ち悪い」
姉がトイレに駆け込んだ。……私は悪くない。
「兄さん本気よね? 姉さんに乗せられたって、そういう話じゃないでしょう?」
私は言った。
「いや、ゴメン。もちろん本気だよ。乗せられたというのは……でも半分ホントなんだ。加奈がかなりお膳立てをしてくれていて。片山さんや、あちらのご両親にも話が通っていたんだ。それで……うん、当たり前のようにプロポーズしてしまった。でもそれは僕の意志だよ。間違いなく」
自分自身に確かめるように、兄が頷きながら言った。
「ノリでプロポーズしたの?」
私は心配になって訊いた。
「いや、プレゼントを買う時に、もう婚約の話は加奈としていたんだ。よく考えろと言われてね。だから僕も、ハッキリさせた方がいいと思って決めたんだ。てっきり佐奈は知っているものだと思ってたんだけどね。むしろ、佐奈が発案したような事を、加奈が言ってたような……」
兄が困ったような顔で言う。また姉が勝手な事を。
「それで、兄さんは真理子をお嫁さんにするのね?」
何度も確認してしまう。
「うん。そうだよ」
「兄さんは、真理子のことが好きなのね?」
馬鹿な質問だと分かりながらも、訊いてしまう。
「もちろん。……大好きだよ」
はじけるような笑顔で、さわやかに兄が答えた。
「うわぁーもう何よ。みんなちょっとおかしいんじゃない? ええ? 真理子と結婚? まさか冗談じゃないよね?」
ジタバタしたい気分だ。
「健一、おめでとう」
祖父が兄に声をかける。
「じいちゃんもヒドイよ……。教えてくれないんだもん……」
私はなぜだか涙が溢れてくる。祖父が私の肩に手をかけて言った。
「佐奈は心配性だから、知らせないほうがいいと加奈が言ってね。健一がプロポーズする事も、完全に決まっていた訳ではなかったんだよ」
「その通り……」
トイレからゾンビのように姉が這い出してきた。口元にゲロが付いている。どうみてもカタギじゃない。
「大丈夫かよ」
私は言った。
「大丈夫よ」
そう言って姉が、すがりつくようにして椅子に座った。兄に命じてお茶を出させている。偉そうだな……。姉にお茶を出して、兄は着替えの為一旦自分の部屋に戻って行った。姉がお茶をグイッと飲みほす。
「いやー。ここまで上手く行くとは。我ながら驚いたわ」
姉が言った。
「でも段取りを組んだのは姉さんなんでしょう?」
「まあね。やる事はやったわよ。後は健ちゃん次第だったんだけど、ちゃんとプロポーズする勇気なんて無いと思ってたんだけどねー。私としては、ばあちゃんが年末に帰って来る前に一山作れればな、という気持ちだったわけ。それがどうよ? いつものように健ちゃんが予想の斜め上を行ったわ。誕生会で『僕と結婚してくれますか?』だもんね。飲まなきゃやってられないわよ」
姉が息巻く。
「それで……真理子は?」
「にっこり笑って『ハイ』って言ったわ。あの子、婚約の意味が分かってるのかしらね。どうも怪しいわね」
無責任な事を姉が言う。
「つっぱしる真理子と、ノッてる兄さんならそのまま行っちゃいそうだけど……。こうなってみるとわりと必然だったのかな……」
私は思いを巡らせる。
「ほらまた。あんたは考えすぎなのよ。婚約って言ったって、まだデートもしてないのよ? 結局結婚しないかもしれないし。あの二人に関しては周囲が考えても無駄よ無駄。予測が付かないんだから。まあ確かに? 私が根回ししたのもよけいなおせっかいだったかもね。でもアレよ。片山さんも妙に乗り気だったし。あちらのご両親も、片山さんにだいぶ吹き込まれてたみたい。だから流れはあったのよ。わたしは間違ってない」
姉が断言した。あっさりしてて羨ましい。私はまだ頭の中がグルグルしている。
「だから考えすぎだって! 何も変わらないわよ。そもそも店に出てる時点で、真理子は健ちゃんの嫁みたいな状態だったじゃない。それに婚約したからっていきなりラブラブにはならないわよ。あの二人は。これからやっと始まるのよ」
姉が冷静に分析する。
「そうだね。一歩前に進んだだけだよね。引き続きみんなで応援しないと」
私は言った。
「そうよ……うっ……気持ち悪い。ダメだ」
姉がまたトイレに駆け込んで行った。その後姿を見て私は笑った。ようやく少し落ち着いてきた。うん。これはいいことだ。誰も不幸になってない。それどころか、ばあちゃんがこの話を聞いたらどんなに喜ぶだろうか!
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