◆09 一週目『だいじなかぞく』

 閑散とした田舎の駅前徒歩十五分にある福積家。その隣に立つ二階建ての借家。

 そのアパートは一階と二階で綺麗に家が分かれている、各2DKの間取り。

 この一階丸ごとが、明日真たちの峰崎家だった。


「さすがに、もう寝てるよな」


 もう深夜の三時近く。明日真は音を立てないように玄関の傍に自転車を停め、静かに慣れ親しんだ我が家へと帰宅した。


 玄関は2DKのダイニングキッチンに直結なので、中に入ればまず実質の居間。その中心にある、冬場はコタツにもする床置きテーブルには、ラップされた皿が何枚か並んでいた。

 そんなテーブルの前に、緑のパジャマ姿の女の子がひとり。


 黒髪のおかっぱ頭が特徴的な、すぐ隣に住む大家さんちの長女……福積はやてだ。

 今も同じ高校に通うクラスメイトで、小学校高学年からの付き合い。百鬼なきりと入れ替わるように知り合った、言うなればセカンド幼馴染でもある彼女は、明日真の姿を見るや否や、立ち上がろうとしてやめた。

 何かゲームでもしていたらしいブレスニューロの画面を閉じて、颯が小声で言う。


「おかえり、あっくん。随分遅かったね」

「まあ……色々あってな。永遠那とわな、グズらなかったか?」

「ちょっとだけ、ね。にぃにをぎゅ~ってしてから寝るんだって、なかなか粘られちゃったけど、今は……ほら」


 促されて見ると、天使のような寝顔が見える。

 伸ばしている髪は明日真と同じふわふわの猫っ毛。つぶらな瞳は閉じられているが、かわいらしく整った顔立ちであることはひと目でわかる。


 峰崎永遠那みねざきとわな。歳の離れた妹が、颯の膝枕でスヤスヤと眠っていた。

 小学校中学年なのだから、まだまだかわいいやんちゃ盛りだ。


「すまん……ちゃんと布団で寝かすわ」

「ん……ぅ~? ぁ~、にぃに……だぁいすき……」


 小さな体をお姫様抱っこしようとすると、永遠那が首にぐりぐりと顔を擦り付けて来た。

 明日真はそのまま妹を寝室へと運ぶべく立ち上がろうとしたが、妹は寝ぼけているのか、その片手が颯のパジャマの袖を握ったままで放そうとしない。

 おかげで颯まで一緒に立って、忍び足でついてきてもらうことになってしまった。


 颯が泊まりに来る時は、長期入院中の母・深愛の布団を使ってもらうのだが、もはやそれも手慣れたもの。寝室に入れば、既に三人分の布団が敷いてあった。

 もちろん、永遠那の子供用布団が中心の川の字だ。


 そんな布団に、永遠那の左右で明日真は颯と一緒に横になり、電気を消す。

 と、おもむろに颯が言った。


「ふふっ。こうしてると、永遠那ちゃんが娘で、私とあっくんが夫婦みたいだね」

「それにしちゃ若すぎるが、まあ、颯はもう家族も同然だしな」

「そ、そうだ……ね……」


 明日真は永遠那の頭を優しく撫で、眠りに入りかけていることを確認する。

 ふたりは少しの間、永遠那の両脇で横になっていたが、永遠那が掴んでいた手を離して胎児のように丸くなって完全に寝付くと、静かに居間へと移動した。


「あっくんは座ってて、すぐ温め直すから」

「いやいいって、俺も食ったらすぐ寝るし。お前も永遠那と寝てていいぞ?」

「おばさんからだってあっくんたち兄妹のことは頼まれてるし、私がやりたいからやってるの。これくらい好きにさせて?」


 颯がラップしておいた白飯とおかずをレンジにかけ、みそ汁を温め直す。

 彼女は手際よく再調理を終えると、テーブルの向かいに座った。

 そして明日真はもはや夜食と言うにも遅すぎる夕飯を頂きながら、素直に感想を言う。


「ん……うまい。絶対いい嫁さんになるよな、お前」

「そう思ってくれるなら、もう少し信じて欲しいかな」

「これ以上無理ってくらい信じてるさ。福積家のなかでも特にお前は、俺らに良くしてくれ過ぎて頭が上がらん」

「じゃあ……何があったか教えてくれる?」


 颯がテーブルに両肘をついて、組んだ手に顎を乗せて、明日真を見る。


「残業じゃなかったんでしょ? 帰りも遅すぎるし。いつもちゃんと連絡くれるあっくんだもん。だからこそ私は思うの」


 彼女にしては珍しいジト目だった。


「多分だけど……天鵬院さんに言い寄られてたんじゃない?」

「……よくわかったな。何でだ?」

「私の知らない女性の匂いが、あっくんから二種類するもの」

「犬かよお前は」

「女子はそういうの、結構敏感なの。心配だよ、私」


 これも長年一緒に育ってきたからこそか、話すまでもなく大筋はバレているらしい。

 もっとも、明日真も颯に隠しておく気など微塵もないが。


「ま、大丈夫だよ。ちょっと仕事上がりで拉致られて、滑稽な勧誘を受けただけだ」

「えっ、と……拉致? ……ごめん、詳しくお願い」

「オブラート包みと剥き出し、どっちがいい?」

「それは……あ~、じゃあ剥き出しで」


 そう言われてしまったので、明日真は少し迷いはしたが、本当に一切合切を包み隠さず、颯に仕事上がりで自分の身に起きた出来事を伝えた。

 最初こそ、うわぁ、という顔をしながら話を聞いていた颯だが、ラブホテルでのキスされた挙句に百万円でビンタされた、という話になると顔色が変わった。


