◆07 一週目『誘惑耐性:強?』

 明日真が次に目を覚ますと、知らない場所にいた。

 部屋の中央にやたらとデカいキングサイズのふかふかベッドがあって、その正面にこれまたデカいテレビが壁掛けされていて……照明が無駄にピンク色。

 これはラブホテルというヤツかと、明日真はピンと来た。


 だが、なぜ自分がこんなところに?


 記憶を辿るべく額に手を当てようとして、明日真はふと気づいた。

 両手の親指が、背中の後ろで拘束されている。感触的に結束バンドなどだろうか。


 そうしてごろごろとベッド上を転がってはみるうちに、明日真の注意は耳に行った。


 すぐ近くで、シャワー音が聞こえている。


 音のする方に体を転がすと、出るところが出て締まるところが締まった女性のシルエットが、もはや壁同然な巨大ガラスの向こう側に、カーテン越しで見える。


「ってオイ!」


 言いようのない罪悪感に駆られて思わず目を背けてしまったが、これはもうここがラブホテルで、すぐそこの風呂場で今女性がシャワーを浴びているのが明らかだ。


「待て待て待て待て! な、何がどうしてこうなってやがるんだ!」


 明日真は足を上げた反動で上体を起こす。

 これから何が始まろうと言うのか?

 可能性を考えまくるが圧倒的に情報が足りず、現状と上手く結びつかない。

 妙な恐怖感とこういう場所だということもあって、明日真の心臓がやたらと早鐘を打ち始めた。


 そうこうしているうちに、シャワーの音が止まる。

 やがて風呂場からは、ひとりの女性がバスタオルで髪を拭きながら現れて……。


「はぁ~~~~~~」


 一瞬、下着無き胸元に視線が吸い寄せられてしまったのは確かだが。

 明日真は安心と、またかという思いで、深いため息をついた。


 天鵬院百鬼なきり

 今朝から何度も絡んで来た、古い幼馴染その人である。


「ああ、起きた? 良かったわ。このまま朝まで寝てられたらどうしようかと思った」


 百鬼がまだ濡れている金髪を拭きながら、ベッドの隅に座る。


「お前なぁ、拉致監禁とか、これ立派な犯罪だぞ」

「そんなことないわよ? すぐ同意になるもの」

「……同意? 何がだよ?」

「こんなところでやることと言ったら、ひとつ、でしょ!」


 百鬼がいきなり飛びついてきて、明日真を押し倒す。

 ふわりと鼻腔を刺激する女の良い香り。

 四つん這いの体勢になった彼女は、明日真の顔を両手で挟み込んで……。


「んぐっ!?」


 くにゅっと、柔らかい感触が触れた。

 口だけでなく、胸にも、腹にも。

 しかも口の方には、さらに柔らかく湿ったものが差し込まれる。


「ん~っ! ん~~~~~~っ!」


 明日真は抵抗しようにも、馬乗られの状態で両手を拘束されているので、足をジタバタさせることしかできなかった。


「っ。ぷはぁ。ごちそうさま☆」


 濡れ髪バスローブで腹の上に乗っている百鬼は、ようやく口を離したと思えば、今度は唇に残った明日真の唾をペロリ。

 その姿が、妙に艶めかしい。どころか……はだけた胸元がもうほとんど見えてしまっていた。

 大きすぎず小さすぎず、整ったいい形だと、思わず考えてしまって首を振るが……。


「ふふっ。セカンドキスもあげちゃった。明日真は何回目? 二回目だと、嬉しいな」


 ちょっと照れた感じを見せる百鬼に、思わず見惚れた。


 明日真とて健全な思春期の男子である。そして昔の関係があるとはいえ、百鬼は幻想的な金髪碧眼で、間違いなく美少女の部類に入る女だ。

 それが今やこんなことに……。


「……ぁぁもう!」


 明日真は思い切り下腹部に力を入れ、同時にキレることで気を紛らわす。


「何なんだよいきなり! 何してんだよお前!」

「食べちゃおうと思って。がおー☆ なんちゃって」

「……こんなことして、一体何が狙いだ?」

「既成事実があったら、考え直してくれるかもでしょ?」


 再びグッと顔が近づけられ、濡れた金髪が明日真の顔にはらりと落ちる。

 濡れ髪の冷たさが、紅潮した頬に心地良い。


「あたしのハジメテを、アンタにあげる。だからさ……付き合ってよ」


 あおの美しい瞳が、今度は真剣味を帯びてこちらを見つめていた。

 ハジメテ。その言葉にドキッとしたのは確かだが。

 彼女の真剣な視線が、かえって明日真を冷静にさせた。


「断る!」

「そんなに怖がらないで? 悪いようにはしないわ」

「怖くねえし! っていうかもう今悪いようになってるだろ!」

「あはは、照れちゃってまあ。いいじゃん別に。このままあたしと一緒に、大人の階段、登っちゃお? 運命の再会から一夜にして恋人に! なんてのも素敵だわ。そうしてふたりで、また一緒に『ルーリスタ』をするの」


