第13話

 ごそごそと音がするので目が覚めてしまった。暗い部屋の中で祖母と真理子が着替えをしている。時計を見るとまだ午前五時。朝の散歩と、お寺に座禅をしに行くのだという。

「真理子大丈夫? こんなに早く起きて」

 私は驚いて言った。遅刻王なのに。

「はい。昨日おばあさまとお約束しましたから」

 はっきりとした口調で真理子が答えた。動きもきびきびしている。どういうことだ。昨日電車で散々眠ったおかげかもしれない。私も疲れは残っていないので一緒に行くことにした。

しかしばあちゃん、孫を差し置いて真理子だけを誘うとは。祖母が嬉しそうに「真理子さん、さあ行きましょう」と言って真理子の手を引いた。約二年ぶりに再会した孫はどうでもいいのか。もう少しかまってくれてもいいのではないか。死んだように眠っている姉を残して、私たちは部屋を出た。

 ホテルのロビーに明かりがついていない。フロントのスタッフが、椅子にもたれかかってうたたねをしている。申し訳ないけれど肩をゆすぶって起こして、玄関のドアを開けてもらった。

 外はまだちょっと暗い。朝の冷たい空気が気持ちいい。一面、草と畑が広がっている。高い建物が無いので遠くまで見渡すことが出来る。ところどころに大きな木が見えるけど、日本の田舎と違って背景に山が無い。少し味気ない気もするけど、なかなか悪くない景色だ。

 メイン通りと思われる道を歩く。通り沿いに各国の仏教寺院が並んでいる。それぞれの国ごとに違ったデザインがあって面白い。タイとかベトナムとかブータンとか。なんだか特徴が出ているなあ。道を歩いているお坊さんの人種や、服装もさまざまだ。

「インドから出発していろんな国で発展した仏教が、ブッダガヤーで感動の再会を果たしてるんだね」

 我ながらいい事を言った。

「そうね」

 それだけかよ! ばあちゃん……もう少しコメントください。祖母は真理子とのおしゃべりに夢中になっている。これから座禅だって言うのに、ディズニーランドの話で盛り上がっている……。

 ちょっとわき道に入ると、前方に懐かしい風景が見えてきた。これはどう見ても日本のお寺だ。寺の前には「印度山日本寺」とでっかい看板がかかっていた。印度山ってなんだろう。ここよ、と言って祖母が門をくぐった。後に付いて真理子と私も中に入る。

 お坊さんでもないだろう普通な感じのインド人が、境内をほうきで掃いている。横を通りかかったら流暢な日本語で「おはようございます」と笑顔で挨拶された。慌てて私も挨拶を返す。

 大きな鐘もあってりっぱなお寺だ。靴を脱いで石の階段を上がり、本堂に入る。日本のお寺とまったく同じ。インド風の要素は特に見当たらない……と言っても仏教がそもそもインド伝来のモノだからな。元祖と本家の違いみたいな? いったい私は何を考えてるんでしょう……。

 正面には大きな仏像が据えてある。すでにけっこう人が集まっていて、畳に正座している。西洋人も正座している。忘れていたけれど、私は正座がかなり苦手だった。柔道部員だが。マズい。

 日本人のお坊さんが出て来て日本語で御挨拶をして下さり、お経を読み始めた。座禅はまだ始まっていないみたいだけど、みんな正座をしている。仕方なく私も正座することにした。

 三十秒後。もう足が痛くなってきた。横を見たら、ばあちゃんはともかく真理子まで涼しい顔で正座している。西洋人も全然平気そうだ。日本人の私が足を崩すわけにはいかない。ノーモア正座。修行の時間が始まってしまった。


「死ぬかと思った……」

 地獄の三十分間。後半は頭の中が真っ白になっていた。足が痺れて、なぜか呼吸まで上手く出来なくなっていた。苦しかった……。終わってもすぐには立ち上がれない。あぐらをかいて、足に血が戻るのを待つ。麻痺した足のこのむず痒い感じ。これがまた辛い。真理子は正座のまま、私の横で座禅のパンフレットを読んでいる。

「真理子すごいジャン。足痛くないの?」

「小学生のときに茶道をならっていたので、正座には慣れています。むしろ眠ってしまわないか心配でした」

 真理子が微笑む。なにかコツでもあるのだろうか。あるに違いない。

「佐奈ちゃんダメねぇ。ほら、外人さんもさっさと帰ったわよ」

 祖母が冷たいことを言う。さらには痺れた私の足に触ろうとしてくるので、私は這いつくばって必死に逃げる。ヤメロ!