「じ、事情はわかったけど……あ~……ぅぅ……」


 何やら颯が頭を抱えて唸り出す。


「何だよ、剥き出しを希望したのはそっちだぞ?」

「わかってる。うん、わかってるんだけどもね……と、とにかく!」


 颯がテーブルに身を乗り出して、明日真の頭を撫で撫でする。


「よく我慢できました! あっくんは偉い!」

「そりゃどうも。ホント、お前がいてくれて良かったよ」

「……私? 何で?」

「永遠那が心配すぎるしな。お前とこじれることも考えたら、自然と冷静になれた」

「それって、あっくんは私の方が……」


 と、颯が照れくさそうに俯いた。


「そもそも福積家なしじゃ、うちの貧乏赤字家計は回らないしな」

「……まあ、そんなことだろうと思ってたけどさ」


 なぜか颯はため息をついたが、明日真は続けた。


「だが、百鬼の暴挙や妥協次第じゃ、どこかで俺が受け入れる可能性は否定できねえ」

「やっぱりあっくんの呪いは、まだ解けきってはいない?」

「お前と会う前まで、それしかやらされてこなかったからな」


 父親にスパルタされる地獄のような日々が脳裏をよぎる。

 明日真は舌打ちと共に頭をひと振りした。


「……んで、参考までに聞きたいんだが、今我が家から福積家への借金って、どれくらいあるんだ? 母さんの長期入院費に家賃にで、割とバカになってねえだろ」


 明日真が言うと、颯は何やら怒ったような、呆れたような顔をした。


「だ~か~ら~、あっくんはそんなの気にしなくていいの。おばさんはうちのお母さんのかけがえのない親友なんだから。仮にもしあっくんと私が逆の立場だったら、あっくんは私に借金の話とかする? しないでしょ? 変に気にさせたくないもの」

「まあ、それはそうだが……」

「そんなことより、私は聞きたいことがまだあるよ」


 怖い顔でずいっと身を乗り出して来た颯に、明日真は思わず気圧される。


「天鵬院さんがセカンドキスってことは、ファーストキスは?」


 それは奇妙な問いだったが、明日真的には別に大したことでもなかったので、やはり包み隠さず切り出した。


「百鬼だよ。俺が極星塾きょくせいじゅくに入った時、もうあいつは高校生相手でも負け知らずの断トツ最強状態で、塾内ランクの天辺にいた。俺は最下層から始まったんだが、周りがあんまり雑魚ばっかでつまらねえから、一回天辺の百鬼とやらせろって講師に頼んだんだ。その結果、だ」

「何でそれでキスすることになるの?」

「全員が俺を身の程知らずと嘲るなかで、当の百鬼は負けたら大人のキスをしてやるとかおませに余裕ぶっこいたんだよ。俺は実力にしか興味なかったんだが、実際に戦って勝って見せたら、あいつが泣きながら俺のファーストキスを強引に奪ってった、っていう流れだ」


 いざ思い出して語ると、笑えてくる若気の至りだなと明日真は思った。

 自分のせいではないはずなんだが、これも深夜のテンションというやつだろうか。


「その後、天鵬院さんとはどうだったの?」

「別に? 会うたびにリベンジリベンジうるさくてしつこいから、全部返り討ちにしてやっただけさ。母さんの離婚までで……あ~、大体百戦くらいやって負けなしってとこだったな。一回だけ、組んだこともあったか」


 あっけらかんと言う明日真を前に、颯は目を丸くしていた。


「あっくん、それって滅茶苦茶すごくない? そりゃあ私も少しは聞いてたけど……天鵬院さんだよ? 彼女って『ルーリスタ』の最高峰のプロなんでしょ?」

「今は、な。俺のは七年も前の話だから、あいつもそれだけ成長したんだろ。それに『ルーリスタ』はひとりでやる競技じゃない。野球みたいなもんさ。飛び抜けてるピッチャーにキャッチャーが揃ったところで、守備や打線も固めにゃどうにもならん」

「はぁ~、なるほどね。何だか色々、納得が行っちゃった。そっか。そういう関係だったんだね……」

「どういう関係だと思ってたんだよ……」

「……ねえあっくん、もし……もしもよ? 私が今…………ごめん、やっぱりいいや」


 話しながら明日真が食べ終えた食器を、颯が片付けに入る。

 続く颯の言葉は、水道の音が掻き消した。


「幼馴染で初恋かぁ。やんなっちゃう」

「……あん? 何て言った?」

「別に! なんでもな~い!」


 そう言って話を切り上げると、颯は食器を手早く片付け終えて言った。


「さ、もう寝よ? 明日も学校あるんだし。起きれる自信、どうせないでしょ? いつも通りちゃんと起こすし、お弁当ももう作ってあるから、心配しないで? 永遠那ちゃんも送り出さなきゃだしね」

「……何から何まで、悪いな。ホント」

「お任せお任せ。こうして頼ってもらえるのも、これはこれで嬉しいんだから。でも……忘れないでね?」


 颯は後ろ手を組み、明日真を見上げて言った。


「私は……ずっとあっくんの味方だよ」


 そう言った颯の笑顔にドキッとしたのは、さすがに内緒にしておこう。

 今の明日真にも未来予想図というものはあって、そこに福積颯という少女は、絶対に欠かせない存在なのだから。

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