第12話

 ガヤーの駅はとても混雑している。改札を出た所。駅の構内に人がたくさん寝ているので踏みつけないように慎重に歩く。駅の外もどうやらにぎわってるみたいだ。それを見て先頭の兄が振り返ってみんなに言った。

「たぶんここにも客引きがたくさんいると思います。先に自分がタクシーを決めてきますので、片山さん、みんなをお願いできますか」

 片山さんが畏まって頷いた。それを笑顔で見て兄が颯爽と走って行った。ほんと頼もしいな。姉さんと私の二人旅だったらどうなってたんだ。寒気がする。冒険好きな姉もさすがに私と同じ気持ちだろう。こりゃ冒険の種類が違うよ。

 少しして兄が戻ってきた。コルカタの空港の時と同じように、一列になって暗い駅の外にそろそろと歩みを進める。駅の周りには屋台がたくさんあって、明かりもついているので真っ暗と言うわけではない。でもなんだか、闇がまとわりついてくるような怪しい暗さがある。不安だからそう感じるのだと思うけど。

 やはり客引きがたくさん寄ってきた。ノーノー言いながら直進する。インドに来てから何回「ノー」を言っただろう。私はこんなに否定的な人間じゃなかったはずなのに。

 真理子がまた客引きに荷物を引っ張られている。しかし今の真理子は寝覚めの真理子だ。起きたばかりでものすごく機嫌が悪い。イヤ! とかいいながら荷物を引っ張り返してズンズン歩いている。いいぞ真理子、その調子だ!

 タクシーに乗るはずが、たどり着いたのは三輪車みたいな車だった。

「これは懐かしい」

 車を見て片山さんが言った。私も昔の映像で見たことがあるような気がする。オート三輪と言うらしい。インドではリクシャーと呼ばれている。庶民の乗り合いタクシーだ。兄が二台チャーターした。チャーターというほどの代物ではないと思うが。

「ブッダガヤーまで行ってくれるそうです。さあみんな乗って」

 兄が嬉しそうにしている。古い車とかも好きだからなー。

 コルカタの時と同じ配置で二台に分乗した。小さいくせに荷物が結構載る。サイドにドアが無いので空間に自由がある。二台目に乗った片山さんと、運転手の間に、テトリスみたいにして荷物をぎっしり積み込んだ。

 エンジンをバタバタ言わせながら苦しそうにリクシャーが出発する。でも意外にスピードが出て小回りも効く。運転手のインド人青年がきわどい運転をするのでヒヤヒヤする。暴走族か。ぶつかるギリギリで対向車とすれ違ったりする。恐ろしいなあ。

 ガヤーの町を抜け出ると周囲は一気にさびしくなった。真っ暗闇に道が真っ直ぐ伸びている。暗いのでなんの景色も見えない。時々道沿いに小さな家があったり、人とすれ違ったり。路面に穴が開いていて、リクシャーは上下にぐわんぐわん弾みながら走り続ける。片手で荷物を抱え、もう片方の手は天井につっぱって頭がぶつからないようにする。わりと苦しい体勢。

 車にスピードを出させないためだろう、一定間隔で地面に大きな出っ張りが作ってある。だから、運転手のインド人青年は、出っ張りの前後で急停止と急発車を繰り返す。まるでレースゲームだ。もっとお金をあげるからゆっくり走ってとお願いしても、たぶん無理のような気がする。この兄さん、根っからのスピード狂だよ。

 おかげさまであっという間にブッダガヤーに着いた。近いのか遠いのかよく分からなかったけれど、とにかくスピード感があった。兄は喜んでチップをあげていた。死なないで済んだので、私もチップをあげるべきだったかもしれない。

 道路の舗装が不十分なので土ぼこりが舞い上がり、それがリクシャーのライトに照らされてキラキラと光っている。ちょっと幻想的な光景で、素敵と言えないことも無い。言わないけど。ホコリっぽくて私は何度もクシャミをした。

 場所的にはすごい田舎みたいだけれど、ブッダガヤーにはホテルがたくさんある。世界遺産の仏塔目当てに、巡礼者と観光客が世界中からやって来るからだ。

 予約したホテルはリクシャーを降りてすぐのところにあった。高級とまではいかないが結構きれいな建物だ。ホッとする。正面玄関を抜けてロビーに入ると、前方に見える大きなソファーに祖母が座って待っていた。私は思わず駆け寄って行った。