 ようやく足の痺れが取れて、外に出たらだいぶ明るくなっていた。町角で営業しているチャイ屋で一杯チャイを頼んだ。おじさんが高い位置からヤカンで器用にグラスに注いでくれる。つらい修行の後だからか、ものすごくおいしく感じる。

 私は思わず日本語で「おいしいですねー」とおじさんに言ってしまった。おじさんが嬉しそうに英語で何か言ってくるけれど、ほとんど分からない。でもなぜか会話が続く。いいね、こういうの。一方祖母と真理子はチャイを飲みながら、まだディズニーランドの話をしている。まあ別にいいけどさ……。

 さっきまで肌寒かったのに、ホテルに戻るころには汗をかいていた。日差しが暑い。部屋に戻ったら姉がエアコンをつけて寝ていた。そうだよね。人生、楽な方がいいよね。朝の座禅とチャイの美しい記憶が、急速に過去のものになっていくのを感じた。

 朝食の席で、兄と片山さんも早朝に散歩をしていたことが判明する。私が座禅をした話をすると、二人とも非常に興味を示していた。祖母によると夕方にもお寺で座禅があるらしい。私と姉を除いた全員で行くことに決まった。

 あれは一度でいい。私が午後の座禅をキャンセルしたのを見て、不参加を決めた姉は非常に賢いと言わざるを得ない。いや、この場合我々は愚か者ということになるのか。

 朝ご飯を食べた後に、全員で世界遺産の仏塔を見に行った。ブッダが悟りを開いたと言われる場所だ。この聖地を中心にしてブッダガヤーの町があり、各国のお寺が建てられている。町の全体を一周しても一時間もかからない。ブッダガヤーは小さな町なのである。

 仏塔の周りは、お土産物屋や食べ物屋でにぎわっている。観光客目当ての店も多いけれど、地元の人でにぎわう市場もあった。道端に並べられた野菜やバナナの彩りが美しい。揚げたお菓子や目玉焼き専門の屋台もある。屋台は都会で見るよりも、なぜか比較的衛生的な気がする。ホント、気がするだけだと思うけど。色々つまみ食いしてしまった。祖母がどんどん買ってくれるので食べざるを得ない。兄と姉、そして真理子もモリモリ食べている。腹は大丈夫か。もはや運頼み、神頼み。いや、この際仏様に祈るのがスジか。

 菩提樹の落ち葉が、トランプのスペードの形をしていてかわいらしい。世界遺産と言っても小さな垂れ幕がかかっているだけで、普通のお寺と大して変わらない。ただ、聖地なので裸足になって中に入らなければならないらしい。入り口で靴を預けた。足の裏に地面の感触を感じながら、仏塔を目指して歩く。