 再び近づいてくる唇。

 このままでは、またヤられる。ヤられてしまう。

 奪われ汚され蹂躙され、気持ちまで持って行かれてしまいかねない。


 そう思ったら、明日真の脳裏に突然、ふたりの女の顔がよぎった。


 ひとりは幼い妹の永遠那とわな。自分が守らなければならない家族。

 ひとりは家族も同然のはやて。お世話になりっぱなしの大家の長女。


 ふたりのことを考えたら、明日真の頭は急速に冷えて行った。


――やっぱダメだよな。こんなのは。


「……むんっ!」


 頭突いた。思い切り。


「あ痛ぁっ!?」


 突然のおデコ同士の衝突に、百鬼が悶絶して隣をぐるぐると転がる。


「ぐぬぉおおお……い、痛ひぃ……うぅ……この、バカ明日真ぁ」


 こっちを見つめながら涙目の百鬼が言う。


「ムードが台無しじゃない……あたしとするの、そんなに嫌?」


 それは妙に罪悪感を覚えさせる台詞だったが、ここで譲っては元の木阿弥もくあみ

 明日真は心を鬼にして言った。


「嫌とかそういう問題じゃなくてだな。こういうのはお互いに好き同士なふたりで、ちゃんと順を追ってやるものだろ?」

「あたしはアンタのこと好きよ? 初恋だもの。むしろ念願!」


 しれっと言いやがって、と、明日真は思わず舌打ちした。


「とにかく俺は、こんなやり方には同意できねえ。お前ももっと自分を大事にしろよ。男拉致して拘束して一方的に奪うのが初体験とかいいわけねえ」

「だってアンタ、こうでもしないと付き合ってくれそうにないんだもの。学校の屋上でフラれたの、あたし結構ショックだったんだからね?」


 百鬼がベッドの上に座り直して、ぷっくりと頬を膨らませる。


「『ルーリスタ』やれって話か? だからってコレはねえだろ」

「大いにあるわ。あたしのファーストキスを奪ったアンタとギルドを組むためなら、あたしにできることは何だってする。そういう覚悟を決めて来たんだから」

「そんな覚悟決められてもな。お前が損するだけだって言っただろうが」

「損か得かを決めるのは、あたしであってアンタじゃない」


 その碧の瞳には、どうやっても折れそうにない強い意思。

 方法が異常だったとしても、やはり元プロプレイヤーとして、『ルーリスタ』にかける想いは本物なのだろう。


「……強情な女だ。だが、それどころじゃねえ」


 ピシャリと言うと、明日真は後ろを向いた。


「とにかく、この拘束を解いてくれ。多分心配かけまくってるから、早く帰らねえと」

「それって……妹さん? それとも、福積さんかな?」


 当然身辺調査くらいはしていたのだろうなと、明日真は百鬼がそれを知っていることは、あまり考えないようにする。


「はぁ……しょうがないなぁ」


 百鬼がベッドから降りる。ようやくわかってくれたかと、明日真は安堵した。

 角度的に見えないが、百鬼は自分のカバンをゴソゴソやると、おそらくハサミを取って戻って来たのだろう。

 そんな彼女に背を向けて、拘束されている指の部分を突き出した明日真だったが……。


「本当はこれ、やりたくなかったんだけど」


 百鬼が眼前に回り込んで来て、笑みを浮かべた。

 次の瞬間……一閃。


「おぶっ!?」