「ばあちゃん……」

 西洋人みたいに祖母を抱擁してしまった。祖母は小さくて、背が私の肩ぐらいしかない。

「佐奈ちゃん、よく来たわねぇ」

 祖母が私の背中をとんとんと叩く。こんな異郷の地で、ついに祖母に出会えて。当たり前だけど感動する。

「ばあちゃん、元気そうだね」

 兄が荷物を降ろしながら言った。

「ばあちゃん〜。インドきちゃったよー」

 姉は元々おばあちゃん子だから、とても嬉しそうだ。

「みんなご苦労様。そちらのかわいらしい方はどなた?」

 祖母が真理子の方を向いて言った。真理子はとても緊張しているようで、顔から血の気が引いている。

「あの、ワタクシ桐原真理子と申します。佐奈さんの同級生です。よろしくお願いします」

 真理子が小さな声で言ってお辞儀をした。

「真理子さん、よろしくね。ほんとかわいらしい方ねぇ」

 祖母は歳に似合わずファンシーな趣味をしている。一目で真理子が気に入ったようだ。片山さんへの挨拶も忘れて、頬に手をあてて真理子をじっと眺めている。見すぎ。

「桐原家に仕えております、片山と申します」

 割って入るように片山さんが挨拶をした。

「あらごめんなさい。失礼致しました。この子たちの祖母でございます。お疲れになったでしょう」

 祖母が我に帰って言った。

「正直に申しましてとても疲れました。ですが、みなさまと一緒でしたので道中大変楽しく過ごすことができました」

 片山さんと祖母が談笑している間、兄がフロントでチェックインを済ませてくれた。

「食事は八時だそうです。とりあえず荷物だけ部屋に運びましょう」

 兄が言った。

 例によって男女で二部屋取ってある。祖母は普段、ブッダガヤーの別のホテルに滞在しているけれど、今日は私達と一緒に泊まることになっている。

 通された部屋がまた馬鹿みたいに広い。日本人の感覚で言うと、何のためにこの広さがあるのか理解できない。単に無駄なスペースという感じだ。調度品が白で統一されていて高級感もある。「かわいいお部屋」と真理子がまたお金持ち発言をしたが、貧しい日本人の感覚で言うとこの部屋は別にかわいく無い。広い時点で全然かわいくない。

 荷物を運んでくれたボーイさんが、チップを要求せずに去って行った。

「あれ、チップ要らないのかな」

 姉がルピーの紙幣をひらひらさせている。

「それはいいのよあなた」祖母が姉の腕を掴んで言った。「普通はチップなんていらないの。よっぽどサービスでも良くなければあげないのよ。みんなすぐにあげてしまうのよねえ」

 祖母が眉をひそめて言った。

「でもボーイさんって、チップが無いとお給料が厳しいとか言わない?」

 姉が紙幣を祖母の胸ポケットに入れながら言う。なにしてんだ。

「そうね。昔はそうだったわ。今はちゃんとしたホテルならばお給料がしっかり出ますからね。最近だったら……アメリカのウェイターやウェイトレスぐらいかしら。チップがお給料に含まれているお仕事は」

 博識な祖母。

「でもチップチップうるさいよ、インド人」

 姉が笑って反論する。

「だから日本人だけなのよ。インド人も他の外国人には言わないのよ! くやしいわねぇ」

 祖母が本当にくやしそうな顔をする。相変わらず感情表現が豊かだ。

「真理子はすごいよ。わたしお金もってません、って言うもんね」

 私は言った。真理子は下を向いて恥ずかしそうにしている。

「そうなの? 真理子さんやるわねぇ。わたしも真似してみようかしら。そしたら逆に誰かがお金をくれるかもしれないわね?」

 祖母が目を輝かせて言った。それは無いと思うぞ。


 夕飯の席で祖母がスピーチをする。テーブルの上にはいつものカレーセットに加えて、焼き鳥や焼きそば等ごちそうが並んでいる。早く食べたい。

「みなさん、遠路はるばるわたしに会いにきてくれてどうもありがとう。みんなの元気な姿を見られて嬉しいわ。ところでここまでの旅はどうでしたか? インドの印象はいかが? わたしは一年間インドに暮らしてみて、この国がとても好きになりました。……というのは嘘です」

 みんながエーっとなる。

「もうね、腹が立つことが多いわよ。わたし、しょっちゅう怒ってるの。でもね、次の日には忘れてる。嘘をつかれたり騙されたりすることが多いのだけれど、相手に悪気はないの。わたしのホテルのマネージャーもね、お金をごまかしたのがバレて散々わたしに怒られるでしょう? でも次の日にわたしの顔を見て、おはようございますマダム、今日はいい天気ですね、なんて言って笑顔を見せるの。それが本当に心からの笑顔なのよ。わたし、自分が怒っているのが馬鹿らしくなってしまって。だからと言って私はやっぱり日本人だし、インド人と同じような心にはなれないわ。だけどね、わたしも細かいことを気にしすぎて、人生少し損をしているなって思うようになりました。それでね……」

 話が長い……。そうだ、ばあちゃんってこんなだった。思い出してきた。

「ばあちゃんお腹空いたよー」

 ナイス姉。

「あらあら。ごめんなさい。久しぶりに日本語で文句が言えると思って調子に乗ってしまったわ。じゃあとにかく、かんぱーい!」

 おおう唐突だな。みんな虚をつかれて乾杯のタイミングを外す。それを見て祖母が「ほらほら乾杯よ」とかみんなに向かって言っている。相変わらずの祖母だ。元気でよかった。

 夕飯をたらふく食べる。毎日毎食、食べすぎだ。真理子が大きく口を開けて、カレーに浸したナンをわしわしと食べている。祖母がそれを楽しそうに眺めている。

「真理子さん素敵ねぇ。お人形さんみたいなのにたくさん食べられて。体が弱い方って聞いていたけれど、そんなことないわよねぇ。こんなに食べられるのに」

 祖母に食べる食べると言われて、真理子が真っ赤になっている。しかし真理子、インドに来てからホントによく食べるようになった。

「わたし達インドに来て太って帰る予定だから。ね、真理子」

 姉がビールを片手に真理子の皿にナンを重ねた。ビールはマジで太るよ。

 ヨーグルト味がついた鶏肉が不思議においしかった。食べ疲れて今日一日が終わる。祖母はインドが楽しくないと言っていた。確かに楽しいという感じは無い。ただ、食事がおいしい事は確かだ。ストレスがたまっている分、やけ食いになっているのかもしれないが。

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