第7話

 どうしてもと言うので、真理子の家の車に乗せてもらって空港に向うことになった。もちろん例の片山さんが運転してくださる。私達が桐原家に到着すると、真理子がアマゾン探検隊のような格好をして待ち受けていた。

「真理子何よその格好は」

 姉が腹をかかえて笑った。

「だってインドは危険な国なんでしょう? 準備は怠らないようにしています」

 真理子が自信満々で言う。

 ジャングルを探検する美少女。大昔のハリウッド映画みたいだ。さらに真理子の後ろから現れた片山さんもすごい格好をしていた。

「片山と申します。どうぞよろしくお願いいたします」

 片手を差し出して兄に握手を求める。ビシッとグレーのスーツで決めている。兄があわてて握手する。姉と私も片山さんと握手を交わした。やっぱりすげー握力ありそう。「失礼します」と言って片山さんが、ひょいっと私たちの荷物を持ち上げて、車に荷物を積み込みだした。恐ろしく手際がいい。プロだね。

 真理子の荷物が多いようで、いつもの通学用の車と違う。これまた高級そうなワゴン車が用意されていた。車に乗って、さあさっさと空港に行こうよ、と思うのだが、真理子のご両親と類子が別れのあいさつでしつこい。兄は真理子のご両親に、娘をよろしくお願いしますと涙ながらに言われて緊張しまくっている。結婚式じゃないんだから。真理子と類子はしっかりと抱き合い、別れを惜しんでいる。二人とも涙を流してまるで今生の別れと言った感じだ。類子がお手紙ちょうだいねと言っているが、たった十日間の旅行なんだけど。ドラマチックだなあ。私と姉はとっくに車に乗り込んで、みなさんの感動のシーンをぼーっと遠巻きに眺めていた。

 ようやく車が出発する。類子が走って車を追いかけてくる。真理子が窓を開けて懸命に手を振る。そのうち窓から体を乗り出そうとしたので、慌ててみんなに止められた。危ないなあ。真理子はしばらくシクシク泣いていたが泣き疲れたようで、姉に寄りかかって眠りだした。子供か。

「真理子さんは今日の日を楽しみにしておられました。昨日は興奮して、あまり寝ていらっしゃらないようです」

 片山さんが紳士的にフォローする。紳士的だなあ。白い手袋が似合ってる。

「片山さんは外国を旅行されたことはあるんですか?」

 私は訊いてみた。

「申し訳ございません。海外は昨年マカオに、桐原家のご主人とご一緒させていただいたのが初めてでして。今回はみなさんにご迷惑をおかけしてしまうかもしれません」

 本当に済まなそうに片山さんが言うので、恐縮してしまう。

「ぼくらもそんなに経験があるわけではないので、力を合わせてやっていきましょう」

 兄が誠実なことを言った。誠実だなあ。しかし本当に大作戦という感じがしてきたぞ。果たして我々は、無事に帰ってこられるのだろうか。


 空港に到着するころには真理子も目覚めていて、さっき泣いていたのが嘘のように笑顔で動き回っている。免税店で買い物を始めようとしたので、私は全力で止めた。片山さんはカートに大きなスーツケースを三つも乗せて、最後尾から付いて来る。これ以上荷物を増やすわけにはいかない。

「そういえば真理子。海外は初めてじゃないのよね?」

 姉が自分のパスポートを見ながら言った。

「はい。小さいころはよくハワイなど行きました。でも最近は国内がほとんどです。国内のほうがゆっくりできますし」

 それは確かにそう思うけど、国内旅行で本格的にくつろごうと思ったら、やっぱりお金が必要だ。お金持ちのトレンドは国内か。

「あ。でも去年はドバイに行きました。ちっとも楽しくなかったですけれど。砂漠でラクダに乗れると思っていたのに」

 真理子は意外にアウトドア派か。だから探検隊ルックなのか。

「画像でしか見たこと無いけど、ドバイって砂漠の中の新宿ってイメージがあるよね」

 姉が妙なことを言う。

「ほとんどホテルから出なかったので、ショッピングモールの印象しかないんです。しかも熱を出してしまって」

 ホテル暮らしで熱を出すとはさすが真理子。先が思いやられる。

「あっ真理子。酸素バーだって。吸ってく?」

 姉が嬉しそうに言った。

「姉さんやめてよ。何がおきるか分からないよ」

「わたし、酸素吸います」

 ああー。私の制止にも関わらず、姉と真理子は吸い込まれるように酸素バーへ。旅の初めから冒険しないで欲しい。待っている間に兄がアイスを買って来てくれた。片山さんの分まで。兄さんは気が利くなあ。渋い片山さんにアイスは似合わないかと思ったけれど、喜んで食べている。甘党か。

