第8話

 飛行機はエアインディア。外から見たデザインはちょっとかわいいけど、中はすごいオンボロ。飛行機が動き出すと機体がガタガタ言い出して、それはエアインディアに限った話ではないのかもしれないけれど、少し不安になってしまった。アテンダントの人が平気な顔をしているのでたぶん大丈夫なのだろう。機体をミシミシ言わせながら離陸する。途端に座席の後ろの方で、なにかドサッと物が落ちる音がした。シートベルトをしているので私は後ろを振り返ることが出来ない。少しして、男性のアテンダントが慌てた感じで後ろの方に走って行った。ほんとに大丈夫かよ!

「さすがエアインディア。最初から楽しませてくれるわね」

 そう言った姉の笑顔がこわばっている。姉は飛行機が苦手なのだ。酔いも一瞬でさめたと思う。

 なんとか無事に離陸して、すぐにお昼ご飯の用意が始まる。目鼻立ちの異様にハッキリした迫力のあるインド美人に、チキンカレーか野菜カレーのどちらかを選べと言われる。カレー以外はないのか。さすがエアインディア。アルコールが無料と聞いて、姉はビールを二本も頼んだ。まだ飲む気か。

 カレーはとてもおいしかった。かなり香辛料が入っていて、でも日本人の口に合わせてあるのか辛すぎず、ちょうどいい。インド国内でもこれと同じような食事が取れるなら安心なのだけど。

「やっぱりファーストクラスは料理も違うんだろうね」

 私は言った。

「そりゃ違うでしょう。でもビールの味は同じだよ」

 そう言って姉が二本目のビールに手を伸ばした。

 真理子と片山さんは今頃何を食べているのだろう。エコノミーは席が狭くて苦しい。女の私がそう思うのだから、体の大きな男性だったら大変だろう。体の小さな兄は快適な感じで読書をしている。

 お昼ご飯を食べ終わったと思ったら、すぐにおやつみたいなのが出てきた。スナック菓子と飲み物が配られる。姉はまたビールを頼んでいる。飲みすぎ。スナック菓子の袋を開けて中身をお皿にあけたら、布の切れ端みたいな物が入っていた。

「姉さん……。これゴミだよね?」

「うん……インドすごいね」

 姉もさすがにひいている。飛行機でこうなんだから、ホテルとかレストランは……。 

「なんかもうインドの香りがしない?」

 兄が嬉しそうに言う。それは単にさっきカレーを食べたからだと思うぞ。

「兄さん、なんか楽しそうだね」

 私は言った。

「うん。なんだかワクワクしてしまうね。インドにはちょっと興味があったんだ」

 そういえば兄は、大学生の時に貧乏海外旅行をよくしていた。その頃を思い出しているのかもしれない。

「兄さん、インド初めてだっけ? けっこう色々行ってたよね」

「うん。ビザを取るのが面倒くさくて、インドはパスしてたんだ。卒業旅行でトルコとどちらにするか迷って、結局トルコに行ってしまったけど。トルコもけっこう良かったよ」

 確か兄は、トルコでお財布を掏られたんじゃなかったっけ……。それには触れない方がいいだろう。

 なにやらもう一度軽食が出るらしい。どれだけ食わせるつもりなんだ。ラップにつつまれたサンドイッチとフルーツが出てきた。すごい安っぽい。おまえらはエコノミーだ! と言わんばかりの内容だ。もちろんこれは私のひがみにすぎない。姉はまたビールを頼んでいる。もう全開だ。もしかしたら飛行機が怖いから、ヤケ酒してるのかもしれない。


 六時間飛行機に乗ってバンコクの空港に着いた。二年前に一度来たことがある。新築の空港でとてもかっこいい。しかし今回は滑走路で乗り継ぎをするので、空港内に寄ることは出来ない。非常に残念だ。タイのご飯を食べたかった。もう少し早く予定が立っていれば、タイ航空のチケットが取れたのに。

 タイはさすがの仏教国で、仏教の聖地、インドのブッダガヤーへ巡礼に向かう人が多い。そのため、ブッダガヤーの近くのガヤーという町まで、バンコクからの直行便があるのだ。祖母もそのルートを推薦していた。しかしチケットは売り切れ。よって私らはバンコクから、インドの東部の都市コルカタ(カルカッタ)まで行って、そこから列車でガヤーまで行く。なんとも面倒くさい。コルカタの町は治安の悪さで有名らしい。そのコルカタで一泊する予定。……嫌な予感しかしない。

 飛行機はエアインディアからインディアンエアラインへ。意味不明な乗り継ぎだ。飛行機の経路が複雑化してるみたいなので、こういうこともあるらしい。飛行機の入り口同士を蛇腹みたいなものでくっつけ、仮設の橋のようモノが作られる。その上を歩いて乗り継いだ。空中散歩十秒でタイ終了。少しさびしい。しかしまたカレーを食わされるのかな。日常生活で、夕飯のカレーの残りを朝食で食べる喜びには疑いの余地は無い。しかし、お昼ご飯と夕ご飯がカレーと言うのはちょっときつい。インドはカレーの国だからしょうがないのか。慣れるしかない。

