後悔する広開土王、後悔土王

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後悔する広開土王、後悔土王

「お前さ、蹴っていい?」

「えっ……? えっ?」

 

 突然蹴られた後、こう言われた。そこには、もう昔の彼はいなかった。


「お前さ、頭悪くて勉強できないじゃん。運動もできない。部活だって筋トレするためっていったくせに全然やらねえし。。お前って全部俺以下だよな。なんか言ってみろよ。強いて言えば仮面ライダーの知識だけ?」


 昔、塾の帰り道で幼馴染に言われた言葉である。遠慮も躊躇いもなく、軽蔑さえも感じられるが、むしろこれを言うためだけに彼は僕と一緒に帰ったのではないか。とにかく、町の街灯で見える彼の顔はすごく怖くて、悪意があった。傷ついたけど、反論できなかった。彼と別れた後、泣きながら帰って、家に着いても泣き止まなくてトイレで泣き崩れながら考えてたのに、彼の言ってることは何も間違えていなかった。悔しかった。


 彼はすごかった。中学では勉強もできた方で、学級委員長もやっていた。そして彼は運動神経が良かった。昔、同じ道場で空手をやっていたときには僕より彼の方が帯をたくさん持っていた。また、水泳部でも大活躍した。部長の弟だったこともあって色々な人から期待されていた。それから、彼女もいた。あまり可愛くなかったけれど、毎日が充実していた。正直に言えば嫉妬していて羨ましかった。人として尊敬できる点は何一つなかったけれど、優秀な生徒であったとは思う。


 その一方、僕は馬鹿で頭が悪かった。勉強の仕方を知らなかった。僕と彼は同じ部活で活動していた。とはいえ僕が彼の入る部活に着いていっただけであるけれども。


 水泳部の中で僕の実力は堂々のビリを飾っていた。大会のときにバタフライを泳ぐと、遅すぎてゴールしたときに拍手喝采が起きた。水泳選手なら屈辱的かもしれないが、不思議と僕にとっては心地が良かった。アスリートとしての自覚がないので、大会で1位になるとかなんとかに全く興味がなかった。部活を熱心に頑張っていた彼にとって私は目障りな存在である。今思えば、幼馴染が悪魔に変わった最大の理由だと思う。どうか僕のことなんて気にしないで目の前のスポーツに集中してほしかった。


 彼は機嫌さえ良ければ仲の良い幼馴染のふりをして、機嫌が悪くなれば僕をサンドバッグに使った。その豹変具合が今思い出しても恐ろしい。ある種の才能である。怖かったから、僕は逆らうこともできなかった。彼に逆らうとは、彼の人脈全てを敵に回すということだから。そのくせ、一緒に歩く度に誰かの悪口を言っていた。誰の悪口を言っていようと、彼以上の極悪人は身近にいない。


 仮に、当時僕が彼に言われたこと全てが明るみになったとしても、誰も気にしなかっただろう。それくらい彼はクラスの中心人物で、僕は辺境のよくわからない謎の人物だった。誰も僕に興味がないから、僕が何をされようとどうでもいい。苦虫を噛み潰したような思いをしたのと同時に、弱者は強者に逆らえないという動物界の法則を知ることになった。これはこの後の中学生活でも高校生活でも変わらなかった。どうでもいいやつはやはりどうでもいいのである。


 中学生の間の3年間、そこらの雑草以下の扱いに疲れた私は、現実から逃げることを決意した。彼の指摘通り、僕は無能である故に音楽や美術の能力はなかったが、無能でも文字さえ書ければなんとかなるジャンル、「小説」に目が行った。高校受験の国語のテストの作文問題でふざけたことを書くのは好きだった。だから、ただただ文章を書ければ心が晴れる気がしたし、書籍化をすれば「俺は頭悪いし運動はできないけど書籍化はしたぜ」と胸を張って生きられると思った。現実で弱者であることを忘れて、インターネットで強者になって見返したかった。