 少しして姉と真理子が店から出てきた。姉はあからさまにがっかりした顔をしている。

「水に金を払うのは分かるけど、酸素に払う金は無い」

 姉は名言を残した。しかし真理子は変なサプリメントまで買わされている。

「現代人には酸素が足りてないんですって」

 確かに真理子には足りてないような気がするぞ。なんとなくだけど。

 搭乗まで二時間もあるので、私は空港内をぶらぶらと散歩することにした。姉と真理子は仲良くお店巡りをしている。あんまりはしゃいで、真理子が熱を出さないといいけれど。

 展望台に出て久しぶりに飛行機を見た。ものすごい速さで加速して、重たそうな体を無理矢理持ち上げて飛んでいく。たいしたものだ。よく飛べるなあと思う。

 私は別に飛行機は怖くない。不謹慎だけどむしろ死に方として、飛行機の墜落も悪くないと思っている。でも一瞬で死ねなかったら嫌だな。ジャングルに飛行機が墜落して、生き残りの人が猛獣に捕食された話があったような。飢えて死体を食べる話もあったな……。やっぱり事故死は望むべきではないか。

 縁起でもないことを考えながらまたお店などを見て歩いていたら、バーガーキングで姉と真理子が食事をしていた。うわっと思いながら無視しようかと思ったが、二人に大声で呼ばれたので仕方なく近づく。

「機内食がすぐ出るって兄さんが言ってたじゃない」

 私は言った。

「いやーバーキン好きなのよ。ちまたじゃ滅多に食べられないし」

 姉が嬉しそうに言った。

「真理子もそんなに大きいの食べて大丈夫?」

「なんだかいっぱい食べられそうな気がして。酸素のおかげかしら」

 酸素の効果っていったい……。

 しかし驚くべきことに真理子はすべて平らげた。姉もゲップしてるのに真理子は平気な顔をしている。大丈夫か? 酸素のおかげ……なのか?

「なんだか今までにないくらい楽しい気持ちがして、なんでもできそうな気がする」

 真理子が目をキラキラさせて怖いことを言う。なにもしなくていいからね!

「折り紙ショップだって! ほら真理子」

 姉が嬉しそうに指差す。

「まあ素敵」

 二人ともテンション高すぎ。付いていけない。私は搭乗ゲート前の席に戻ることにした。


 片山さんと兄がなにやら盛り上がって話をしている。人見知りの兄にしては珍しい。話の邪魔をするのも悪いので、ちょっと離れたところに座る。そんなに見晴らしは良くないけれど、大きな窓から次々と飛行機が離陸していく姿が見える。祭りの前と言う感じだ。私もなんだかわくわくしてきた。これでテンションが上がらない方がおかしいだろう。

 飛行機の離着陸をひとしきり見物した後、片山さんと兄のところに戻ると、まだ話が弾んでいた。兄の横に腰をおろす。

「そこでさくらが、『なんで行っちゃうのよお兄ちゃん』って言うんですよね」

 兄がしんみりした口調で言っている。

「もう俺は消えたほうがいい、去り際が大切だということですね。まさに『男はつらいよ』という所ですね」

 片山さんが深く頷きながら言った。

 どうやら寅さんの話らしい。兄はシリーズのほぼ全部を繰り返し見ているらしいので、説明が細かい。片山さんもどうやら好きらしい。これから外国に行くって言うのに、思いっきり日本に浸っている。

 搭乗のアナウンスが始まった。まだ余裕があるけれど、念のために女二人を探しに行く。なかなか見つからない。もしやと思って食べ物屋さんを見てまわったら、すし屋のカウンターに二人が座っていた。私は不本意ながらのれんをくぐる。「えらっしゃい!」と威勢のいい声で迎えられた。でも客じゃないんです、すみません。

「ちょっと食べすぎでしょ。あ、ワインまで飲んじゃって」

 姉の顔がほんのり赤い。

「やっぱり寿司には赤ワイン? あれ? ちがったっけ。ねぇ真理子」

「わたしはシャンパンが合うと思いますけど」

「あーそれもいいねー」

 すっかり出来上がっている。

「いいかげんにして。ほらもう搭乗時間だよ」

 と言いながら、姉の残した寿司があまりにもおいしそうだったので、私は残飯処理をしてしまった。寿司マジ旨い。和食の食べ納め。これでこの世に未練は無い。足取りふらつく姉を引っ張るようにして、私達は搭乗ゲートに戻った。

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