「やっぱりこれタイ航空だな」

 兄が座席に座るなり言った。そういえば機内がきれいで明るい。エアインディアと全然違う。

「インディアンエアラインじゃないの?」

「うん。この色使い、タイ航空だよ」

 確かにさっき、入り口にいたアテンダントの人が、合掌してタイ語で挨拶をしていたような。バンコク発だからかと思ったけれどタイ航空なのか。

「振り替えになったんだって。バンコクからは飛行機がたくさん飛んでるから、よくあることみたい」

 兄がアテンダントの人に聞いてきてくれた。やった。これは嬉しい。夕飯でタイメシが食べられる。


 少ししてバンコクからのお客さんが乗り込んできた。ほとんどインド人と思われる。さっきまでは乗客の半分以上が日本人だったと思う。みんなバンコクで降りたか。私も降りたかったよ。

 あたりを見回すと目が大きくて彫りの深い顔立ちが並んでいる。インド人だよね。髭の男ばっかり。みんな濃いなあ。その濃い人達は座席に付くなり、修学旅行の高校生みたいにぎゃーぎゃーと騒ぎ出した。携帯で写真を撮りまくり。他人の迷惑お構いなしで、でかい体で通路をふさいでいる。俺の携帯でも撮ってくれよ! と言う感じで延々とやっている。日本のマナーの悪い高校生そっくり。いや、高校生でもここまでやらないと思う。

 離陸しますのでシートベルトを締めてください、とアテンダントの人が繰り返し言うのにインド人騒ぎまくり。

 すげーインドすげー。マナーの悪さというよりも、マナーがそもそも存在していない感じだ。微笑み百点満点のタイ人のアテンダントの男性が、その微笑を崩さずに本気で切れていた。

「ミスター!」

 大きな声で叱られるインド人。ふてくされた感じでようやく席に座り始める。シートベルトを締める振りをしてわざと締めない。それをまた叱られて逆切れするインド人。小学生か。インド人すごいよ。それとも、たまたまマナーの悪いインド人に出くわしたのか? それにしては数が多いぞ。

 飛行機が離陸するとインド人がいっせいにビールとかウィスキーとか叫びだした。もうちょっとでご飯だからその後にしなさいとアテンダントの人に叱られている。しかしインド人は全然めげない。気にせずビールビールとうるさい。しつけのされていない子供そのものだ。私達は圧倒されっぱなし。兄も姉も目を丸くしている。早くもカルチャーショックを受けた模様。私も頭が痛くなってきた。真理子のワガママなんてかわいいものだ。そういや真理子、大丈夫かな。ファーストクラス。


 食事のメニューが回ってきたのだが、チキンカレーか野菜カレーの二択だった。そうだよなー、周りはインド人だらけだもの。バンコク発だから、しかもタイ航空だからと期待していたけれど、やっぱり食事はカレーなのだった。野菜カレーを頼んだ。今日はなんだか食べてばっかりだ。カロリーが心配になる。残せばいいのだろうけど、飛行機代に食事代も含まれてると思うときれいに平らげてしまう。悲しき貧乏性。

 兄の隣に座っているインド人が野菜カレーを頼んだ。飲み物が回ってきても他のインド人みたいにウィスキーだスコッチだとは言わずに、オレンジジュースを頼んでいる。当然のことだけれどまともなインド人もいるのだ。まともなインド人という言い方は変だけど、まともじゃないのが多いのでそういう印象になってしまう。野菜カレーにノンアルコールと言うことは、宗教的なこともあるのだろうか。でも騒いでるインド人達も、たぶん無宗教ということは無いとおもうのだけどなー。

 立派な、というかまともなインド人の方は親切で、入国審査の書類の記入方法を私達に丁寧に教えてくださった。兄と英語で会話している。わたしは英語は無理。姉は少し話せる。

「インド人ってこんなに騒がしいんですか」と姉が、お隣の会話に割り込んで言った。

 いきなり失礼なことを。姉はどうやら頭にきているらしい。

「申し訳ないけれど、ほとんどのインド人はこんな感じだよ」

 その人は苦笑いして言った。マジか。マジですか。というか私もなぜかヒアリングできたな。しかし、ということは、インドってすごい大変なんじゃない? いまさらだけど。

「旅行って楽しいものだと思ってた……。だけど間違えてた。楽しくないのもあるんだね」

 インド人の罵声が飛び交う飛行機の中で私は言った。

「そう? けっこう面白くない? 佐奈は深刻に考えすぎだよ」

 兄が笑った。ここで兄にへこまれても困るので頼りになると言いたいところだけど、面白いという意見には賛同できない。もうインド人との交渉はすべて兄に任せよう。普段大人しいのに、兄さんは変なところでタフだなあ。

 ビールビールと言っているインド人に乗っかって、姉もビールビールと言い出した。姉は普通にタフである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る