 仏塔の周りで様々な国の人々が、それぞれのやり方で儀式をしている。みんな情熱的だ。

「なんだかフラフラ観光する場所ではないよね。信心深くもないのに」

 私は言った。他の人に悪いような気がした。

「でもさ、わたしらも生粋の仏教徒なわけよ。文化的にも関係深いし。ここにいる資格は十分あると思うよ」

 姉がカッコいいことを言った。でもそのとおりだ。自分たちの文化の源流に来た感じがして、感慨深いものがある。

「ここはヒンドゥーの聖地でもあるんだって。後の時代に取り込まれたらしいんだけど。ヒンドゥー教でも仏陀は聖人の一人になっているみたいだね」

 兄が博識なところを見せる。一方で仏教の勉強をしているはずの祖母は、聖地をほったらかしにして真理子と片山さんの写真をバシバシ撮っている。

「ばあちゃん、少しは解説とかしてよ」

 私は言った。

「わたし、遺跡とかあんまり興味がないのよねぇ」

 真理子に借りたデジカメには興味があるみたいで、撫で回して使っている。

「でも仏教の勉強をしてるんでしょう?」

「そうねぇ。勉強というかね。ここでお坊さんとか、お参りに来た人とお話したり、地域の人と交流することがわたしは楽しいの。もちろん本も読んでいるけれど、学術的に勉強する気はあまり無いわね。佐奈ちゃんにも、ここの雰囲気をただ楽しんでもらえればと思うのよ」

 うーむ。祖母らしいというか。確かにお説教されても私は意味が分からないだろうけど。とはいえ、片山さんに専門的な質問をされて、ばあちゃんは丁寧に答えていたからやっぱり勉強はしているみたいだった。

 聖地を満喫? して外に出たところで、祖母が西洋人の若いグループに声をかけられた。どうやらお友達みたいだ。流暢な英語で会話している。ばあちゃんやっぱりすごいなあ。

「お昼ご飯を一緒にしませんかですって。行きましょうよ」

 祖母が言った。

「イタリアンのお店があるのよ。味は少し独特だけど。真理子さん、ジェラートがあるわよ」

 祖母が真理子にニッコリと笑いかけて言った。

 イタリアン、マジですか。真理子がとても嬉しそうにする。アイスは我慢するんじゃなかったっけ? 兄を見ると「しょうがないね」という顔をしている。


 インド人の作るイタリアン。これが意外においしい。ナンとかチャパティとか、小麦粉の料理に慣れているからだろうか。実際ピザの生地がナンみたいなのだけれど、特に違和感が無い。というか、ピザとナンってすごく似ている感じがする。ふっくらとして、もちもちの食感がなんとも言えずどんどん食べてしまう。真理子は我慢ができなかったようで、デザートを前倒しして食べている。ピザを食べアイスを食べ、そしてスパゲッティを食べ。見てるだけで胃が悪くなりそうだ。

 ご主人のインド人は昔、イタリア人の奥さんと結婚してこの店を始めたらしい。今は離婚していて奥さんとは音信不通。今でも奥さんを愛しているそうだ。わざわざ私たちの前に来て、洗いざらい半生記を話してくれた。この調子だと店に来る客全員に同じ話をしていそうだ。

「逆玉がけっこう多いのよ」

 祖母がご主人を目の前にして遠慮なく言った。

 インド人男性が西洋人の奥さんと結婚して、奥さんのお金で商売を始めるパターンが結構あるらしい。その後、奥さんが現地の生活に耐えられなくなったり、ホームシックになって別れてしまうことが多いという。

 レストランの壁には昔の写真がいっぱい貼ってある。今ではお腹が出てひげモジャのご主人も、昔の写真では恐ろしいほどハンサムだ。インドの街中を歩いていても、立派な顔立ちをした青年が多い。ダルビッシュみたいな男前がたくさんいる。なんだかダルビッシュ氏に失礼な表現だけど。

 張り裂けそうなぐらい食べて、お会計が全員で千ルピー。二千円ぐらい。なんだかとても申し訳ない。祖母が常連なのでおまけしてもらったのかもしれないが、安すぎる。食に関して言うとインドは天国のようだ。ただし、他の部分が割と地獄なので釣り合いが取れている。……私も口が悪くなってきたな。

 でもひどいところは本当にひどいのだ。例えば大量に捨てられている燃えないゴミに、火をつけて燃やしていた。変な色の煙が立ち昇って、ものすごい悪臭を放っていた。近くには畑や水路があって、子供が水浴びをしたり、お洗濯の仕事をしている人がたくさんいた。ゾッとしてしまった。市場ではおいしそうな野菜がたくさん売られていたけれど、汚染されているのかもしれない。さっき市場で私は小さな大根をもらって、水で洗ってそのままかじってしまった。おいしかったけど……。