 明日真はビンタされた感触に驚いたが、一瞬の香りは嗅ぎ逃さない。

 それは素敵で甘美な、万札の香り。


「お前なぁ……ばふぁっ!?」


 言葉を返そうとした明日真の頬は、再びビンタされた。


 百万円の札束で、だ。


「ねぇ、今どんな気持ち?」

「……最低な女だなと思ってる」

「ああ、やっぱり? でも、あたしは絶対、アンタ好みのいい女」


 百鬼は札束をチラつかせてから、明日真の背後に回り、結束バンドをハサミで切る。

 そして自由になった明日真に、百万円の束を放り投げた。


「……何のつもりだ?」

「あげるわ。だからもう一度『ルーリスタ』に帰って来て、あたしと組んで」


 家庭の事情でアルバイトに精を出す明日真には、百万円の束など目を丸くする金額。言葉で言われるのと、こうして目の前で現物を見せられるのとでは、感覚も大きく違った。

 今目の前にそれがある。手を伸ばせば届く、もらえる。週五で働く明日真の月給の一年分に近いそれがあれば、今後の生活にどれほどの影響を及ぼすか。などとを考えてしまって、明日真の心は揺れ動く。


 だが、しかし。

 明日真の胸の内でうごめく、根深い感情の方が強かった。


「……舐めんな」


 怒気を孕んだ声と共に、明日真は札束を百鬼に投げ返した。


 自由になった手首のブレスニューロを見てみれば、案の定、颯から遅い帰りを心配する大量のSNSチャットが来ていた。

 内容を追うに、明日真が残業かどうかの確認から始まり、気を遣って同僚との夜遊びかなと想定した挙句、妹の永遠那は颯が泊まって面倒を見ると書かれている。本当にありがたいことだ。ずっと起きているのか、他にも明日真を心配する颯からのチャットは、大体三十分おきに届いていた。

 これはとにかく一刻も早く帰って、安心させてやらなければなるまい。


「上手く行かないわね。理想と現実は程遠く……よよよよよ」


 百鬼がバスローブのポケットからタブレット菓子か何かを大量に取り出して、いっぺんに口の中へと放り込む。そしてサイドテーブルに置いてあった水を飲んでから、彼女は言った。


「ねぇ、せめて一緒に泊まってかない? 和解もしたいし、もう夜遅いし、積もる話とかもさ、したかったりする」

「何をされるかわからん状況で一緒になんて泊まれるか。第一、ベッドがひとつしかない」


 あんな格好の百鬼に変に迫られれば、今度こそ流されてしまうかもしれない。

 明日真とて今はこうだが、幼い頃のファーストキスだの何だのと、百鬼には思うところも多かったりするのだ。


「俺の鞄とチャリは?」

「……下で受け取れるわよ。夜々ややが駐車場で待機してるから」

「夜々、って?」

「拉致の実行犯」

「ああ……あのメイドさんか」

「はぁ、もぅホント疲れた……アンタが帰っちゃうなら、あたしはこのまま、こうまでしてまたもフラれた悲しみで枕を濡らすことにするわ。そんで、明日からの作戦でも考える」

「いや諦めろよ……」


 今日のようなことが明日も続くのかと考えると、どうしても明日真は気が重くなるが、今は深くは考えまいと、ベットで大の字に寝転んだ百鬼に背を向けた。

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