 しかし、小説の界隈に入ってわかったことは、自分は弱者であるということだった。読まれる作品を書けなかった。いつしか作品を書く力を無くした。文章を書くことは好きだったけど、それはあくまで自己主張ができるからで、情景描写の美を描いたり人の心を打つようなストーリーを作ったりすることができるわけではなかった。そして、僕が弱者なら、強者はインターネットの中にいた。実力のある彼らを慕う人間は少なくなかった。羨ましかった。多少他人を傷つけるような表現をしても、実力者の経験談として許された。彼らは人気者で、僕の相手をしてくれる人は存在しない。これは現実でもインターネットでも同じだった。やはり僕はどうでもいい存在であることに違いなかった。


 「どうでもいい存在」という認識が自分の精神を歪ませ、いじめが起きる原因を弱者に求めた。「弱者だから強者に攻撃される。そのとき弱者を守る人間がこの世に存在しないから、弱者への攻撃が正当化される」と本気で思っていた。今思えば、このような考え方に至ったのは、自分のトラウマを「一過性の災害」と捉えるのはあまりに悲しすぎたからだ。そんなしょうもない理由で心に深い傷を残したなんて認めたくなかった。それだったら、自分のせいにして「あれは僕が悪い」と思った方が心が楽になるような気がした。けれど、難しいことを考えないで、「ちくちく言葉は良くない」と言って立ち直れる強さがほしかった。やばい奴の狂言と言って関係を断ち切りたかった。僕を責める他人の言葉を合理化して正気を失うとは、まるで哀れじゃないか。この事実だけで死にたくなる。あいつが死ねばいいのに。


 思えば、あの日、幼馴染の作った序列の中に閉じ込められてから、心の底から弱者になってしまった。復讐心で彼を追い抜かそうとしなかった。自分は何をしてもうまくいかない人間だから、何をしても意味がないと合理化する方が気持ちよかった。「できる」というより「無理やだできないなんかダルい」と言う方が簡単だった。強者を悪者にする理論を作って、自分が強者になることを諦めていた。強くて優しい人もいっぱいいるのに。


 つまり挑戦する心が消滅した。そして代わりに妥協ばかりするようになった。ゲームも勝てないからやめて、小説も人気が出ないからやめて、ファッションも自分に自信がないから目を傾けずに、恋愛の話になれば「僕結婚する気ない」といって逃げ出した。若いうちから達観ぶって何もしなかった。何もできないくせに何もしなかった。故に何もできるようにならなかった。人生の暗黒時代といって良いほどに後悔している。中学生から高校生の間の人生、何が楽しくて生きていたのだろう? こんな生き方をしていたら僕は遅かれ早かれいづれ自殺をしていたのではないか?


 小説の界隈を経て、現実逃避した場所で現実を知り、僕は弱者をやめる努力をした。その一環が大学受験だった。第一志望に受かれたのは、もちろん先生や入試準備のおかげであるが、何よりもモチベーションになったのは、皮肉にも幼馴染だった。彼を見下せる環境で生きていきたかった。多分彼がいなければ、僕はよくわからない大学に行っていただろう。


 親伝いに聞いた話だと、彼は地元のよくわからない大学に行ったらしい。それから、最近彼の両親が離婚した。ちょっとだけ嬉しい。二度と会いたくない彼に、「君運動できるけど勉強できないんだね。後、人の心ないよね。その点で僕の方が優秀だよ」と言ってやりたい。もう僕が傷ついたことなんて覚えていないのだろうけど。


 大学に合格して自己肯定感が高くなったけど、やはり心の傷はなかなか癒えない。後ろを振り返らずに歩けるようにはならなかった。


 今は「彼を不幸にするために自分を幸せにする」という邪な――こんな考え方で幸せになれるような気がしないが――思いで行動してる節があるけれど、いつか、復讐とかトラウマとかそういうしがらみを全て忘れて、心の底から今を喜べるようになりたい。

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