 午後は祖母がボランティアをしている小学校に向かう。ブッダガヤーから車で三十分ぐらい。小さな村の小学校。祖母はここで週に三回、英語と日本語を教えている。子供達には英語よりも日本語のほうが人気があるらしい。なぜなら、ブッダガヤーには日本人の観光客が多いから。さらに日本人は子供の客引きに弱い。

「みんな日本語を覚えて、日本人からぼったくろうって必死なのよ。ねぇ?」

 祖母がインド人の小学生に向かって話しかける。ボッタクルボッタクル、と小さい子が嬉しそうに話している。ばあちゃん、何を教えているんですか……。

「それじゃあばあちゃん、悪の元締めみたいじゃない。日本人が騙される手助けをしてどうすんのよ」

 私は言った。

「観光客からは少しぼったくるくらいでちょうどいいの。あまり学校に来れない子も多いでしょう。生活に役立つ知識ならみんなのやる気もでるし覚えが早いわ」

 祖母がちっとも悪びれないで言った。

 確かにみんな日本語が上手い。小学校高学年くらいの男の子に「ボールペン ヲ オモチデスカ」と言われて「持ってるよ」と答えたら「ベンキョウ デ ツカウ ノデ イタダケマセンカ」と言われた。敬語と発音があまりにも上手なので、感心してボールペンをその子にあげてしまった。すると周りの子供たちが、私も私もとボールペンをねだって来る。しまった。私も簡単すぎる。これだからみんな日本語を勉強したくなるのだろう。

 真理子がコルカタでのリベンジを果たすべく、色ペンと飴玉を大量に持参してきていた。子供たちに会うということで、真理子は張り切っておしゃれもしてきた。大きなリボンとフリフリレースのドレスに、お金持ちの象徴のような大きな帽子。映画スターが村にやってきた、と言う感じである。ユニセフでもこういうシーンがあったような。

 真理子への子供たちの眼差しが、普段着の私達に対するものと明らかに違う。ファッションというのも大切なものだ。スターから飴玉とペンをうやうやしく頂く子供たち。真理子、大人気である。小さい女の子が遠慮がちに、真理子の服をそっと触っている。真理子はさせるがままにしている。なんだか、真理子が非常に気高く見える。お金持ちの本領発揮だ。この雰囲気は本物のお嬢様でないと作れない気がする。

 学校にはもちろんインド人の先生もいるのだけれど、毎日来るわけでは無い。その上、来る日も決まっていないのだと言う。家の仕事で学校を休む子供も多い。なので、継続的な授業は難しい。祖母はその日一日で覚えられるような簡単な会話を、子供たちに何度も繰り返し教える。私達も子供たちに付きっ切りで、会話の練習相手を務めた。

 学校の前に広い野原がある。校庭、というほど整備はされてないけど、格好の遊び場になっている。放課後に男の子たちが、クリケットという野球に似た競技を始めた。それに兄と姉が参戦した。見ていてもまったくルールが分からなかったが、とても楽しそうだった。姉は運動神経がよいので、ヘラのようなバットを振り回し何度か大飛球を放って喝采を浴びていた。兄は変な格好で空振りを繰り返し、子供達に大笑いされていた。

 男の子が盛り上がっているグラウンドの隅で、真理子が女の子を集めてリリアンを教えている。懐かしい。というか、私はやり方を知らない。真理子が器用に手を動かして、毛糸をゆっくりと編んでゆく。それを見詰めるインド人の少女たち。なんと絵になることか。私はぼーっと見惚れてしまった。気が付いたら祖母も、私の横で真理子に見惚れていた。ばあちゃん、クチあいてるよ。

 日が暮れてきたのでホテルに帰ることにする。追いかけてくる子供たちが見えなくなるまで、私達は車から手を振り続けた。子供の相手をしてとても疲れたけれど、同時にたくさんエネルギーを貰った。インドに来て、食事以外の事で初めて楽しかったような気がする。ちょっと荒んでいた私の心が、いつの間にかまろやかになっていた。

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